『コンビニ人間』 村田 沙耶香


「やなもん見ちゃったなあ」というのが読後の感想。決して作品や作者を貶しているわけではない。

村田沙耶香さんの作品を読むのは初めてで、特段興味があったわけではないが、Instagramで投稿が多かったようなので読んでみた。現代作家のものはあまり読まないのだが、自分と同世代の作家というのは、やはり時代感覚というのか切り取られた世界や登場人物の感覚がすごくリアルに感じられる断片があって、名作を読むのとはまた違った楽しみがある。そういうのを感じたくて、例えば山内マリコさんとか、森見登美彦さんとか、ちょっと年上だけど吉田修一さんとかの本を、急に手にとることがある。

コンビニ店員としてマニュアルにしたがい世界の部品の一つとなっている、そのときだけ自分も「普通の人間」でいられると感じられる主人公。

その主人公に投げつけられる言葉の数々。

「バイトのまま、ババアになってもう嫁の貰い手もないでしょう。あんたみたいなの、処女でも中古ですよ。薄汚い。縄文時代だったら、子供も産めない年増の女が、結婚もせずムラをうろうろしているようなものですよ。ムラのお荷物でしかない。」

「あんたなんて、はっきりいって底辺中の底辺で、もう子宮だって老化しているだろうし、性欲処理に使えるような風貌でもなく、かといって男並みに稼いでいるわけでもなく、それどころか社員でもない、アルバイト。はっきりいって、ムラからしたらお荷物でしかない、人間の屑ですよ」

「その腐った遺伝子、寿命まで一人で抱えて、死ぬとき天国に持って行って、この世界には一欠けらも残さないでください、ほんとに」

こういう言葉には不思議な既視感がある。実際に耳にしたのではない。こういう、人の敵意と悪意が剥き出しと言うよりかは、抽出されて原液みたいに濃くなってしまった言葉たち。SNSとか掲示板とかインターネットの世界で見かけるような言葉。私もついついSNSやらネットのニュースコメントやら毎日見てしまうのだが、時に(というより結構な頻度で)有名無名実名匿名を問わず、ものすごい悪意と敵意の応酬があって、本当にゲンナリしてしまう。上の言葉、小説では会話として出てくるのだけど、実際にはリアルなコミュニケーションでは、人はここまで饒舌に悪意を表現できないと思う。相手を前にしてならなおさらだし、電話で声にするのも、いや、書いて言葉にするのすら、一瞬ためらってしまうような、純粋培養の悪意。それが、ネットの世界では自然と顕在化してしまう。この小説のこういう会話を読んで感じた感覚はそれと酷似していた。

コンビニというのは「普通」であるようで実はものすごく不気味である。寸分の狂いもなくマニュアル化システム化され、24時間白々と明るく輝き続けるあの箱にみんな慣れきっているけれど、本当はすごく病んでいるな、と思う時がある。そのコンビニと同化したコンビニ人間になった主人公はもちろんもっと不気味である。

私は主人公にはまったく共感できないし、この小説にツッコミどころはいっぱいある。主人公の人格自体に矛盾があるし、そもそも他人の評価や意見を気にし過ぎだと思うし、みんな普通を強要するだけではなく、普通でいることと普通でいたくないことの葛藤があるのだと思うし、なんていうか、実際の世界は、こんな他人の評価と悪意だけで形成された単純な世界ではないと思う。

描かれている登場人物や世界はリアルに感じられない。だけど、この人たちの会話や行動を見て、ああ、たしかにこの世界観は知っているな、という気がした。この世界観は見たことがあるし、リアルだ、と。そしてそれはものすごく後味の悪いものだった。まあ、このタイトルと中身で後味の良いものを期待していたわけでもないのだが・・・しかし、嫌な気分である。著者の狙い通りなのだろう。次は牧歌的な小説でも読みたいなあ、となどと思って夜が更ける。

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