『宗教から読むアメリカ』 森 孝一 ①


アメリカの政治や社会が、いかに宗教と深く結びついているかを語った本である。特定の宗教との関わりだけでなく、アメリカという国そのものが「見えざる国教」を、アイデンティティとして内包している、という点を著者は指摘している。

現代ドイツを代表する神学者であるユーゲン・モルトマンは、アメリカについてつぎのように語ったことがある。
アメリカは共通の過去を持っていないために、共通の未来についての意志を欠くと、昔の民族的アイデンティティへと逆行してしまう国である。

このように考えてくると、アメリカをアメリカたらしめているものは、広い意味で、「宗教的」であるということができることに気づかされる。同じ民族であるとか、共通の伝統を持っているとかいうような、「過去」に属する事実に根拠を置くのではなく、めざすべき「共通の未来」を共に信じることに根拠を置こうとする在りかたは、まさに「宗教的」であるといえるのではないだろうか。

著者は、大統領就任式の式次第が教会の礼拝のそれと酷似していること、大統領就任選挙では、妊娠中絶の是非や公立学校での「祈りの時間」の復活の是非というような、宗教的・文化的問題が多く取り上げられてきたことなどを例として挙げ、大統領というポストの宗教的な意味、また、いかに大統領就任式に「宗教的儀式」としての特色が強いか、ということを論じている。

(大統領就任式で)国民が新大統領によって語られていることを期待していることがら、それは「アメリカ合衆国とはどのような国家なのか」という「ナショナル・アイデンティティ」についての発言である。

アメリカにとって「見えざる国教」がどのようなもので、いかに社会に深く根を下ろしているか、ということと共に、非常に印象的なのは、そういう宗教的要素を支えている、著者が「草の根」と呼ぶ大多数のアメリカ国民の姿である。

彼女にとって、大統領とは単に政治の最高権力者であるだけでなく、「精神的指導者」でもあるのだ。これは彼女にとって、そうであるだけでなく、大半のアメリカ国民はそのように受けとめているのである。
「大半のアメリカ国民がそうなのだ」と言われるとき、その「大半のアメリカ国民」という表現に疑問を感じられるかもしれない。しかし、注意しなければならないのは、日本のマスコミ、・・・などのメディアが扱っているアメリカは、「大都会のアメリカ」「インテリのアメリカ」「ワシントンDCのアメリカ」であるという点である。そのようなアメリカは、アメリカの一面なのであり、それ以外に、「草の根」の大衆のアメリカがあることを忘れてはならない。

また、カルト的宗教(本書では「セクト的宗教」と呼んでいます)として弾圧を受けた人民寺院やブランチ・デビディアン、そして今も根強く残る反連邦政府的宗教団体について、このように述べている。

人民寺院もブランチ・ディビディアンも、連邦政府からの攻撃を繰りかえし信者たちに語ることによって、信者たちの結束を強固にしたが、同様のことは、反連邦政府の諸団体においても見られる。つぎに彼らが連邦政府による陰謀であると考えている事柄を紹介してみよう。・・・妄想としか思われない、このような情報がまことしやかに語られ信じられる背後には、連邦政府に代表されるような、現在のアメリカを支配している人びとは、自分たちとはまったく違った価値観を持っている人びとであるという、「草の根」の人びとの欲求不満があると思われる。

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