休みの日の図書館。3歳の息子が恐竜の絵本を早く読んでくれと喚いている中、海外文学の棚まで小走りで行き、えいっと掴んだ一冊。著者もストーリーもよく分からぬまま、とりあえず新潮クレストなら…と手当たり次第に選んだ本だけど、素晴らしかった。
ロシア出身の女性作家が書いた、ロシア辺境の街、マガダンをめぐる短編の数々。私は、ロシアに行ったこともなく、正直あまり行きたいとも思わないし、旧ソ連やロシアの歴史や文化について大した知識もない。それなのに、いきなり一話目から一気に物語の舞台に引き込まれてしまう不思議。松岡正剛は、物語というかたちでしか伝達できないことがあるのだ、と言っていたけれど、本当にそうだなあ、と実感する。どうして、殆ど予備知識のないような遠い国や昔の物語に、自分がスッと入っていき、すごく懐かしいような、或いは共感できるような気持ちになるのか。論理的には中々説明できないのだけど、物語を読んでいるとそういうことが起こる。『嵐が丘』のヒースの丘に立ったことがあるように(実際にはヒースが何かもよく知らないのに)、『愛人』のメコン河を横切ったことがあるように(実際に横切ったのは何十年も後のことだ)、感じてしまう。
そういう心が攫われるような体験ができるのが、物語の力なんだなあ、と思う。そして、なぜか、そういう心境になるのは、私の場合、女性作家の作品が多い。これは完全に個人的趣味なのだけど、私はディティールにこだわった物語が好きなのだ。心理的ディティールではなく、もっと世俗的で物質的なディティール。女性作家にはそういう作品が多くて、衣装やら調度品やら食べ物やら、そういうディティールを追っているうちに、どっぷり物語の世界にはまっている。『五月の雪』も、まさにそういう類の作品だった。
こういう思いがけない出会いがあるから図書館はやめられない。子供が産まれてからは、児童書コーナーだけしか行けなかったのだけれど、また自分のためにも足しげく通ってみよう、と思い直したのであった。
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