『秋の日のヴィオロンのため息の』をお得に読む
ちょっと(実はかなり)恥ずかしいことを打ち明けるのだが・・・森瑤子が好きである。いや、好き、というほどではないけれど、多くの文学少女がかつて来た道、彼女を通して思春期にフランソワズ・サガンやマルグリット・デュラスを知った私は、大人になっても無下にはできない何かが残る。バブル作家だと言われようと、スノッブで俗っぽいと言われようと、否定はできないが、やっぱり嫌いにはなれない。いい歳になってしばらく離れてはいたけれど、なんだか最近、また気になってきている。一昨年(2018年)に、幻冬社から『森瑤子の帽子』が発売され、ちょっとだけブーム再燃しているのもあるし、何より、村上龍の『ラッフルズ・ホテル』の記事でも書いたように、こんな世知辛い世の中で、バブルのスノビズムが返って新鮮に親しく思われる、というのもある。誰がそんなに目くじら立てているのか知らないが(なぜか、身の周りにはいない)、有名人の不倫やら金の使い方やらに喧しく騒ぎ立てる風潮に白けた気持ちで、「こんなに物や金や感覚的快楽に満たされているのに、なぜ幸せじゃないの?」という悠長な自己陶酔が、なんだか少し羨ましい。
森瑤子の作品はそれこそ膨大な数で、似たような作品も多いし、全作品とは言わないが、それでも結構読んでいる。デビュー作の『情事』をはじめ、『女ざかり』や異国情緒溢れる『カフェ・オリエンタル』『ホテル・ストーリー』など何度か読み直したものもある。で、この『秋の日の ヴィオロンの ため息の』も、実は何度か読み直しているものの一つである。ポール・ヴェルレーヌの詩を上田敏が「落葉」と題して和訳したものからとられたタイトルのこの小説が、これまた、たまらないほど森瑤子スノビズム満載の中編小説なのである。
冒頭から、絹のランジェリーを身に纏い、寝室でよく冷えたシャブリと細い葉巻のシガリロを味わいながら、逢引前の時間を楽しむ有閑マダムの阿里子。高校生の娘は彼女を「ママン」と呼び、夫婦の倦怠やらママンの不倫のお相手やらフォークナーの説く「虚無」と「傷心」やらについて語ったりする。。。
「結婚って、素敵よ。生活が安定するし、精神的にもそう。赤ちゃんが生まれてその子が育っていくのを見守るのも素敵。生活の心配をしなくていいし、老後の心配もいらない。死ぬことだって、パパと同じお墓に入るんだと思えば、それほど怖くない。これ結婚のいいところよ。結婚って、素敵で、でも惨め。幸せだけど不幸なの、わかる?」
「わからない」
「そうよね、わからないわよね。パパのこと尊敬しているって言ったわね。多分、愛してもいると思うのよ。でもね、たった一人の男の人を何十年も愛し続けなければいけないことって、惨めなことよ。退屈だし、ときどき死にそうな気持ちになる。これから先何十年も、パパとだけアレをしなければならないのかと思うとき、ときどきだけどあのことが結婚生活の中で一番堪え難い義務そのもののように感じちゃうの。ごめんね、弓子。こんなこと聞くのは辛いわね。言わなければよかったわ」
いや、説明してるこっちがこっぱずかしくなるような設定である。もう、ストーリーなんてこの際どうでもいい。しかし、時に気恥ずかしさに身悶えするくらいな気持ちを堪えながら、読み進めていく。いや、誰も、そんな思いしてまで読め、と言ってないんですけど(笑)
森瑤子スノビズムを彩るのは、お決まりのディティールである。「文化」「食&酒」「高級品」これを名付けて、「森瑤子三種の神器」と呼ぶ(今考えました)。この作品においては、まず「文化」では、デュラス、フォークナー、マヌエル・プイグの小説、長田弘の詩集などの文学作品。「食&酒」では、前述のシャブリに加え、情人と楽しむタイ料理や夫と囲む田舎風フレンチのレストラン。娘が結婚した男性と2人きりで行く気儘なインド旅行(ありえない設定)のホテルでは、「フローズン・ダッカリー・プリーズ」(注:フローズン・ダイキリではなくフローズン・ダッカリーと言いましょう)。「高級品」の陳列台には、シガリロ、レッドフォックスの毛皮、クリスチャン・ディオールのオーソバージュなどがございます。
森瑤子の、読んではすぐ忘れてしまうような小説群では、人妻の焦燥と欲望と不倫の恋と、この「三種の神器」のディティールが、手を変え品を変え繰り広げられる。ただ浸っている時間だけが楽しい読書だが、よくよく考えれば、日本の売れっ子作家の小説には、似たような要素が盛り込まれているのだ。大御所村上春樹はもちろんのこと、宮本輝、田辺聖子、江國香織 ・・・最近読んだ平野啓一郎の『マチネの終わりに』だって、読者ウケ狙ったこの手のディティールがわんさか盛り込まれている。なんだかんだ言って、みんなスノビズムがお好きなのだ。
たまには、行くところまで行ってしまってるこんな小説を読んでみるのだっていいじゃないか。ブリっ子やアイドルを極めた松田聖子や郷ひろみを目の前にしたような、不思議な爽快感がある(よくわからない)。ビバ、スノビズム!ビバ、森瑤子!である。おしまい。
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