書評・小説 『太陽がいっぱい』 パトリシア・ハイスミス


小説の季節感って私にとっては結構大事で、特に夏は季節にぴったりの小説を読みたくなる。ブックリストも、夏だけは昨年と今年と2回も記事を書いているほどこだわりがあるのだ。お気に入りの小説を季節が来るたびに読み返すのも好きだが、新しい「夏の一冊」を見つけても嬉しくなる。

で、推理小説やミステリーにはとんと縁のない私だが、アラン・ドロン主演の映画と邦題で「夏の小説」というイメージが強かったこちらの小説を読んでみようと思ったわけ。実際読んでみると、前半の南イタリアの港町モンジベロでヨット三昧の日々は確かに夏らしいが、主人公が殺人に手を染めてから逃避行する後半部分も結構長い。

夏気分というよりもむしろ、旅気分を味わうのに最適な小説だ。ニューヨークの薄暗いバーから物語は始まり、主人公のトム・リプリーが思わぬ縁から豪華客船で渡欧し、フランスのパリからイタリアのナポリを経て、陽光の溢れるモンジベロへ。モンジベロの毎日がヴァカンスのような暮らし、ディッキーと思いつきで出かけるナポリとローマでの馬鹿騒ぎ、カプリ旅行、そしてサンレモの船上でデッキーを殺害し、彼になりすましてパリからリヨン、アルル、サントロペ、カンヌ、ニース、モンテカルロへと南下し、ローマでの暮らし、そして、そこで第二の殺人が起こり、再びイタリア、シチリアからヴェネツィアへのクライマックス。

ローマのコロッセオを酔っ払って歩いたり、リヨンとアルルでヴァン・ゴッホが描いた場所を見て回ったり、ローマのグッチで新しいスーツケースを買ったり、夕闇のパレルモの大聖堂に感動したり、ヴェネツィアの優雅なパラッツォに居を構えたり、、、、アメリカ出身で後半生をヨーロッパに移住して暮らした、という著者らしく、外国人目線からの欧州豪遊気分が味わえるよう工夫してある。

推理小説やミステリーはいまいちノれない私なのだが、この小説は、謎解きではなく心理的サスペンスがメインなので面白かった。主人公のトム・リプリーが抱く、若者らしい自分への焦燥感、恵まれた境遇にいるディッキーへの羨望と疑似恋愛的感情などが、繊細に描かれている。特に、トムの「何者かになりたいけれど何者にもなれない」焦りが、ディッキーへの歪んだ愛憎とないまぜになっている感じが、突発的な殺人や、その後殺した相手になりすまして平然と暮らし続ける、という、普通ではありえない展開を臨場感溢れるストーリーに変えている。

私はアラン・ドロン主演の有名な映画を観ていないのだが、巻末の解説を読むと、どうやら映画の方は、このトムのディッキーへの同性愛的感情については薄めてあるらしい。これはちょっと残念な気がする。トムのディッキーへの複雑な感情、というのは、なぜ、トムがディッキーを殺害した後、彼になりすまして暮らし続けることに拘るのか、というストーリー展開の重要なキーになっているからだ。

追い詰められて第二の殺人まで犯し、逃げ場のなくなっていく主人公トムが、最後にあっさりと解放されてしまうラストも意表をついていて面白い。ここまで心理的な緊張感を持続させながら、最後に主人公を待っているのが破滅ではなくて大円団というのが、著者の仕掛けた最大のトリックかもしれない。

ただ、筋書きの面白さだけでなくて、この小説を面白くしているのはなんと言っても、主人公の個性や感情のビビッドさである。原題が邦題とは全く違う『The Talented Mr.Ripley』となっているのも頷ける。トム・リプリーはある意味ものすごいtalentedだが、中身のあること何もしていない、という意味で、それは壮大な皮肉でもある。巻末の解説では、作家の丸山才一氏が、《「才能あるリプリー氏」というタイトルは、ヒトラーの肖像あるいは戯画ではないか》という見解を紹介している。ヒトラーとの関わりは定かではないが、トム・リプリーがただ「何者にもなれない」若者の一般化ではなくて、非常に魅力的なキャラクターであることは確かだ。だからこそ、パトリシア・ハイスミスはこの作品の続編まで書いているのである。続編の方も読んでみたい。

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