書評 『ヴェネツィア 美の都の一千年』 宮下 規久朗


ヴェネツィアの建築、彫刻、絵画の歴史について、美術史家の宮下規久朗さんが、ヴェネツィア現地で見られる作品を主に解説したもの。宮下さんの美術書はとても面白くて、このブログでも『聖と俗 分断と架橋の美術史』『美術の力』など、何度か紹介している。タイトルでおや、と思われる方もいるかもしれない。塩野七生さんの『海の都の物語 ヴェネツィア共和国の一千年』と似ているのだ。「海の都」に対して「美の都」の「一千年」。宮下さんは塩野七生さんと共著で『ヴェネツィア物語』という本を出しているし、この本の参考文献でも『海の都の物語 ヴェネツィア共和国の一千年』を挙げているから、きっと意識してのことだと思う。私自身、塩野七生さんの本とこの本を同時進行で読み進めたのでとても面白かった。

美術史解説としてはスタンダードな内容だ。ヴェネツィア派は、15世紀末のベッリーニの明るい光に満ちた宗教画に始まり、『ヴェネツィア暮し』で矢野翠さんが絶賛していた生き生きとした説話画を描いたカルパッチオ。そして、ルネサンスには、謎の天才ジョルジョーネ、ヴェネツィア最大の巨匠ティツィアーノ、ティントレットにヴェロネーゼ、という黄金期を迎える。ヨーロッパにバロック美術の嵐が吹き荒れた17世紀には共和国の運命を暗示するように一旦停滞するが、18世紀には、ヴェネツィア最後の巨匠ティエポロや、大島真寿美さん『ピエタ』にも登場する風景画家のカナレット、ピエトロ・ロンギなど、最後の輝きを放つ。ベッリーニの明るい色彩に、レオナルド・ダ・ヴィンチの陰影法(フスマート)などの技術が影響を及ぼし、フィレンツェ派とは異なる独特の画風が発展した、と言うのが、ヴァザーリらによって定説となっている。

ヴェネツィア美術の頂点をなす十六世紀ヴェネツィア絵画は、ジョヴァンニ・ベッリーニの暖かい光と色彩によって開幕し、ジョルジョーネの詩情豊かな様式を経て、ティツィアーノがそれにローマの力強い古典主義を融合させて超人的な高みにまで上昇させた。そして、ティントレットはティツィアーノの劇的な表現力と構成を、ヴェロネーゼはティツィアーノの華麗な色彩表現と構想力を継承して発展させたといえよう。

ヴェネツィアはそれによってローマに匹敵する美術の中心地となり、ローマの線描に対するヴェネツィアの色彩という図式が定着した。

今回、この本と塩野七生さんの『海の都の物語』を並行して読んでいたので、「ヴェネツィア派」を特徴づける歴史的社会的背景という点が気になった。特に印象的だったのは、「ヴェネツィアの文化的源流はビザンツ帝国にある」と言う点と、「政教分離が徹底されていた」と言う2点だ。

ヴェネツィアはその始まりからビザンツ帝国との結びつきが非常に強かった。《彼らはローマ帝国の後継者であるビザンツ帝国から自治権を与えられ、ビザンツ帝国との結びつきを強めることで、イタリア半島での脆弱な立場を補強したのである》《このビザンツ帝国こそヴェネツィア文化の源流であり、そこから絶え間なく第一級の文物が流れ込んだことで、ヴェネツィアは中世の文化を開花させたのだった》

美術史的な観点から見れば、ヴェネツィア最大のシンボルであるサン・マルコ大聖堂が、純粋なビザンツ様式であることや、ヴェネツィア絵画の祖、パオロ・ヴェネツィアーノが、ビザンツ様式にトスカーナ地方で発展したゴシック様式を融合させた華やかな色彩を特徴としたことなどが挙げられるだろう。具体的な様式比較をしたわけではないのであくまで印象だが、このビザンツ美術の装飾性、特に宗教画にそれを取り入れているところは、ルネサンス期のヴェネツィア絵画にも大きな影響を及ぼしているのではないかと思う。そうでなければ、ティツィアーノの、あのバロックを先取りするような劇的表現、或いは、ティントレットのマニエリスムまで感じさせるような装飾的表現は、説明がつかないように思うのだ。

「装飾的な宗教画」の影響と対極的なのが、ヴェネツィアの徹底した「政教分離主義」である。これは、塩野七生さんも著書の中で何度も触れていることだ。カトリックから距離を置いた政治的・社会的背景が、ヴェネツィア美術の大胆な「宗教画の装飾性」を花開かせた同時に、宗教から離れた主題と言う分野を発展させた秘密かもしれない。ベッリーニやカルパッチオの説話画や記録画における精緻でかつ生き生きとした風景表現、ジョルジョーネの宗教的主題の曖昧さと幻想的な表現、そして、天才ティツィアーノが晩年に達した表現主義的様式は、一方で風景画や風俗画といったジャンルに受け継がれ、一方で、表現主義や抽象画というジャンルにも影響を及ぼしていると思う。

本書でも、宮下さんは、《素描よりも色彩を重視するヴェネツィア絵画は、輪郭線と色彩が溶解するようなティツィアーノの表現主義的な晩年様式において、その極限に達している》とし、20世紀アメリカの批評家クレメント・グリーンバーグが、《こうしたヴェネツィア派の絵画性はその後の西洋美術に脈々と継承され、二十世紀の抽象表現主義にいたるという系譜を示唆し、それを「ヴェネツィアン・ライン」と名付けた》と言う説を紹介している。

ヴェネツィア美術の複雑さと魅力は、そのままヴェネツィアという街の複雑さと魅力でもある。ビザンツ帝国を通してオリエント文化の窓口になっていたことはもちろん、16世紀にはフランドル画家ボッスの絵が何点ももたらされており、北方の写実主義の伝統を引きながらも怪しい魅力をもつ彼の幻想世界が、ジョルジョーネの絵画に影響をもたらしたのではないか、と著者は述べている。のちにスペインで独特の表現主義的画風を展開して活躍するエル・グレコは、当時ヴェネツィアの植民地であったクレタ島出身で、ティツィアーノの工房で学んでいたと言う。長い歴史の中で、オリエントの、北方の、南方の、幾多の貿易の品々と一緒に、人と文化が混淆し溶解し、独自の魅惑的な彩りを放ってきた都市、それがヴェネツィアなのである。

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