書評・小説 『青が散る』 宮本 輝


『青が散る』をお得に読む

いやー良かった。日本の現代作家の小説で、久々に浸りきって読んだ気がする。宮本輝も、森瑤子や村上春樹と同じく、母親の本棚から勝手に取り出して読み始めたのは中学生の頃、『螢川』より『泥の河』の方が好きだった。『錦繍』『優駿』『ドナウの旅人』に『花の降る午後』から『オレンジの壺』あたりまでの代表作は殆ど読んで、子供を産んでからは自伝的長編連作『流転の海』シリーズも読んだというのに、なぜかドラマ化までされたこの作品だけは読んでいなかった。きっと、一番ハマっていた頃に青春真っ只中過ぎて、あんまり興味が湧かなかったのだろう。

お金持ちの多い阪急エリアに新設された私立大学に入学した主人公、アホみたいに(この「アホ」は田辺聖子さんが言う関西弁の愛ある「アホ」である)テニスに明け暮れる4年間の青春。とにかく、主人公だけでなく、登場人物全員が生き生きとしている。みんな若くて、その若さを持て余して、生き迷っている。変に、主人公やヒロインの心理描写に深入りし過ぎない、その青春群像劇な感じが良い。『青が散る』というタイトルも素敵だ。若さ青さが乱れ咲き、点々と散っていく感じがする。

憧れのヒロインが黄色いベンツに乗って登校したり、香櫨園のテニスクラブで練習したり、ある意味でお気楽な「ええとこ」のお坊ちゃんお嬢ちゃん達のお話なのだが、恋に破れ、夢に破れ、友達が借金背負ったりヤクザに追われたり死んでしまったり、それなりに巻き起こる様々なドラマさえ、若さに昇華されていくところが、なんとも切なくて愛おしい。私はスポーツにはとんと御縁が無いが、主人公達が夢中のテニスの蘊蓄ですら面白い。特に、物語の後半、主人公が後輩だが技術はずっと格上の「ポンク」との練習試合に己の全てを賭けて戦うシーンは、熱血スポーツファンには程遠い私でもページから目が離せなかった。

「今日は何が何でも勝つんやぞォ。どれだけマッチポイントを取られても、逃げて逃げて逃げきって逆転するんや。テニスは、マッチポイントを取ってからが苦しいんや。一流も二流も関係ない。あきらめるやつが下で、あきらめんやつが上や。そやから二流の上は、一流の下よりも強いんや。」

若さが痛々しいほどの主人公だが、彼を取り巻く「大人の男」達の背中が見え隠れするのもいい。「人間は、自分の命が、いちばん大切よ」というフランス人菓子職人のペール、「人間は死ぬよ。哀しむべきことやない。ただ、人が死ぬということは寂しい。そやから人生はやっぱり寂しいもんなんや。しかし、俺は生きて生きて生き抜くぞ」という青年実業家の氏家。「若者は自由でなくてはいけないが、もうひとつ、潔癖でなくてはいけない」という辰巳教授。そして、物語の最後で、主人公もまた大人の男の階段を一つ上る。

思春期の頃に結構流行りの日本の現代作家の小説を読んでいたけれど、大人になってからは海外文学が多くて、何というか、日本の現代作家の軽さというか、情緒や微妙な心理にばかりフォーカスした小説をどこか物足りなく感じていた。そこが日本的良さでもあるのだけれど、いい大人になって、恋愛や世間の違和感や虚無感ばかりを具に洗っているだけでは、飽き足りなく思うようになったのだ。根本や柱となる宗教や哲学が無い(深い根元や大きな柱を失ったという前提も含めて)せいなのか、と思ったりもした。だけど、この『青が散る』を読んで、こういう情緒に溢れた日本的小説もやっぱり良いもんだ、と改めて思ったのである。哲学や歴史があるとか、社会的道徳的な意義が感じられるとか、「重たさ」だけに価値があるわけではない。こういう軽やかさの中でしか表現できないもの、昇華できないもの、癒されえないもの、というのも確かにあるのだ、という実感。

なんだか大層な話になってしまったが、こんなことを感じさせてくれる小説は近頃なかなかお目にかかれなかったので、記録しておいた。と言っても、私は、吉田修一の『最後の息子』とか森見登美彦の『夜は短し歩けよ乙女』とかの記事で分かる通り、「青春もの」に点が甘いのである。個人的趣味なのか、歳のせいなのか・・・中年や壮年の登場人物では深みが欲しいところでも、「若さ」を振りかざせば急に甘く切なく感じられるのは、失われたものへの郷愁と愛着が成せる技か。でも、日本の現代作家でも、森見登美彦さん、三浦しをんさん、吉田修一さん、など青春ものの小説は比較的良いものが多いように思う。(やっぱり歳のせい?)

ちなみに、こちらの小説、1982年に上梓され、翌年にはTBSでドラマ化された。出演者が、石黒賢、二谷友里恵、佐藤浩市、と二世俳優の新人揃いで話題になったそうである。私が物心ついた時には、石黒賢はトレンディドラマには馴染みの顔で、さすがに新人の石黒賢が話題となったこのドラマは記憶に無い。オープニングは松田聖子の「蒼いフォトグラフ」で、当時観ていた若者達には、この曲とドラマは切っても切り離せないらしい。演出家には、吉田秋生さんの名もある。(吉田秋生さんは、「うちの子にかぎって・・・」や「パパはニュースキャスター」「人間・失格」などの人気ドラマを手がけた演出家で、『BANANA FISH』や『海街Diary』などで知られる女性漫画家の吉田秋生さんとは全くの別人である。女性漫画家の吉田秋生さんファンの私は一時期「この方は漫画だけでなくドラマ演出まで手がける超人なのだ」と勝手に勘違いしていた)出演者やオープニング曲も時代を感じさせるが、作中に出てくる「人間の駱駝」という曲を、長渕剛が作曲した、なんてのも面白い。エセ関西弁が辛い為、東京の大学という設定に直されているというのが、阪急スノッブエリアファンの私にはちょっとガッカリだが、いつか、この昭和感溢れる(と予想される)テレビドラマの方も観てみたいな、と思っている。

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