レビュー・経済書 『貧困の終焉 2025年までに世界を変える』 ジェフリー・サックス ②


マラリアとエイズがアフリカでどれほど猛威を振るい、人々を貧困や死に縛り付けているかを、ジェフリー・サックスは短く的確な文章で教えてくれる。

マラリアは完全に治療が可能である。それなのに、年間およそ三百万人がマラリアで死んでいる。死者のほとんどはアフリカ人である。コストの安い治療法があるのに、貧しい人びとのもとにはそれが届かない。私はこの数字を見て愕然とした。

当時の私はマクロエコノミストで、専門分野といえば貿易、予算削減、インフレーション、為替レートなどだった。市場改革とグローバリゼーションについてはかなり理解しているつもりだった。これらがとても大事だと信じていた。にもかかわらず、私はマラリアこそ緊急の課題であり、まさしく生死に関わる問題だと思った。マラリアと闘うためにできるかぎりの努力がすでになされているはずだと期待してもいた。毎年、何百万人もの子供たちが死んでいくのを、国際社会がただ手をこまねいて見ているはずはないと思った。ところが、(略)マラリア対策のドナー援助がどの程度なのかを知ろうとして数字を調べはじめると、ほとんど何も出てこなかった。(略)アフリカの疾病対策を援助する大きなプロジェクトがどこかにあるはずだ。見逃しているにちがいない。だが、どこにもなかった。マラリアは政治のレーダー網から外れていた。

村はエイズでほぼ全滅状態だという。マラウイのこの一帯には数年来、エイズが蔓延している。村に残っている二十歳から四十歳の男性はたった五人しかいない。(略)近年、このンサンディアの村はすさまじい死の暴虐に襲われた。(略)生きのびられるかどうかの確率はとても小さい。ゼロに近いことさえある。泥でできた小屋の前で会った女性には孤児となった十五人の孫がいる。(略)彼女はエプロンのポケットから、手のひら一杯ほどの腐りかけて虫のわいた粟をとりだした。これが今夜の夕食の材料だと言う。子供たちがその日食べるたった一度の食事である。

それはエイズで死んでゆくマラウイ人を集めた場所だ。入院病棟には薬がない。病棟のベッドの定数は百五十である。だが、患者は四百五十人いる。四百五十人をベッドが百五十しかない部屋に入れれば、一つのベッドに三人ということになる。たいていは、ベッドの上に頭と爪先をたがいちがいにして二人を寝かせる-死の床を他人と分け合わねばならないとは。そして、ベッドの横か下の床にもう一人。文字どおり、床の上に直接、またはダンボールを敷いた上に寝かされている。ベッドの下で死を迎えるのだ。(略)一日一ドルの金さえあればこの患者たちが死の床から立ちあがれると分かっている。(略)問題は簡単だ。貧困によって何百人もの貧しいマラウイ人がこの日死んでいくのを世界が見て見ぬふりをしていることなのだ。

このような現実を自分の目で確かめた体験をもとに、ジェフリー・サックスは本書において、「貧困をなくすための地に足のついた解決策」として、「農業への投資」「マラリア、エイズの予防および治療、リプロダクティブ・ヘルス・サービスなどの基本的な健康への投資」「教育への投資」「電力、輸送、コミュニケーション・サービスへの投資」「安全な飲料水と衛生設備への投資」などをパッケージとして提供する、現実的な支援策を提唱している。絶望的な貧困は複合的な要因によって引き起こされ、定着化しているからだ。そして、例えばケニアのサウリという5000人の住民が住む地区で、これらの投資に必要とされる額はざっと年間35万ドル、住民あたりにすれば約70ドルである、と計算している。

1人年間70ドル。たったそれだけ。それだけで、貧困と絶望から人々を救うことができると言うのだ。

貧困問題に興味を持ち始めてから、改めて周囲の人々と話をしてみると、時代の風潮もあるとは思いますが、「貧困問題なんて自分には全然関係無いので何もしてあげるつもりはない」なんて思っている人は殆どいない。そんなこと考えてるの?」とちょっと見には思える人でも(自分が筆頭だが)、大小はあるものの、何らかの問題意識を持っていたり、「何かできることがあればしてあげたい」という気持は持っているものだ。だから、

「あなたが70ドル出してくれれば、今この一つの命を確実に救えます」

と言われたら、嫌だと言う人は滅多にいないのではないかと思う。

それなのに、実際に目に見える形で自覚を持って、毎年70ドル以上の寄付をしている人の数はずっと少ない。なぜなのだろうか。自分を例にとって考えてみると、主な理由にはこんなことが挙げられるのではないかと思う。

①誰に、どの組織に、その70ドルを託すべきかわからないから

②その70ドルが人の命を救うことに使われるという確実な保証が無いから

③他にも70ドルを必要としている人がいるかもしれないから

④70ドルで支援が足りるという自信が無いから(本当はもっと多額の寄付が必要かもしれないから)

情報が溢れているだけに、世界中には色んな問題が蓄積していて、どこから手をつけたら良いのか途方に暮れてしまう。目の前に実際に死んで行く子どもがいたら、うだうだ迷わず70ドルを差し出すかもしれないが、遠い国の映像を流しているテレビを前に、上のような理由で躊躇してしまっている人が多いのではないかと思う。

支援が必要だと叫ぶ人々、それを訴える組織、世界中にたくさんあり過ぎて、本当に信じて良いのがどこかわからない。或いは、どこを優先すべきかわからない。そして、どこまで自分が犠牲を払うべきかわからない。

でも、だからこそ、自分なりの判断ができるように、こういう問題について知り、考える必要があるのではないかと思う。簡単に答えが出ることではないし、迷っている暇があれば、まず先にぽんと70ドル出すべきなのではないか、と気持が焦ることもあるのだが、、、やっぱり頭でかっちの人間なのか、もう少し考え、情報や知識を集めてから行動を起こしたい、と思ってしまう。勿論、将来的に貧困解消に役立つための仕事や組織に関わる、という可能性も含めて。

話がどんどんそれてしまったのだが・・・本書は、エコノミストらしい大局を捉えた視点と、現実的でまさに「地に足のついた」視点とが、上手くミックスされていて、説得力のある一冊だった。

著者がアメリカ人でありながら、グローバルかつ客観的な視野に立ち、アメリカを始めとする先進国の怠慢や欺瞞を逡巡することなく指摘している点も、好感がもてる。最後に、9.11後のアメリカの対応について語った一文を紹介したい。他国の人ならいざ知らず、本書が刊行された2005年当時、アメリカ人がこのような発言をすることはとても勇気がいることだったろうと思う。

世界が直面している脅威はテロリズムだけではない。私たちのエネルギーと努力と資源と生命のすべてをテロとの戦いに投入し、もっと広範な、そしてさらに大きな問題を棚上げするのは大きなまちがいだろう。九月十一日、世界貿易センターではおよそ三千人がいわれのない悲劇的な死を迎えた。アフリカでは毎日-そして九月十一日以降もひきつづき毎日-一万人ずつ、エイズと結核とマラリアのためにいわれのない悲劇的な死を迎えている。私たちは九月十一日を大局的に見なければいけない。とくに、毎日死んでいく一万人の命は、私たちが救おうと思えば救えるのだから。

長く続いたアメリカの覇権体制と国際秩序が崩壊しつつある今、テロリズムは宗教的な問題だけでなく、インドや中国、南米など、貧困と差別の潜む世界のあらゆる所に蔓延していることが明らかになりつつある今だからこそ、彼の発言が重みをもって聞こえてくる。

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