書評・小説 『ノモンハンの夏』①


お気楽な性格なので、重苦しい本は興味を覚えても、ついつい読むのを後回しにしてしまう。それでも、数年前から、夏が来ると「戦争」をテーマにした本を最低一冊は読もうと、勝手に自分にタスクを課している。2018年マルタン・デュ・ガール『チボー家の人々』、2019年ティム・オブライエンの『本当の戦争の話をしよう』、2020年には船戸与一の『満洲国演義』シリーズを読破したが、昨年はスヴェトラーナ・アレクシェーヴィチの『戦争は女の顔をしていない』が辛過ぎて途中で挫折してしまった(苦笑)。今年は、『満洲国演義』を読んだ時に購入したまま積読本となっていたこちらの本に挑戦。

1939年(昭和14年)、満洲国とロシアの国境紛争に端を発した「ノモンハン事件」について、当時の大日本帝国の政局や軍部の内情、さらに、モスクワのスターリンとベルリンのヒトラー、日中戦争時の中国など、国際情勢も交えて書かれている。小説ではなく、綿密な取材と史料を元に書かれたノンフィクション作品で、筆者の半藤一利さんは、この作品で第7回山本七平賞を受賞している。

冒頭、東京都千代田区永田町にある三宅坂の説明から始まる。古くは加藤清正の上屋敷が建てられていたこの有名な坂の上、昭和14年の当時は、大日本帝国陸軍の参謀本部があったのである。著者は、この「三宅坂のエリート」達と、満洲事変以来自信をつけ、成果をあげようと血気はやる「関東軍参謀」達との対立を強調している。

関東軍作戦課はいまや、目鼻のはっきりしない参謀本部作戦課の集団主義とは違って、作戦参謀辻政信とかれをバックアップする作戦課主任参謀服部卓四郎という、きわだって戦闘的な二人を中心にして、独自の道を邁進しはじめた。東京の秀才的集団主義に対抗する新京の暴れん坊的個性主義の挑戦なのである。

この「エリートVS成り上がり」「本部VS現場」といった構図は、現代の日本社会でも脈々と受け継がれている。日本の大組織を知る者は誰でも嘆息せずにはいられない既視感がそこにある。ただ、何万人もの兵隊の命を犠牲にする、という結果の重みだけが際立っているだけで。こうしたエリート既得権益層が固定化し、硬直化が極まると、組織は正常に機能しなくなる。まず考えられるのは、お上の本部が、現場を無視した机上の空論や精神論を平気で振りかざすようになる、ということだ。

ソ連側が新種の戦車を導入したのに対し、機関銃にも耐えられないような「弱装甲」の戦車を使い続け、《陸軍にあっては「戦車は戦車なのである。敵の戦車と等質である。防禦力も攻撃力も同じである」という不思議な論理がまかりとおっていた》《「防禦鋼板の薄さは大和魂でおぎなう。(略)実際は敵の歩兵や砲兵を敵の戦車が守っている。その戦車をつぶすために戦車が要る、という近代戦の構造をまったく知らなかったか、知らないふりをしていた。戦車出身の参謀本部の幹部は一人もいなかったから、知らなかったというほうが、本当らしい」》或いは、ハルハ河渡河の作戦で、《給水や弾薬補給などまったく念頭になかった。転進理由として橋は一本というが、架橋材料がまったくないことを計画前に調べようともしなかった。》

しかし、末期状態になってくると、それだけではなくて、エリート本部は実際の現場を知らない、という隠れた劣等感から、現場の成り上がり集団に微妙な忖度をするようになる。逆に、現場の成り上がり集団は、頭でっかちのエリート本部を侮り、自分達こそが実情を知り正確な判断ができる、と驕るようになる。エリートとそうでない者との壁はますます高く、個人の能力や一代限りの努力でそれを乗り越えることが難しくなるため、「成り上がり集団」が分かりやすい成果を急ぐようになる。こうして、硬直化した組織の中で、指揮命令系統の奇妙な捩れと「下剋上」の風潮が生じてくる。天皇を神のように崇めながら、その統帥権を平気で無視したり、参謀本部が当初からソ蒙国境での全面衝突をできる限り回避するという方針だったのにそれが悉く守られなかったり、これだけの被害を出しながら責任の所在が曖昧なままだったり、という、外から見ていると全く首を傾げざるを得ないような事態に陥っていくのである。

この、「エリートVS成り上がり」という構図は、一番分かりやすく収斂しているのが「陸軍参謀本部VS関東軍」であるが、実際にはもう少し複雑に捻れている。「海軍VS陸軍」という関係もあるし「東京(本国)VS新京(満州)」「政府官僚VS軍」というもっと大きな構図も見え隠れする。船戸与一の『満洲国演義』では、維新後、既得権益層として力を持った「薩長閥」に対し、旧幕勢力を中心に割を食った非エリート層の不満と突き上げが、戦争への大きな原動力として暗示されていた(恐らく、作者の体力的な問題から、問題が十分に深掘りされなかったことがとても残念だ)。これは、常に歴史を読み解く大きな鍵だが、視点を広くとればとるほど、関係は錯綜し、捩れ、分析するのが困難になる危険を孕んでいる。それでも、戦争終結から70年以上が経過した今、日本はもっとこの観点から直近の戦争を読み解く必要があると思う。

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