書評・小説 『82年生まれ、キム・ジヨン』 チェ・ナムジュ


『82年生まれ、キム・ジヨン 』をお得に読む

韓国文学ってよく考えたら一度も読んだことが無いのと、映画化もされた話題作ということで読んでみた。最近、レティシア・コロンバニの『三つ編み』を読んだばかりで、また流行りのフェミニズム文学か、と思われるかもしれないが、私は幸か不幸か、フェミニストにはほど遠い人間である。まあ、そもそも、フェミニストが、漫然と7、8年間も専業主婦やってるはずないわけで。それどころか、フェミニズム問題はいつも、現実的にどう対処すべきなのかが分からず、モヤモヤ感ばかりが残ってしまって、苦手な分野だ。

韓国では、この本に某アイドルがSNSで支持を表明しただけで炎上したとかなんとか、結構話題になっていた本だが、バリバリ戦うフェミニズム、というテイストでは全くない。しかし、読んでいるうちに何度も息苦しさを覚えるような小説だ。小学生の時の男子のいたずら、学校での出欠番号を含めて常に男子が「先」である理不尽さ、社会的に認知されない生理痛の辛さ、高校生になって見知らぬ男子にストーキングされる恐怖、そして、就活や就職してからのあらゆる目に見えぬ不平等。

私は主人公より数年前の78年生まれだが、この世代の日本にしては、割と女性差別という点では、恵まれた環境に育ってきた方だと思う。以前、シングルマザー支援などをしている団体主催の「女性起業講座」なるワークショップに偶然参加したことがあり、質問に対して「女に生まれて嫌だ、と思ったことは一度もない」旨の発言をしたところ、「それはあなた、よっぽど恵まれた環境に育ってきたのね」と、隣席の女性に半ば呆れた半ば皮肉のコメントをされたこともある。(しかしまあ、それが素直な感想なのだから仕方ないではないか)そんな私でも、ああこれは、と思い当たるエピソードが幾つも出てくる。この作品は、明からさまな社会的に大きく取り上げられるような差別ではなく、社会に隠然と根強く潜んでいる小さないくつもの差別を拾い起こして見せたからこそ、これだけ多くの女性の共感を読んだと言える。

実際、「キム・ジヨン」と名前を与えられはいるものの、主人公はほぼ匿名に近い(韓国の82年生まれの女性で一番多い名前だそうだ)、極めて一般的な女性として描かれている。経済的に苦しい時もあるものの、基本的には親に大学の学費まで出してもらえるくらいには恵まれているし、何より、母親が非常に協力的だ。社会的に理不尽なことは幾つもあるが、誰しもが冷たいわけではない。男性教師だって、男の子のいたずらが判明した時にはきちんと叱って反省文まで書かせてくるくらいにはフェアだし、大学生の時の彼氏だって、結婚した旦那だって、平均から考えたらかなり「良い男」の部類に入ると思う。

偶然バスに乗り合わせ、男子高生のストーカーから守ってくれて「あなたは悪くない」と言ってくれた中年女性、会社の女性上司など、温かいサポートもある。一般的というよりむしろ結構恵まれた環境にあるのでは、とも言える。しかし、著者はあえて、そういう女性ですら味わわなくてはいけない差別、「女性が誰もが一度は通る道」的な差別を描きたかったんだと思う。だから、女性が読んで「分かる分かる!」と言っているだけではあんまり意味が無くて、やっぱり普通の男性に読んでもらいたい本だよなあ、と思う。

『はじめての沖縄』で、社会学者の岸政彦さんが、女子大の講義で「隣の大きな公園でひとりでベンチに座って本でも読みたいよね」と話し、パートナーから「若い女性がそんなんことをしたら危険だということをあなたは分かっていない」と叱責された、というエピソードを紹介していたのがとても印象的だった。そこで著者は、女性がそんなことにすらリスクを抱えている、という事実に驚愕し、どんなに頑張って理解しようとしても、自分は《公園のベンチに座るだけでリスクを伴ってしまうような、そういう存在「そのもの」になることはできない》という限界を感じるのだ。

こんな風に真摯に受け止めてくれる男性ばかりなら良いが、たいていの男性はこの手の話を聞くと、直ちに拒否反応を起こしてしまう。「男にもこんな苦労がある」とか「逆差別だ」とか、問題をすり替えようとする人も多い。別に個人的に責められているわけでも、何か直接的な不利益を被るわけでもないのに、ヒステリックな拒絶反応を起こしてしまう理由は、男性側に「認められていない」「不当な扱いをされている」というコンプレックスや社会的不信感があるからなのかもしれない。この本を読んで「女性にはこんな苦労があるのか」と、岸さんのように驚愕する素直な男性ばかりでいてほしいが、逆に「女性の苦労ってこの程度のものか」と、勘違いしてしまう男性も多そうである。

この本が和訳されたのは2年前、その後「#Me too」問題が世界的に取り上げられ、話題になった。今年は、韓国で映画化されたものが日本でも公開されるとなって、再び脚光を浴びている。つい最近、映画の予告編とポスターが公開されたらしいが、ポスターのコピーに「大丈夫、あなたは一人じゃない」とあって、作品の出来を心配しているコメントも多かった。実際の作品を観ていないのでなんとも言えないが、確かに、原作の主旨とは随分かけ離れた感じのコピーではある。

原作は、産後うつ、育児ノイローゼで発病した主人公について、カウンセリングした男性主治医が振り返る、という構成になっている。ラストは、この主治医が自分自身の妻の体験を回想する。《私は、大学の同期であり、私より勉強ができ、高い意欲を持つ眼科専門医だった妻が教授になることをあきらめ、勤務医になり、結局仕事を辞めていく過程を見ながら、大韓民国で女性として、特に子どもを持つ女性として生きることはどんなことであるかを知っていた。》と、高邁な思想を覗かせながら、最後の最後で、同僚の女性医師が出産を理由に退職する挨拶に訪れると、こうだ。

もちろん、イ先生は良いスタッフだ。顔は上品できれいだし、服装もきちんとしてかわいい。気立てもいいし、よく気がつく。私が好きなコーヒーのブレンドや、エスプレッソ量もちゃんと覚えていて、買ってきてくれたりする。職員にも患者にもいつも笑顔で挨拶し、優しい言葉をかけ、病院の雰囲気をひときわ明るくひきたてくれた。でも、急に彼女が辞めることになってみると、この病院の他のカウンセラーに引き継ぎする患者より、カウンセリングそのものをやめる患者の方が多かったのだ。病院としては顧客を失ったことになる。いくら良い人でも、育児の問題を抱えた女性スタッフはいろいろと難しい。後任には未婚の人を探さなくては・・・

この強烈な皮肉。このラストに、「大丈夫、あなたは一人じゃない」というコピーを連想した男性(もしかして女性なのか?)は、センスを疑われても仕方ないかもしれない。(もちろん、あえて作品自体を原作と全然違う仕上がりにした可能性もあるが)このラストについて、著者はサイト「Business Insider」のインタビューでこう語っている。

「どうせこれからも社会は変わらないというような悲観的な考えでラストシーンを書いたわけではありません。あの医師は自分の妻やジヨンに親身になっているように見えたけれど、一方で自分だけの基準や状況でものごとを判断します。よく女性差別や性犯罪で『あなたの妻や娘がその立場になったらどう思う?』と男性に問うことで想像を促そうとする人がいますが、結局、そんな個人的なことではダメなんです。

大切なのは、制度や慣習など社会全体を変えることです。

私がフェミニズム問題でいつも、堂々巡りなモヤモヤ感を覚えて途方に暮れてしまうのは、まさにここに原因がある。「意識」と「制度」の問題だ。女性が差別され不利益を被る社会的「制度」について反対し、是正すべきであることに異論はない。けれど、その「制度」を改める為には、やっぱり男性の「意識」の改革が必要なのだ。「意識」と「制度」は切り離せない。それは、社会の仕組みが男性中心で作られてきた歴史的な経緯からもそうだし、『はじめての沖縄』で岸さんが述べているように、男性は究極的には女性の立場になり切ることはできない、という問題もある。だとしたら、想像力を駆使してもらう以外に方法はない。そして、「意識」の問題になった途端、それは非常に個人的な思想や体験に分け入っていく可能性があって、一刀両断に決めるのは難しい。だが、女性がいくら糾弾しても、男性に生理痛や妊娠・出産や性犯罪に関わる女性の苦労を想像させる、というのは中々簡単なことではないと思う。

だがしかし、それで問題の追求を諦めてしまったら元も子もない。だからこそ、こういう本は女性ではなくて、男性に読んでほしいなあ、と思うのだ。この、ある意味<小さな>(と男性社会的には片付けている)差別の積み重なりに、「女性の苦労ってその程度のものか」という意見があるのなら、どうぞ、男性の苦労というのも聞かせてほしい。私としては、「女性ジェンダーの苦しみ」と同じように「男性ジェンダーの苦しみ」を教えてもらい、想像してみたい、と思う。もっともっと、そういう観点での表現作品があっていいと思う。それでこそ、お互いの「意識」という捉え所のない問題が少しでも前進する可能性があるのではないだろうか?

何しろフェミニズムは苦手な分野ではあり、今日のところはこのくらいにしておきます。。。でも結局、マイノリティーの問題を避けて現代文学にあたることはできないのだから、またすぐにこの問題にぶち当たることになるでしょう。それまでに、もう少し頭(と心)を整理しておきたいところではあるが、さて・・・

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