『儚い光 』をお得に読む
カナダの詩人アン・マイクルズによる長編小説デビュー作。初版は2000年で、イギリスで最も権威ある女性文学賞であるオレンジ賞(後のベイリーズ賞、現在の女性小説賞)を始め、カナダ、イギリス、アメリカで文学賞を10以上獲得した名作だが、日本では絶版となっており、私も全く知らなかった。佐渡島康平さんの『WE ARE LONELY BUT NOT ALONE』の巻末で、佐渡島さんが絶賛していたので、興味を持って読んでみた次第。めくるめく物語、長い長い詩を読んでいるような不思議な体感、素晴らしい作品。
ナチスドイツによるユダヤ人のホロコーストについての記憶を巡る物語である。ポーランド出身の少年ヤーコプは、ナチスに目の前で家族を虐殺されるも偶然一人だけ生き残り、遺跡発掘に来ていたギリシア人の地質学者アトスに救われて、アトスの故郷、ザギントス島に連れてこられる。その後、アトスと共にカナダのトロントに渡り、辛いホロコーストの記憶、生き残ったことへの自責の念と戦いながら、アトスの死、初恋、美しく奔放なアレックスとの結婚と挫折、そして宿命的なミケーレとの出会い、とヤーコプの半生が綴られていく。
まず何より、アトスがヤーコプに伝える世界観と不屈の愛情の描写が美しい。地質学者のアトスは、壮大な地球の歴史と人類の儚い歴史とを重ね合わせる、痛ましく悲惨な人間の過去を、もう一つの時間軸で捉える術を知っている人物なのである。
アトスは、目に見えない世界も、見える世界と同じくらい現実的なものとして存在していると信じていた。たとえば、泥の下に埋まってじっと動かない静かな森や町々。泥炭のなかで彫像のように保存される“沼沢人“の世界。地中にはいった人たちが、ふたたびでられるときを待っている場所。地面の下から、水の底から、鉄の箱から、煉瓦壁の奥から、旅行鞄から、梱包用の箱から、出られるときを待つ人たち・・・・・。
アトスの壮大な世界観と豊穣な知識を伝授され、徐々に癒されながらも、余りに過酷過ぎる体験と記憶から、ヤーコプは中々抜け出せない。夜毎、悪夢に苛まれるヤーコプにアトスは言う。
「きみが自分を傷つけたら、ヤーコプ、わたしも自分を傷つけなくてはならなくなる。わたしのきみに対する愛情がなんの役にもたたなかった証拠だからね」
結局、ヤーコプは、アトスの死後、彼の戦時回想録の著述を継ぎながら、初めて女性と恋に落ち、結婚生活を始めるが、彼の悲惨な体験とホロコーストの記憶とを克服できない。妻のアレックスは去っていき、五十も過ぎた歳になってヤーコプは、二十五歳も年下の聡明な女性ミケーラと宿命的な恋に落ちる。彼女との愛の生活の描写は、抑えていたものが一気に溢れ出すような力強さと美しさに満ちていて印象的だ。
これだけの紆余曲折を経て真実の愛に辿り着いたにも関わらず、この物語の結末は決してハッピーなものではなく、むしろ不幸なものですらある。しかし、それでも、このヤーコプとミケーラの愛、そして、アトスが教えて残したものは、この悲惨な過去を克服する力強さを秘めている。それが、物語を最後まで読み通して読者に残される実感である。
『世界の8大文学賞』の記事で、現代文学の一つの鍵は「記憶の揺らぎ」なのではないか、と述べたが、この作品でも「記憶」はメインテーマだ。
ザキントス島をでるときに、アトスは言った。「なにか儀式をしなくてはね。きみのご両親や、クレタ島のユダヤ人たち、そして名前を覚えていてくれる人のいないすべての人たちのために」
わたしたちは加密列(かみつれ)と罌粟をコバルト色の海に投げた。アトスは真水を波間にそそいだ。“死んだ人たちが飲めるように“と。
それからアトスはセフェリスの詩を暗誦した。「“ここに海のわざ、愛のわざがおわる。いつかここに住む人よ・・・血がきみの記憶を暗くするときは、わたしたちを忘れないでほしい“」
わたしは思った。海を動かすのは、憧れであると。
霊が肉体を忘れるのに何世紀かかるのだろう?わたしたちはどのくらいのあいだ、自分のまぼろしの皮膚が岩の表面にはりつけられているのを、自分の脈拍が磁力線のなかで息づくのを、感じつづけるのだろう?殺されたことと、ただ死んだことのちがいは、どのくらい時がたてば溶けてなくなるのだろう?
深い悲しみは長い時を要求する。石のかけらですら長い期間にわたって放射線の息を吐きつづけるのなら、魂はどれほど執拗であることだろう?音波がどこまでも無限につたわっていくのなら、あの人たちの叫びはいまどの辺にいるだろう?わたしはそれらの叫びが銀河のどこかにあって、祈りのほうへ永久にむかっているところを想像してみる。
歴史は、道徳とは関係がない。できごとはただ起こるだけだ。だが、記憶は道徳とかかわりを持っている。わたしたちが意識的に(コンシャスリー)覚えておくものは、良心(コンシエンス)が覚えておくのである。歴史とは、“死者の書(トーテンブッフ)“、すなわち強制収容所の管理者がつけていた記録のようなものだ。それに対して記憶は“記憶の本(メモールブヒヤー)“、シナゴーグで追悼のために読みあげられる死者たちの名前をしるした書物に似ている。
歴史と記憶はできごとを共有する。つまり、時間と空間を共有する。どんな瞬間もふたつの瞬間なのだ。
なにかをなくしても、それをなくしたという記憶は、使い道をあたえられなければ死んでしまう。アトスならこうも言っただろうか。土地を失っても、その土地を記憶していれば、地図をつくることができる、と。
ホロコーストという愚かな惨事を包含した人類の歴史、そして忘れることのできない痛ましい個人としての記憶、そしてもっと遥かな時間軸で植物や鉱石が語りかける地球の歴史、それを辿ることのできる人間の叡知と想像力。アン・マイクルズは、言葉と物語の力によって、それを《闇に刺繍》するように紡ぎ出していく。それによって、読者は、詩の中に浚われたような、物語の中に取り込まれたような、不思議な読書体験をすることになるだろう。解説の川本三郎氏の言葉に納得する。
感動的、素晴しい、といった賛辞を不用意に使うのがはばかられるような小説である。どこか森のなかに身をひそめている美しい動物を見に行くように、読者は、この小説に静かに、息をひそめて近づいていかなければならない。
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