またまたロングアイランド好きの私にもたらされた朗報。ロングアイランドを舞台にしたこちらの小説、しかも、著者はこの間観たベルトルッチ監督の映画『ドリーマーズ』の原作者でもあるギルバート・アデアで、こちらの作品も1997年に映画化されているという。これは読むしかない。
「多芸は無芸」というけれど、そういう言い方は無芸な側のやっかみも入っているかもしれなくて、ギルバート・アデアみたいな才人を見ていると、やっぱり「多芸は多芸」だなあ、という気がしてくる。
映画評論家。文化批評家。翻訳者。作家。そのどの仕事を見ても、何かかならず、アデア独自のひねりが効いている。
自身も文芸評論家、翻訳者、東京大学名誉教授、と多芸ぶりを見せつけている柴田元幸さんがあとがきで述べている。
ギルバート・アデアは、アリスやピータパンの続編といったポストモダン的作品を書いている作家だが、フランスの小説家アンドレ・バザンの『消失』の翻訳をしたことでも有名だ。このバザンの『消失』は、作品中「e」の文字が全く使われないというのが特徴の小説で(フランス語では「e」が最も多く使用されるらしい)、その悪魔のようなルールに則って、アデアの英訳も「e」を一度も使用せずなされたという。これはもはや翻訳ではなく、創作に近い偉業であるが、アデアはそれをやってのけた。評論家としても映画、ベトナム戦争、ポストモダン文化などさまざまな分野の著書がある。
初老の英国人作家がアメリカのB級映画スターの若い男性に一目惚れし、恋い焦がれるあまりにロングアイランドの彼の家を訪ねていく、というストーリーからも察せられるが、これは『ヴェニスに死す』のパロディなのである。そしてそれは、トーマス・マンの小説『ヴェニスに死す』のパロディでもあり、また、ルキノ・ヴィスコンティの映画『ヴェニスに死す』もパロディでもある。この作品は小説だけれど、私は読んでいてむしろ、映画『ヴェニスに死す』の方を思い出すくらい、うまくパロディ化されていた。終盤で、主人公のデアスがロニーに会いに行く前に理髪店に立ち寄っておめかしする様子など、映画『ラブ&デス』を観ていない私には、映像的にヴィスコンティの『ヴェニスに死す』のダーク・ボガードの方が思い浮かんでしまったくらいだ。
原題は『Love & Death in Long Island』で、これももちろん『Death in Venice』にかけてある。歴史的退廃的な魅力をもつ都市ヴェニスが、アメリカの典型的金持ちリゾート地のロングアイランドにとって代わられるように、この作品には、ちょっと意地悪で面白い仕掛けがたくさん隠してある。作品は一、二時間あれば読めてしまうくらい短く、軽いものだが、その仕掛けに気づいたり、笑ったり、唸ったりしながら読み進めていくのはなんとも楽しい。
「ポストモダン文学」という定義はなんとも曖昧で、つかみどころがなく、要は、近代的文化の否定ならば全て「ポストモダン」と呼べるのではないか、というくらい不明瞭なものだ。どうしても技巧的というか、過度に虚構性を誇示しているようなやり方が、私はあんまり好きではないのだが、ギルバート・アデアのような多芸な人にかかれば、「ポストモダン」も実に面白く読めてしまうのだなあ、と感心した。ただの「模倣」や「パロディ化」にとどまらない、複雑で重層的な仕掛け、なのに表現としては軽妙でエンターテイメント性の高いものに仕上がっている。映画と原作、原作とパロディ、そして虚構と現実(主人公の作家は、そのまま作者アデアをイメージさせるような仕掛けもある)、錯綜した仕掛けをもう一つ加えて楽しむために、映画『ラブ&デス』ももちろん観なくてはいけないだろう。また、観たい映画が増えてしまった。
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