書評・小説 『満州国演義 七 雷の波濤』船戸 与一


満州国演義シリーズも終盤へ。第7巻では、昭和15年、支那戦争の膠着した状態から、ついに日米開戦、真珠湾攻撃とマレー進攻で日本軍が戦勝をおさめるまでが描かれる。ドイツのフランス進攻から始まり、第二次世界大戦に向けていよいよ国際情勢は緊迫してくる。列強国の権益争いは、満州や中国だけに留まらず、石油などの重要な資源確保をめぐって、インド、ビルマ、タイなどにまで拡大していくのだ。

インドでは、武力闘争でイギリスからの独立を主張する国民会議派最左派のチャンドラ・ボースが日本やドイツと接近し始める。敷島次郎は、天津租界でイギリス人達に手篭めにされた若いインド人女性を集めた娘子軍予備隊の訓練を請け負うことになる。ビルマでは、日本の大本営陸軍軍部の支援を受け、アウン・サン・スー・チーがビルマ独立軍を結成。イギリスがドイツとの戦いで劣勢に立たされた中、機をみたタイのピブン首相は、アユタヤ朝時代の領土回復を宣言し、日本に擦り寄ろうとする。

当初は、英米を牽制するため、むしろ全面的な日米開戦を回避するためだったはずの三国軍事同盟が、いつのまにか、米英との戦争の口実となっていく。破竹の勢いであったドイツ軍も、ロシアとの戦いが膠着し一時的にロシアと手を結ぶが、日本軍は微妙な国際情勢の変わり目を読もうとはせず、ドイツ一辺倒の強硬派が勢力を増していく。

しかしまた、日本政府が、ギリギリまで日米開戦を回避しようと努力していたのも事実である。日本軍の支那からの撤退という当時としては最大級の譲歩と考えられる条件を含む「日米諒解案」の提出など、水面下では必死の交渉が行われていた。ここまでの譲歩案を提示しながら日米開戦が避けられなかった理由はいくつかあるだろうが、アメリカとの和平を望む一方で、ドイツとの同盟維持、ソ連との関係改善を前提に戦争の準備を進めていた、など日本側の政策が分裂していたこと、不況を打破するために、アメリカ政府が強く戦争を望んでいたこと、などが挙げられる。また、本書では敢えて深く追及はしていないが、スパイ・ゾルゲの暗躍により極東ソ連軍がドイツ戦線に送られることなく極東の戦線が膠着状態で維持されたこと、或いは、アメリカのハル国務長官が共産主義者であったこと、などに触れ、ソ連のコミンテルンの動きが、開戦に大きな影響を与えた可能性も示唆されている。

強硬派であるアメリカのハル国務長官が事実上の交渉打ち切り通告をした開戦前夜、新聞記者の香月信彦は言う。

「状況が煮詰まって来ると、だれもが疑心暗鬼になる。個人が個人を、組織が組織を、まず疑って掛かるようになる」信彦が口のなかの肉片を嚥み込んでつづけた。「そして、その緊張に耐えきれない時期が来て、状況が破裂を起こす。そのとき、全体を支配する心理は疑心暗鬼じゃない。もっと危険なものだと思う」「何です、それは?」「思考の停止だよ。何も考えずにだれもがひたすら突っ走りたがるようになる」

この文章を読み返した時、『それでも日本人は戦争を選んだ』にあった、中国文学者竹内好の開戦直後の「大東亜戦争と吾等の決意」という文章を思い出した。

歴史は作られた。世界は一夜にして変貌した。われらは目のあたりそれを見た。感動にうちふるえながら、虹のように流れる一すじの光芒のゆくえを見守った。(中略)十二月八日、宣戦の大詔が下った日、日本国民の決意は一つに燃えた。爽やかな気持ちであった。(中略)率直にいえば、われらは支那事変に対して、にわかに同じがたい感情があった。ぎわくがわれらを苦しめた。(中略)わが日本は、東亜建設の美名に隠れて弱いものいじめをするのではないかと今の今まで疑ってきたのである。(中略)この世界史の変革の壮挙の前には、思えば支那事変は一個の犠牲として耐え得られる底のものであった。(中略)大東亜戦争は見事に支那事変を完遂し、これを世界上に復活せしめた。今や大東亜戦争を完遂するものこそ、われらである。

これを引用した後、著者の加藤陽子は言う。

ここからわかるのは、日中戦争は気がすすまない戦争だったけれども、太平洋戦争は強い英米を相手としているのだから、弱いものいじめの戦争ではなく明るい戦争なのだといった感慨を、当時の中国通の一人であったはずの竹内が述べていることですね。竹内の文章には、戦争を「爽やかな気持ち」で受け止めたとの記述がありますが、同じようなことを小説家で文芸評論家でもあった伊藤整も日記のなかに書き留めています。(中略)太平洋戦争は日中戦争の時代と違って明るい、こういっている。これに尽きると思います。(略)ならば、庶民は戦争をどう見ていたのか。(中略)山形県大泉村の小作農、阿部太一は、開戦の日の日記に「いよいよ始まる。キリリと身のしまるを覚える」と書き、(略)横浜市内にある高島駅で駅員をしていた小長谷三郎の開戦の日の日記。「駅長からこの報告を受けた瞬間、すでに我等の気持ちはもはや昨日までの安閑たる気持ちから脱け出した。落ちつくところに落ちついた様な気持ちだ」。(略)知識人である竹内好、小説家である伊藤整、農民の阿部太一、駅員の小長谷三郎らの間には、あまり違いがないと言える。

こんな絶望的な戦いの始まりが一種の「爽やかさ」をもって受け止められる異常。国内の不満や格差を、「五族協和」や「王道楽土」の名を借りた侵略行為にすり替えても、一向に事態は好転せず、ファシズムが蔓延していく中で、欺瞞と疑心暗鬼と緊張感が極限まで高まってしまうと、人々は思考停止して破滅的な道を驀進することに、一種の爽快感を覚えるようになるになるかもしれない。

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