エッセイはそんなにたくさん読む方ではないが、大好きで何度も読み直してしまうエッセイというのがあって、荒木陽子さんの『愛情生活』はそのうちの一つだ。この本の著者である天才写真家アラーキーの妻である。私はモダンアートは余りよく知らないし、写真となれば全然なので、正直アラーキーの作品にも業績にもとんと興味が無かったのだが、『愛情生活』の中の生活が本当に楽しそうで活き活きと描かれていて、すごく印象に残っている。
先日、岡本太郎とその養女(事実上の妻)敏子の本を読んで、なんだか芸術家の妻の器量、みたいなものを考えさせられてしまい、今度は女性側の意見ではなく、男性側の書いているものも読みたいような気がして、この本を手にとってみた。
本書でも「撮りたいとヤリたいはいっしょ」「写真を撮るってこと自体が、相手におイタをすることだ」「「なにしろ、自分が勃起しなきゃ女は撮れないよ」などと語っているアラーキーである。『愛情生活』では、結婚式で親族達の目前で新婦のヌードを流したり、新婚早々「海外での娼婦を撮りまくる」という娼婦ツアーに出かけていくエピソードが語られていて、こんな男と結婚して、「愛情生活」を堂々と営んでいる陽子さんの器量は並み半端なものではない、と思っていたのだが・・・
そんなアラーキーが語ったこの本の冒頭。
天女が男の才能を引き出す。-とオレは思っている。それがオレの場合、亡くなった妻ヨーコだったんだ。
うーん。この一言でノックアウト。こんなことを言われたら、相手の天女になるしかないではないか。先に天女になった女がすごいのか、むしろ天女を認めた男が一枚上手なのか・・・
本書全体では、女性の美しさや本性、といった女性論の他に、写真は被写体と撮る者とそして見る者の三者のコミュニケーションである、というようなアラーキーの写真論的なことが、軽い感じで語られているが、一番面白かったのは冒頭の陽子さんとのことを語ったくだりだったかもしれない。
天女が男の才能を引き出す、っていったけど、じつは引き出すっていうより、天女っていうのは、男を天才へ導いてくれるんだよね。だから、極端な話、男は才能なんていらないわけよ。天女様が「天の才能」に導いてくれるから。オレにとっては、それがヨーコだったわけだ。
だから、すべての男は、自分にとっての、天女を見つければいい。
すべての女は、天女性を持っているけれど、その自分の天女性に気づいていない女が意外と多いんだな。家庭環境だとか、親とか友人とか、学校とかの人間環境によって、自分の中の天女性に気づけなくされいるんだ。
自分の天女性に気づくには、いろんな自分を見つけることが必要だね。
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