書評・小説 『すべての白いものたちの』 ハン・ガン


ハン・ガンは、韓国出身の女性作家。2016年に『菜食主義者』で、アジア人初の国際ブッカー賞を受賞して話題になった(当時は国際マン・ブッカー賞)。国際ブッカー賞と言えば、彼女に続け、と小川洋子さんの『密やかな結晶』が最終選考まで残り、惜しくも受賞を逃した、というニュースが昨年(2020年)あり、記憶に新しい。

この作品は、小説と言っても、散文詩のような短い章を繋げた独特のスタイルで書かれている。だから、短いけれど、文の一つ一つ、句の一つ一つが美しく鮮明で印象的だ。ストーリーという言葉には適してないような気がするが、「わたし」が第二次世界大戦で徹底的に破壊し尽くされたポーランドの街ワルシャワを訪れ、自分の死んだ姉、生まれるとすぐに目を開ける間も無く死んでしまった白い赤ちゃんの記憶を、白い街の中で呼び起こしていく。

生まれてたった二時間で死んでしまった赤ちゃんの記憶。もちろん、それは作者の生まれる前のことだから、作者の記憶ではない。でも、作者は、母を通じて、或いは、この世に生まれ出てすぐに消えてしまったその実の姉の魂を通じて、その記憶を辿っていく。そこに、白い街に戦争で消えていった死者たちの記憶が重なる。記憶は痛ましいのだけれど、命を託された「わたし」がさらに娘を産んでこの街に降り立ち、止まってこの作品を書き上げた、それがある種のカタルシスになり、救いになる。白さを追求した切ない物語の最後に、温かみが残されるのはそのせいだ。

生まれて二時間生きていたという母の初めての赤ちゃんがもし、ときおり私を訪ねてきて一緒にいたことがあったとしても、わたしは気づかなかったのだろうと。その子には言葉を覚える時間がなかったのだから。一時間は目が開いていて、母の方を見つめたというけれど、まだ視神経も働いていなかったのだから、母の顔を見ることはできなかったはずだ。けれども声だけは聞こえたのだろう。しなないで しなないでおねがい。理解できないその言葉が、その子が聞いた唯一の音声だったはずだ。

だから、そうだとも、違うともいえないのだ。その子がときどき私のところへ来ていたのかどうかについては、私の額や目のあたりでしばらく漂っていなかったどうか。幼い頃に私がふと覚えた感覚や、漠然とし思いの中に、知らず知らずのうちにその子から譲り受けたものがあったのかどうか。薄暗い部屋に横たわって寒さを感じる瞬間は誰にでも訪れるのだから。しなないでおねがい。解読できない愛と苦痛の声にむかって。ほの白い光と体温のある方へむかって、闇の中で、私もまたそのように目を開けて、声のする方を見つめていたのかもしれなかった。

これを読んだ時、アン・マイクルズの『儚い光』を思い出した。『儚い光』の主人公も、家族の中で一人だけナチスの虐殺を逃れた後、長い間、大好きだった姉の亡霊と共に生き続ける。血を分けたきょうだいというのは、ある意味で分身みたいなものだ。思春期を過ぎ、大人になり、生活が分かれていくにつれて、その感覚は薄まっていくのだけれど、生まれたての赤ちゃんや幼い子どもの頃は、特にその一体感が強く感じられる。『すべての白いものたちの』の「わたし」も『儚い光』の主人公も、幼くして死んでしまったきょうだいの記憶を共有している。本当は体験しているはずのない記憶を。まるで魂を分かち合っているかのように。

私はスピリチュアルなものには余り興味がないのだけれど、「胎内記憶」的なものだけは面白いなあ、と思っている。上の娘が幼い頃、「ママのお腹にいる時どんなだったか」というのを色々話させていたりしたのだけれど、ある時、急にその娘が「ママが子どもがいなくて寂しいって泣いてたから来たんだよ」と何気なく言った。実は、私は一番上の娘が生まれる前に初期流産を3度経験している。幸いというのかなんというのか、3度とも心音も確認できるかできないかくらい初期の流産だったので、まだ「赤ちゃん」という認識は薄い状態ではあったのだが、それでも心身共に中々こたえた。そんな話は子どもには一度もしたことがなかったので、娘の唐突な言葉にちょっとびっくりしたのだ。娘も、神妙に打ち明けたという感じではなくて、思わず口をついて出た、という感じで、本人はしばらくしたらその発言自体も忘れてしまったらしい。3度目の流産の時、大学病院で不育症の検査を受けていたのだけれど、まだ心音も確認できないようなその赤ちゃんの染色体検査結果は「女」とあった。その時は辛過ぎてすぐに心に蓋をしたけれど、その後娘が無事に生まれて、寝顔を見つめているうちにそのことを思い出した。

もしかしたら、小さな子どもが胎内記憶や或いはもっと溯って生命として誕生する以前の記憶を残している、というのは、科学的にもあり得る話なのかもしれない、とも思う。DNAがどんな形でその膨大な情報を伝えるのか、その多くはまだ解明されていないことが多いのだから。DNAが強いイメージや思いを伝える、ということだって全くありえないことではないのではないか。だとしたら、同じDNAを分かち合うものが生物学的には共有するはずのない記憶や思いを共有する、ということだって起こり得るかもしれない。子を失った母や幼くして命を失ったきょうだいの、強い記憶や思いに共鳴する、ということが。

幼いきょうだいを失った者が抱える最大の恐怖は「たまたま自分ではなかった」という思いだ。それは或いは「きょうだいが身代わりになったのだ」という罪悪感にも繋がるかもしれない。きょうだい同士が身体を超えて記憶や感情を共有し、DNAの複製としてまだとても近い、殆ど「交換可能な」ものとして意識される時、個人の肉体と命の境界線は曖昧になってくる。でも、それは、本当は人間全員がもつ恐怖なのだ。幼いきょうだいを失う、という悲惨な体験をしていなくても、人間は本当は生来「交換可能な」ものであり、「たまたま自分ではなかった」から生きているに過ぎない。でも、その事実を救いがないと思うか、そこから歩き出していけるか、その違いは「交換可能」ではない。

一つしかない寝室で子どもがこんこんと眠っている夜には、食卓の前に座り、または今のソファーベッドに毛布を敷いてうずくまり、一行ずつ書きついだ。

そうやってあの都市で、この本の一章と二章を書き、ソウルに戻ってきて三章を全部書いた。そのあと一年間、最初に戻ってゆっくりと手直しした。孤独と静けさ、そして勇気。この本が私に呼吸のように吹き込んでくれものはそれらだった。私の生をあえて姉さんー赤ちゃんーに貸してあげたいなら、何よりも生命について考えつづけなくてはならなかった。彼女にあたたかい血が流れる体を贈りたいなら、私たちがあたたかい体を携えて生きているという事実を常に常に手探りし、確かめねばならなかったーそうするしかなかった。私たちの中の、割れることも汚されることもない、どうあっても損なわれることのない部分を信じなくてはならなかったー信じようと努めるしかなかった。

血や肉を分けたという以上に、幼いきょうだいたちは何か別のものを共有している。自分の小さな子どもたちを見ていると、時々そんな風に思う。

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