書評・小説 『嫉妬』 森瑤子


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森瑤子デビューしてから3作目となる本。中篇の表題作の他3つの短篇が収録してされている。表題作は、何不自由ない生活を送っていると思っていた人妻の主人公が、ある日突然、夫から不貞の告白をされ、夫婦や親子の関係に悩み葛藤する心理を細やかに描いていて、当時「すばる文学賞」を受賞している。

『秋の日のヴィオロンのため息の』『ジゴロ』の記事で、森瑤子の小説によく使われるモティーフを「三種の神器」などと茶化したが、この作品には、彼女の小説に多用される「三種の神器」的即物的モティーフではなく、心理的モティーフが出てくる。

最も顕著なのは、「海」に関わるモティーフだ。森瑤子の小説では、よく海岸の別荘という場面設定が出てくるが、言うまでもなく、これは、彼女が実際に所有していた三浦半島の別荘をモデルにしている。表題作の『嫉妬』も、荒崎の別荘で休暇を過ごす優雅な商社マンや海外駐在員たちの生活ぶりからストーリーが始まるのが印象的だ。

しかし、彼女にとっての海は、そういう優雅な一面だけを意味していない。森瑤子が後にエッセイなどで語るように、彼女は幼少時代を母方の実家がある伊豆半島の漁村で過ごしたことがあり、ここで、彼女のトラウマとなるような体験をしている。その中で特に彼女が繰り返し語っているのは、居候として肩身の狭い思いをしている母と共に海岸に海藻拾いに出かけ、幼い彼女が置いてけぼりになりそうになった、という、「厳しい母」「愛されなかった娘」という彼女のトラウマを象徴するエピソードだ。

麻衣は夢を見る。何十回となく見るあの同じ夢。

彼女は五歳で、そして夢はいつも駆けだしているところから始まる。得体の知れない不安で、厭な気分だ。麻衣の五メートルほど前方に、彼女の母親の背中が見える。肩の表情の固い後姿だけしか見えないが、確かに麻衣の若い頃の母なのだ。なぜか娘を振り切る早さでずんずん遠ざかる。何かの理由で母親を怒らせてしまったのだと思われる。右手にはどす黒い荒れた海があって、風が吹いている。大小の丸い石ころの上を何度かつまずきながら、走るのだが、母との距離はどうしても五メートル寄り縮まらない。忘れられ、置き去りにされることへの凶暴な恐怖が、五歳の麻衣を突き上げ、彼女を走らせる。(略)そして酷く寒い。海からの烈風が肌に突き刺さる。どうしたわけか麻衣のスカートの前が濡れているのだ。運動靴の中にも水が入り、靴下が気持悪くて、泣きたいのだが、泣いてはいけないと、思っている。母は時々、ひょいと躰をかがめては、水の退いた後から素早く、何か黒い濡れたものを拾い上げる。母との娘の距離が少し縮まる。すると麻衣の胸に冷たい悲しみが滲む。麻衣には突然にわかる。五歳の少女から、三十七歳の大人の女に戻る眼覚めの過程の中で、自分が決定的に恐れていたのは、拒否の声、愛を否定する母の声だったのが、わかる。

だから、彼女の海は時に荒廃していたり、非情だったりする。優雅な別荘生活の海と、非情な海は隣合わせなのだ。ヒロイン達は、よく嵐の過ぎ去った後の海岸で流木や貝殻を拾ったりするが、その姿はいつも孤独と不安に満ちている。(彼女の娘マリア・ブラッキンが書いた本のタイトルは『小さな貝殻』であり、母親が三崎の海岸で拾った貝殻に因んでいたのを思い出してほしい)それから、『嫉妬』では、恋人同士が波に飲まれ片方が溺死する、という事件が起こるが、この「溺死する恋人」のモティーフも、『パーティーに招んで』の「渚のパーティー」など、何度か彼女の小説に使われている。

海のトラウマと言えば、彼女にはもう一つ大きなものがあって、それは、やはり伊豆半島の漁村で幼少時に目撃した残虐な「イルカ漁」である。これは、そのまま「海豚」という短編に集約されている。

もう一つ、彼女の小説によく使われるモティーフに、「女盛りの痛み」というのがある。これは、結婚と生活の倦怠感がまさに「肉体的な苦痛を伴って」感じられる、というイメージである。

倦怠に蝕まれると、どこがと正確には指摘できない肉体のある一点に、疼痛が起る。それが果して、実際には肉体の痛みなのか、いわゆる抽象的な心の痛みというものなのか区別は判然としない。あるいはその二つが渾然と一体となったものなのか。

「彼女の問題」という短編で詳細に語られるこの痛みを、森瑤子は他の作品でも繰り返し登場させている。「痛み」に関係するものとして、「砕けたガラスを強く握りしめる」という行為があって、この本の中だけでも、「嫉妬」と「彼女の問題」のヒロインが全く同じ行動をしている。

全体として、この本は、森瑤子の今後の作品に多用されるイメージとモティーフに満ちている。母や娘との関係、夫婦のセックスの問題(妻がオーガズムを感じられないという問題)なども同様だ。森瑤子は数年後に、河野貴代美という有名セラピスト(『森瑤子の帽子』にもインタビューが出てくる)に心理カウンセリングを受け、その様子を『夜ごとの揺り籠、舟、あるいは戦場』という半自伝的とも言えるような小説にするが、この『嫉妬』という本は、この『夜ごとの揺り籠、舟、あるいは戦場』という本と、言わばレコードのA面とB面のような関係にある。作家の内面に興味を持たれた方は、是非、両方の本を読んで見ることをお勧めしたい。

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