『印象派はこうして世界を征服した』 フィリップ・フック ②


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『印象派はこうして世界を征服した』 フィリップ・フック ①の記事の続き。

この本を読んで個人的に興味深かった点は主に3つある。「印象派作品はアウトサイダーによって見いだされ、評価されてきたこと」、「印象派作品が評価されている主因に欧米的〈進歩主義〉と〈個人主義〉の価値基準があること」そして「欧米で印象派作品は美術的価値と同じか時にはそれ以上に資産・経済的価値をみとめられていること」の3つだ。

生来、革新的なものをその派生理由に含む印象派の作品が、時代や国の権力者や本流ではなく、アウトサイダーによって評価されてきたことは、特に驚くことではない。フランスで生まれた印象派を、フランスにおける言わばアウトサイダーであったアメリカ人たちが寄ってたかって買い求めたことも、大きな意味でアウトサイダーによる再評価、と言えるだろう。さらに、そのアメリカ人たちの中でも、熱心に印象派を買い求めたのは、アメリカの女性たちであった。アメリカ人がフランス印象派の作品を買った最初の記録は、富豪の娘で後に砂糖王として知られるH・O・ハヴメイヤーと結婚した、ルイジーヌ・エルダーが、1867年にパリの画廊でドガのパステル画を買った時だという。

(テオドール)デュレは正しかった。アメリカは若く新しい国であり、文化的な世界においても新しい道を模索していた。アメリカは若く新しい芸術に対しても、より敏感だったのだ。ルイジーヌ・エルダーが最初にドガの作品を買ったとき、彼女がたった十六歳だったことは偶然ではない。

この時、ルイジーヌ・エルダーに付き添っていたのが、アメリカ人の画家メアリー・カサットであり、彼女はアメリカ社会での印象派作品の評価について、絶対的な影響力を持っていた。彼女自身、勉強熱心な画家であり、美しく繊細な色彩の作品を描いたが、《印象派絵画の販売促進という面において、もっとも重要な点は、結局のところカサットの社会的背景にあった》。カサット家はフィラデルフィアの富豪として有名で、兄はペンシルヴァニア鉄道会社の社長となった人物だった。シカゴで最も豪華なパーマーハウスホテルを手掛けるポッター・パーマーの夫人、ベルト・オノレ・ポッター・パーマーなど、大富豪出身の女性たちが、アメリカ富裕層におけるフランス印象派作品の評価を高め、普及の推進役となったのである。

フランスのモダンアートの普及において、重要な役割を果たしたのがアメリカの女性たちであったことは明らかだ。(略)ヨーロッパに向かう旅では、女性こそが開拓者となり、導き手となり、推進力をもつようになっている。女性は新しい都市社会における世俗的な、そして美的な向上心を体現する存在となった。女性たちは美術鑑定家であり、美術品の顧客であり、装飾家であり、投資家であった。

フランス文化を代表する印象派作品の評価が常に政治的に重要な意味をもっていたドイツでは、それを評価するのがアウトサイダーであるのは当然のことだった。ここでのアウトサイダーは、ユダヤ系の人々だ。

ドイツのユダヤ人は1871年にようやく市民権を得たばかりだったが、これはこの国の巨大な経済成長の始まりのときと偶然ながら時期を一つにしており、その結果、莫大な個人資産が生まれた。生来の世界主義(コスモポリタニスム)が、銀行間の国際的な協力関係によって強化された結果、ユダヤ人はパリでおこっている新しい動きにも心を開いていた。

フランスとの軋轢の歴史が長いイギリスでも、フランス印象派作品を見初めたのは、非国教会派や地方、アイルランド出身などのアウトサイダーたちだった。著者は、イギリスにおける最初の印象派コレクターであるブライトンの退役軍人であったキャプテン・ヒル、印象派を擁護したアイルランド出身の作家ジョージ・ムーア、1905年にデュラン・リュエルから最初の作品を購入したアイルランド人の画商ヒュー・レーン、ウェールズの炭鉱ブームで蓄えた莫大な富で印象派作品を買い集めたメソジスト信者のディヴィーズ姉妹、そして英国の実業家で最初の熱心なコレクターになったサミュエル・コートルードなどの例を挙げている。

しかし、おそらくは、彼女たちの場合もまた、基本的にアウトサイダーだったということが影響しているのは明らかだろう。ブライトンのヒルは地方人、レーンはアイルランド人、デイヴィーズ姉妹は単に女性ということだけでなく、ウェールズ地方出身者でもあった。その誰もが、ロンドンを中心とするイギリス社会の主流には属していない。

より重要なのは、彼がデイヴィーズ姉妹と同様に、非国教会派(彼の場合は、ユニテリアン派だった)として育てられたという事実かもしれない。ここでも、アウトサイダーであるという例の傾向が繰り返されている。(略)したがって、コートルードにとっては、革新的なものを受け入れることはより容易だった。そして、ディヴィーズ姉妹と場合と同様に、とりわけ印象主義は、若い時期に清教徒主義によって抑圧されていた彼の人生に、精神的な歓びという衝撃を与えてくれたのかもしれない。

新しい革新的なアートを崇めるのは、常に保守本流ではなく、そこから外れた人たちである、というのは至極当然のことのように思える。しかし、今では当たり前のようになっているそのモダンアートの常識は、印象派によって先鞭をつけられたのだ。印象派はモダニズム芸術の始まりであり、何よりも「進歩主義」を象徴する芸術となった。著者は、そのことが、ここまで印象派作品の評価が高まり世界中に広まったことの大きな要因の一つである、と主張している。

新たに財力を得たすべての世代が、まるで磁石に吸い寄せられるように印象派に惹かれる理由はおそらくそこにある。ここには不朽の神話がある。そしてそれは〈進歩主義〉の神話でもある。われわれは、われわれの祖先よりも賢くなっているという神話であり、印象派のコレクターたいはそれらの神話によって自信を新たにすることができた。ファン・ゴッホのような芸術家は、生前は人々に理解されることがなかった。だが今の私たちならば、彼を理解できるのである。

もう一つ、本書の結びの文章を引用しておこう。

印象派絵画を魅力的だと感じるのは、さまざまな理由による。その色彩の明るさや、主題の晴朗な魅力、印象派の画家たちが記録した時代そのものの魅惑、画家の真筆であることの確かさ、絵画様式としてのわかりやすさ、そしてモダンアートの先駆けとして、また自身の生きていた時代には理解されなかった不遇な画家として、彼らを長く彩ってきたロマンス。永続する印象派の神話に人々が満足するのは、何よりそれが、人間は進歩しているのだという安心感と、そして過去と照らし合わせて自己満足を感じる機会を与えてくれるからなのかもしれない。なぜなら、印象派の画家たちと同時代に生きていた、心得違いの哀れな人たちにとって、印象主義は理解するのに難しい芸術だったが、彼らの啓蒙された子孫であるわれわれにとっては、それを理解するのはたやすいことだからだ。印象派絵画はただ持ち主の富を証明するためのものでも、またただ目を誘惑するためのものでもない。それは、観る人を心地よくさえ、自信をもたせてくれる絵画でもある。それこそが、印象派絵画の連勝の秘訣なのだ。

さらに、印象派の〈進歩主義〉とならんで重要だったのは、もう一つ〈個人主義〉という観点だ。前回の記事で、初めにフランスで印象主義を広めた立役者デュラン・リュエルが、現代にも繋がる販売方法として〈画家の個性のプロモーション〉を導入した、と書いた。不遇の才能あるアーティストという神話、アーテイスト個人の人生や思想についての信奉、は、今までアウトサイダーだったにも関わらず新たな力を手に入れたニュー・リッチやニュー・エリートたちの新たな価値観である〈個人主義〉とマッチしていた。さらに、そういう画家個人主義を尊重した結果が、作品の特定やリスト化を必要かつ容易にした、という側面も重要だ。著者はこんな風に述べている。

だが、その上昇の波は、なぜ過去の巨匠(オールド・マスター)の作品よりもむしろフランスの印象主義によって牽引されたのだろうか?(略)だが、もう一つの要因もあるだろう。専門知識の蓄積によって信頼に足る鑑定が可能となった印象派の作品は、反論の余地のない真筆作品として認められうるものだからだ。過去の巨匠の作品は、たとえそれがどんなに重要なものであれ、画家の真筆であるかについては、常に批評にさらされる不確実性をもつ。しかし、先見の明のあったデュラン・リュエルやベルネーム=ジュヌのような初期の画商たちは、自身が扱った画家たちの作品を写真記録として包括的に残しておくことにこだわった。そのおかげで、主要な印象派の画家たちの全作品の図版を収録した、反論の余地のない作品総目録(カタログレゾネ)をつくることが比較的容易になった。したがって、ギリシアの船主であろうが、ハリウッドの映画スターであろうが、ロンドンの不動産王であろうが、美術についてさほど詳しく知る必要もなく、ただ自らが買いたいと思えば、目にしいたマネやモネ、ルノワール、シスレー、ピサロ、ドガといった画家たちの作品が本物であるかどうかを確実に知ることができるのだ。

確かに、近代より以前の画家は、画家個人のテクニックや着想が重要というよりも、流派や工房的な性格が強かった。著者はオールド・マスターの例としてレンブラントの作品を挙げているが、そのレンブラントも、市民層の旺盛な注文に応えるために、きわめて近代的で効率的な工房のような体制を敷いていたことは、若林直樹氏が『退屈な美術史を止めるための長い長い人類の歴史』で指摘していた。アーティスト別の目録が整備されている、というのも、ある意味で、画家の個人主義が確立された成果と言えるだろう。いくらダ・ヴィンチやミケランジェロが芸術家として評価されていたとは言え、注文主たちは自分の所有物のリスト化には躍起になったであろうが、他のパトロンが所有しているダ・ヴィンチの作品までカタログにしようとは微塵も思わなかったに違いない。アート界における個人主義の伸長と、作品の所有権の流動化や市場の成熟化が無ければ、アーティスト別のカタログは存在し得ない。こういう観点は、さすがアートマーケットに長らく関わってきた著者ならではの観点であり、とても面白いと感じた。

最後に、「欧米で印象派作品は美術的価値と同じか時にはそれ以上に資産・経済的価値をみとめられていること」という点について。絵画作品を美術的価値からだけ捉えるのではなく、経済的・社会的価値からとらえる、というのは、欧米では一般的なことなのだが、日本の美術史や文化史ではそうでもない。前回の記事の冒頭でも述べた通り、私はその手の本が大好物なのだが、日本の学者による研究や日本語に訳された本を探すのは意外と難しい。アメリカの富裕層が19世紀末から競ってフランス印象主義の作品を購入したのは、もちろん、文化的な憧れや革新的な美術を求める精神性もあるが、以下のような極めて実際的で経済的な理由があったことは、もっと注目されていいと思う。

ただし個人コレクションを公的な美術館に寄贈する流れにはずみをつけたのは、アメリカの税制の改正だった。この改正により、美術品を美術館に寄贈した人は、自身の申告価格の三十パーセントの税金を免除されることになり、しかも生存中は、その作品を所有し続けられるのである。寄贈によって利益を受けることになる美術館が作品評価の責任を単独で負っているため、いわば〈寄生型美術館〉(マッシュルーム・ミュージアム)の総収穫高は成長を続けることとなった。(略)この税法は一つのトリックだった。もともとの購入価格よりもはるかに高い金額で免税のための価格評価を行ない、寄贈者が利益を得られるようにするのだ。したがって富裕層にとっては、印象派画家にいったん高額の金額を費やすことで、実際にはあとで利潤を得ることができることになる。

アカデミックな学者の先生たちには、高貴な美術品と金勘定を秤にかけるなど思いもよらないかもしれないが、これは、中々すごいことである。アメリカの富裕層にしてみれば、購入した印象派作品が高ければ高いほど、自分の税金は節約できるわけだ。貴重なコレクションを次代に引き継ぐことはできなくなるものの、あまたの宝石や広大な土地屋敷はより税金を節約して相続させられる。美術館からしたら、のちに自分たちのものになる作品の評価が高ければ高いほど良いに決まっているので、当然美術館が印象派の評価を高めるインセンティブが働くことになる。このことが印象派の美術的な価値を左右するわけではないが、社会的な評価には大きく影響していたはずだ。

絵画作品は経済的価値のある資産であり、時には投資商品にすらなりうる。それは欧米では至極当たり前のことで、絵画作品は、豪勢な屋敷やヨットや持ち馬などと同じく「富豪の資産」の代表格的存在なのである。世界大戦後の印象派絵画作品をめぐるイメージ形成について、著者はこんな風に述べている。

神話が生まれた。ハリウッドスターとギリシアの船主のライフスタイルから想像される大富豪のイメージである。いつの世も大衆は大富豪の私生活に興味をもっており、今日ではそういった人々の興味に応じて、すべての雑誌産業がつき動かされている。1950年代に富のイメージを公にする方法の一つは、印象派絵画の収集だった。それはただ単に大富豪がルノワールやモネの絵を家の壁にかけているという単純な事実ではない。肝心なのは、その生活に憧れる世界中の人々が、大富豪たちがそうしていることを知っている、ということだった。この頃までには、印象派絵画は確実にーそして見たところ永続的にー憧れの金持ちを象徴する品物となっていた。

マイケル・フィンドレー著『アートの価値、マネー、パワー、ビューティ』村上隆『芸術起業論』を読めば分かる通り、この流れは印象派作品から始まって、モダンアートの世界にしっかり受け継がれている。印象派は多くの作品が描かれた後に、金持ち達によって購入されたが、それ以降のモダンアートは、パトロンとなるべき人々(それは富裕層であったり、それに憧れる民衆だったりするわけだが)のニーズと欲望をどのように作品に昇華させるのかが、画家にとってももマーケットにとっても重要になっているはずである(最も重要だとは言わないが)。日本でも、美術史や文化史において、作者の芸術的欲求や様式だけでなく、もっと作品の背景にいるパトロンやマネーの存在の大きさに注目した研究がなされても良いのではないかと思う。

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