書評・小説 『観光』 ラッタウット・ラープチャルーンサップ


季節柄、読書SNSを見ていると「今年読んだ本ベスト10」的な投稿を多く見かける。新刊なんてほとんど読まないし、今年たまたま読んだ本と限ってみたところで、ジャンルも時代も本当にバラバラ過ぎて、我ながらよくもこんな節操の無い読書してるなあ、と呆れることはあっても、とても順位なんてつけられない、と思っていたのだが・・・暮れも近くここへきて、「これはさすがに今年のベストワンかも」と思える本に出会ってしまった。それが、タイ系アメリカ人作家ラッタウット・ラープチャルーンサップの短編集『観光』である。

弱冠25歳でイギリスの文芸誌『グランタ』にデビュー作を発表し、翌年本書を出版するや、『ワシントン・ポスト』や『ロサンゼルス・タイムス』など有力各紙で絶賛されたと言う。日本でも、2007年に刊行されると、書評家からは「全篇芥川賞を獲れるくらいに素晴らしい」と絶賛され、2010年には、新宿紀伊国屋主催の「文学ワールドカップ」なるイベントで、600冊以上ある海外文学選書の中から見事本書がMVPを獲得したそうだ。

と、こんな前評判は、いつも通り、読んだ後あとがきを読んだりググッてから知ったもので、とりあえずタイを扱った文学作品で日本語訳されているものなんてごく限られるので、文庫化もされて手に入りやすいこちらを試してみただけなのだが・・・結果、本当に素晴らしい作品と出会え、今年の良い締めになった、という感じである(いや、まだ終わってない)。

全篇素晴らしいというのは紛れもない真実で、表題作も印象的だが、私が一番好きなのはカンボジア難民少女とタイ人少年達の交流を描いた「プリシラ」である。タイを舞台としながら、老アメリカ人を主人公にした「こんなところで死にたくない」が、英米の批評家達の間で評価が高かったというのも非常に頷けるし、デビュー作である「ガイジン」も「徴兵の日」も切ないし、「闘鶏師」も泣ける。あ、結局全篇良いってことですね。

何が良いって、風景描写、プロット、人間真理の描き方、文章、これもまた全部良い。物語は全てタイを舞台にしていて、特に、タイに生きる人々の貧困や搾取やそこから来る絶望や閉塞感に満ちている。全体としては、明るいお話は一つもない。それなのに、なぜか物語を読みながらとても「生き生きとしている」と感じるのだ。あるブログの方は、この本を「読後明るい」と評していて、いや、さすがにそれはないでしょ、と思うのだが、そういう読後感が残る気持ちも分からないでもない。しかし、くどいようだが、物語の筋をもう一度さらってみても、救いはほとんどないような話なのだ。

暗いのに明るい、絶望的なのに希望があるように感じる、この不思議な読後感はどこから来るのか。多分、優れた物語は、物語の世界に読み手を引き込んでしまい、その強烈な体験的印象が「生き生きとした」「躍動的な」感じをもたらすからではないか。訳者はあとがきでこう語っている。

初めてこの短編集を読んだとき、私は記憶の中をさらわれるようなとても不思議な感覚に襲われた。(略)こうした主人公たちの置かれている状況が、日本の過去のどこかの場面と(少なくともわたし個人の過去のどこかと)つながっているように思えてならなかった。そう感じるのは私だけではないのではないかと思い、どうしても日本に紹介したいと思ったのである。外国の作品を読んでこれほどの親近感を抱いたのは初めてのことだった。

これは、無論、同じアジア国の「いつか来た道」的な類似もあるだろう。ただ、それ以上に、これらの短編が、物語に引き込む力強さに満ちている、という証拠であると私は思う。《記憶の中をさらわれるようなとても不思議な感覚》は、生々しい既視感、まるで実際に体験したような生きたみずみずしい読後感。

ロシア人作家、クセニヤ・メルニク『五月の雪』の記事でも書いたけれど、「物語の力」って確かにあるのだ。《どうして、殆ど予備知識のないような遠い国や昔の物語に、自分がスッと入っていき、すごく懐かしいような、或いは共感できるような気持ちになるのか》。見たことも行ったこともないロシアの片隅の街とは違い、この『観光』が舞台となるタイのリゾート地やバンコクの街並は、2年半という短い期間とは言え、駐在していた私には個人的に馴染みやすい風景ではある。でも、だからと言って、私の満ち足りた日本で過ごした幼少期や青春自体に、カンボジアからの難民村や、腐敗に塗れた徴兵制度や、バンコク貧民街のギャングと闘鶏師達との抗争や、そんな類のものにつながる情景や記憶があるわけでは決してない。それなのに、痛いと同時に生々しいような、まるで「記憶」に近いような感動が起こるのはなぜなのか。それは、物語を体験することでしか得られないし、説明できないように思う。

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