阪神スノビズム文学散歩


芦屋、岡本、御影など、いわゆる阪神間の高級住宅地を舞台とした小説に漂うなんとも言えないスノビズムが好きなのである。その原型はもちろん谷崎潤一郎の『細雪』だ。大阪船場に古いのれんを誇る薪岡家の四人姉妹、鶴子、幸子、雪子、妙子の四姉妹達の悠長で雅やかな暮らしぶり。幸子以下、幸子、妙子らが暮らすのは、分家として芦屋に建てられた邸宅である。

「こいさん、頼むわ。ー」

鏡の中で、廊下からうしろへ這入って来た妙子を見ると、自分で襟を塗りかけていた刷毛を渡して、其方は見ずに、眼の前に写っている長襦袢姿の、抜き衣紋の顔を他人の顔のように見据えながら、

「雪子ちゃん下で何してる」

と、幸子は聞いた。

『細雪』 谷崎潤一郎

有名な『細雪』の冒頭である。幸子、雪子、妙子は、阪急御影の桑山邸にレオ・シロタのピアノ演奏会を聴きに行く前の支度をしている。その後は、有馬方面へハイキングに出かけた幸子の夫貞之助と落ち合って、神戸でディナーの予定。衣装選びに迷いながら袋帯がキュウキュウ鳴るのがおかしいと言って笑い、その合間に慣れた手つきで雪子が幸子にヴィタミンBの注射をする。なんとも優美でどこか艶かしい彼女たちの様子が伝わってくる。

中でも印象的だったは、彼女たちの言葉使いだ。『細雪』を読んだのは、確か二十歳の頃だったと思うけれど、しばらく彼女たちの言葉使いが頭から離れなくて、考え事まで関西弁でしていたり、会話でも変なイントネーションが飛び出したりして、「なんやの、そのエセ関西弁」と大阪や神戸出身の友達に冷やかされたりした。

長女の娘を「おいとさん」、末娘を「こいとさん」、一家の主婦を「ご寮人(りょん)さん」と呼び習わすのもこの時初めて知った。その時は、「芦屋あたりに住むマダムはこんな雅な関西弁を話すのか」くらいにしか思わなかったのだが、どうやら、この薪岡姉妹の言葉は、芦屋ではなく、元々「船場言葉」であるらしい。

船場とは、 大阪の中央区、北は土佐堀川から南は長堀川、東は東横堀川から西は西横堀川の一帯を指す。始まりは豊臣秀吉の大阪城築城に伴い大勢の家臣を住まわせたことによると言われる、由緒正しい大阪商人文化の中心地だ。昭和初期までは、ここに店をかまえることが、上方商人の一種のステイタスであり、お客に対しても丁寧な言葉遣いをすることから「船場言葉」という一種独特の言葉が生まれた。京都の公家言葉の影響も受けているとされ、早口の摂津や河内などの大阪弁のイメージとはだいぶ違う。谷崎潤一郎の奥様も船場出身の「いとさん」であったそうで、谷崎は滅びゆく大阪の大商家のお嬢様たちの優雅な姿と共に、この「船場言葉」の美しさも記しておきたかったに違いない。

この「船場」に因んだ文学、と言ったら、山崎豊子を置いて他には無い。山崎豊子というと、大学病院の医療過誤問題を取り扱った『白い巨塔』や日航機墜落事故で圧倒的な取材力を見せた『沈まぬ太陽』など、社会派のイメージが強いが、実は、船場の古い商家出身のお嬢様だそうで、初期の作品には『女の勲章』や『女系家族』など、この船場の商家筋の女性たちを主人公にした作品がある。特に、何度もや映画やドラマ化された有名作『女系家族』は、代々女系が続く船場の老舗問屋の一族の、豪奢だけれど暗く因習めいたところもある様子が描かれている。『細雪』の姉妹達はお互いに細やかな親愛を抱いた儚くも優しく美しい関係だけれど、『女系家族』の姉妹達は、小さい頃から一つ屋根の下に暮らしながら、別々の部屋やお手伝いさんを通じて育てられ、お互いに肉親の厚情も親愛も抱かず、遺産相続をめぐって陰惨な闘いを繰り広げる。船場の富裕な商家と言っても、小説家の捉え方が全く違っていて面白いところだ。

谷崎潤一郎の『細雪』で有名なのは、三姉妹が京都に花見に出かける艶やかなシーンだが、山崎豊子の『女系家族』でも、三姉妹が贅をこらして、吉野の花見と嵯峨野の月見に出かけていくところが詳しく描かれている。特に、終盤の嵯峨野のお月見は、優美に見せかけながら、裏では遺産分配をめぐって最後の駆け引きをするどこかどす黒いものを秘めていて、それと共に、クライマックスの破綻を暗示しつつ、まさに「女系家族」が最後の華やかさと輝きを見せる非常に印象的なシーンである。苔寺、天竜寺、落柿舎と回って、嵯峨御所の池で屋形船を浮かべてのお月見。

「お茶をご一服、いかがどすか」

船頭と一緒に乗り込んでいる若い娘が、緋毛氈の上で茶を点て、藤代たちの前に置いた。黒織部に似せた黒い大振な茶碗の中で、緑色の茶が泡だち、娘の胸もとに挟んだ赤い袱紗が池水に生え、眼にしみるように美しかった。藤代たちから、七、八米離れた池の中ほどでも、棹をやすめた屋形船が浮び、船ばたの手摺越しに、茶を点てる若い娘の姿が見えたが、船の中の月見客はお点前より、空ばかりを見上げている。

「そろそろどっせえ」

艫にいる船頭の声がし、空を見上げると、さっき、白い雲のような塊が浮んでいた辺りが、何時の間にか、一点のかげりもなくなり、夕闇が濃くなった頃、満月が山の彼方にぼうっと明るくなり、ふわりと空に浮んだ。まどやかな円光が、皎々と空に冴え渡り、一瞬のうちに辺り一面を昼間のような明るさに変え、池の正面の『天地人』の三才を模した三つの島を照らし出し、月影を映した池水が銀鱗のようにきらきらと小波だった。月の出とともに奏しはじめられた観月の曲が琴と尺八の合奏にのって、月光に輝く水面に朗々と響きわたり、池にも、地にも声なく、観月に集まった人々は、その幽艶な美しさと絵巻物から抜け出たような月見の宴に心を奪われ、王朝の昔を偲ぶような観月の雅やかさに酔った。

『女系家族』 山崎豊子

この雅やかさの極致のようなシーンの描写力と、『沈まぬ太陽』における飛行機事故の死屍累々の凄惨なシーンのそれとを思い比べると、山崎豊子という作家がもつ視野と力の広大さに呆然としてしまうのだが・・・それはともかく、船場を始めとする富裕な大阪商人達が、花見や月見といった風情ある遊びを楽しむのに、京都まで足を伸ばす、というのはお馴染みのことだったようである。季節の遊びは家族と一緒だが、夜の遊びの方で祇園まで足を伸ばす、というのも同じようにお馴染みであったろう。この、いざとなったら「京都で雅を楽しめる」という地の利があるところがまた、阪神スノビズムの良き特徴でもある。

地の利と言えば、もう一つ。雅を京都で楽しむのに対して、神戸や六甲ではハイカラを楽しむ、というのも阪神スノビズムの王道である。『細雪』の冒頭シーンでも、神戸でディナーを楽しむ予定とあったのは先述の通りで、雪子のお見合いの顔合わせなどで、神戸オリエンタルホテルの名前が度々出てくる。この明治15年にフランス人ルイ・ベギユーによって設立されたという神戸オリエンタルホテルこそ、神戸で最も高級で本格的なホテルであり、「ハイカラ神戸」の象徴として、数々の文学の舞台になってきたのである。豪華な佇まいはもちろん、神戸の港と山を両方見渡せるロケーションの良さも、このホテルの特徴だ。

また、この神戸オリエンタルホテルを先駆けに、阪神間では西欧風のホテル文化が花開いた。それは、本来、阪神間に住む富裕層の別荘地であった六甲山にも広がり、まず阪急電鉄が宝塚ホテルの支店として六甲山ホテルを開業すると、それに対抗して阪神電鉄が神戸のオリエンタルホテルを誘致して六甲オリエンタルホテルを開業した。別荘を持たない中間層は、これらのホテルを、ちょっとした気分転換のゴルフや食事や宿泊に活用し、自身の別荘を持つ富裕層も、ホテルから本格的なフランス料理を運ばせたりコックを派遣させたり、といった利用の仕方をしたのである。後述する田辺聖子や小川洋子の小説でもそういったシーンが出てくる。

山崎豊子の代表作『華麗なる一族』の万俵家は、神戸銀行頭取一族をモデルにしていると言われているが、こちらの万俵家は毎年、7月の下旬から9月上旬までは、岡本にある一万坪の本宅から六甲の山荘へ居を移し、平日はそこから出勤、休日には六甲カントリー・クラブで時を過ごす。大阪や神戸の中心から、1時間のドライブで、気軽にしかし本格的なリゾートが味わえる、というのは、まさに阪神間の「地の利」だろう。

大阪や神戸といった商都の中心部で稼いだお金で阪神エリアの閑静な高級住宅街に住み、折に触れ「ハイカラ神戸」と「雅な京都」を楽しむ。こういう阪神エリアの地の利を生かした使い分けを上手に作品に取り入れているのが、田辺聖子である。

多作な作家なので例を挙げたらキリがないのだが、例えば、乃里子という若い女性が仕事から恋愛、結婚、離婚を経験して自立するまでを描いた『言い寄る』『私的生活』『苺をつぶしながら』という人気三部作では、財閥の御曹司と結婚した主人公を通じて、このエリアのハイソサエティの生活を描いている。新婚の乃里子は、《海が街の向こうに手にとるようにみえ》る東神戸の高台のマンションに住んでいるが、夫の実家の本邸は《このあたりの邸宅は、みな揃って大きくて、その規模の豪宕なことといったら、日本でも指折り》な御影にある。春の宵、御影の豪奢な邸宅で行われるパーティーの描写は一際華やかだ。

私は、庭から家の中へ入った。フランス窓が庭に向かって押しひらかれ、灯がぜんぶ、ついていた。敷石の廊下が、とてもいい。窓の石の枠に手をついて、外を見ると、六甲連山が暮れなずむところだった。阪神間でいちばん美しい季節の、いちばん美しい時間である。

『私的生活』 田辺聖子

長姉のあとへついて、食堂へ入ったら、石だたみのテラスに、人々は群れていて、煙草を吸いながら、軽いお酒を飲んでいた。空は昏れていたが、山の稜線ははっきり、まだわかった。風が暖かく、快く湿っていて、私の大好きな春の晩である。テラスの前の階段を下りると、石で真四角に切った浅い人工池があり、巨大なシャコ貝が池の傍に据えてある。今日は、池のまん中の噴水は水しぶきをあげていて、あかあかとつけた電灯に見栄えがした。

『私的生活』田辺聖子

また、戦中派の主人公達を描いた自伝的要素の強い長編小説『おかあさん、つかれたよ』では、主人公たちが若い頃は、戦後の活気ある猥雑な大阪の店をハシゴし、少し落ち着いた壮年期には、《関西の穴場》である神戸の街を粋に楽しみ、中年期以降には、京都の雅をしみじみ味わう、といった風に年代に合わせて使い分けをしながら、このエリアの風土を上手く描き出している。

そのころの神戸は、まだポートピアもできず、観光客もいない、関西の穴場であった。そして地もとと、神戸を知る関西人だけが、神戸の魅力をこっそり、舌鼓打ってたのしんでいる、というところがあった。昭吾が案内した小さな北野町のレストランを、あぐりはうっとりとして楽しんだ。(略)神戸は魚も肉も美味なところだから、食事は申し分なかった。窓の下の町の灯はぎっしりと闇を埋めており、ぽかっと陥没した黒一色の部分は海だった。<いいところね、神戸って。誰にも知られず、ひそかに人生を贅沢に消費してるって感じ。>

『おかあさん、つかれたよ』田辺聖子

田辺聖子の小説には、前出の「神戸オリエンタルホテル」もよく出てきて、この小説でも、《神戸のオリエンタルホテルの最上階のレストランで、海と山見ながら、氷にのせた生牡蠣食べるのも悪うない》などと言っている。そんなハイカラ神戸から一転、田辺聖子の分身のような女流作家は、京都出身の若い恋人と東寺の「弘法さんの市」をそぞろ歩いたり、大原野神社の紅葉を愛でながら『伊勢物語』の在原業平に思いを馳せたり、老舗漬物屋さんの絶品ぶぶ漬けや南座や祇園の舞妓さん達もご贔屓の先斗町にある洋食屋さんのお弁当を味わったりする。この「知る人ぞ知る」京都のオトナな楽しみ方。大阪出身で、神戸に在住していたこともあり、王朝文化を題材にした小説も多いので京都の歴史文化にも詳しい田辺聖子の面目躍如といったところだ。

芦屋、住吉、御影などの西欧風の阪神高級住宅地エリアが、大正から昭和初期にかけて開発された動きを「阪神間モダニズム」と呼ぶそうである。平成9年には、兵庫県立美術館、西宮市大谷記念美術館、芦屋市立美術博物館、芦屋谷崎純一郎記念館の共同企画展覧会「阪神間モダニズム展」が開催されたが、この公式カタログではこう紹介されている。

ここに紹介する「阪神間」とは、大阪と神戸に挟まれた六甲山を背景とする地域を指します。この地域は、明治時代の鉄道の開通とともに大阪商人らの別荘地、郊外住宅地としてめざましい発展を遂げ、大正時代から昭和初期にかけて西洋文化の浸透と相まって、新しいライフスタイルを築き上げました。

『阪神間モダニズム』 「阪神間モダニズム」展実行委員会

この阪神間モダニズムが花開いた地域は、ただ高級住宅地というだけでなく、建築やライフスタイルそのものが、従来の日本のそれとはかけ離れていた。まだ和装が主流だった頃からいち早く洋装が取り入れられ、贅を凝らしたモダンな和風建築や洋館には自家用車や電化製品、神戸や六甲のホテルを自由に使い、テニスやゴルフなどのスポーツやお稽古事、観劇や小旅行などで余暇を楽しむ。

そのイメージを利用して、日本にいながらまるで外国の昔の御伽話に出てくるような場所に仕立てあげていて面白いのが、小川洋子の『ミーナの行進』だ。主人公の少女がが住むことになった芦屋のお屋敷は、ばかでかい洋館で、温室や喫煙室や謎の光線浴室なるものまであり、庭園は昔ミニ遊園地でお猿の汽車が走っており、今ではコビトカバを飼育している。屋敷の主人はドイツ人ハーフで大きな飲料メーカー社長であるステキなおじさまで、そのおじさまはばかでかいベンツに乗り、主人公の女の子に制服や革靴を一揃え誂えてくれ、その帰りに駅前のカフェでクレープ・シュゼットをご馳走してくれるところなど、『あしながおじさん』や『小公女』さながらである。そんなバカな、と普通なら興ざめしてしまうところを、もしかしてここならあるかも・・・という気にさせてしまう場所、そんな唯一無二の雰囲気が、このエリアにはある。

1972年から73年にかけて一年あまり過ごしたあの芦屋の家を、私は決して忘れることができない。アーチ状の玄関ポーチに差す影の形、山の緑に溶け込むクリーム色の壁、ベランダの手摺りの葡萄模様、飾り窓のついた日本の塔。そうした家の姿形はもちろん、全部で十七あった部屋一つ一つの匂い、光の加減から、ひんやりとしたドアノブの感触にいたるまで、あらゆる風景が心に刻み込まれている。

『ミーナの行進』 小川洋子

玄関ポーチやテラスに多用されるアーチ、南東の角に設けられた半円形のサンルーム、オレンジ色の瓦屋根など、スパニッシュ特有のスタイルは、豪勢さよりも明朗な優しさを発している。隅々の小さな装飾にも神経が行き届き、全体のバランスは上品にまとまっている。

『ミーナの行進』 小川洋子

こんなフェアリーテイルめいたお屋敷が日本で?と思ってしまいそうだが、この阪神間エリアでは至極当たり前の景観だったのである。この界隈には、フランク・ライド・ライト設計によるヨドコウ迎賓館など、本格的な洋館があるが、特に、スパニッシュ・スタイルの邸宅は、戦前の日本の建築界で大流行し、このエリアに多かった。外壁が白や淡いクリーム色であること、屋根が赤やオレンジ色の瓦葺きであることが最大の特徴だ。先述した山崎豊子の『華麗なる一族』も、岡本にある本邸は《スペイン風の赤い屋根と白い塔》が特徴の洋館と数寄屋造の日本家屋の二本立てになっている。

名前は「スパニッシュ」だが、実際には、アメリカのスペイン系移民の伝統的な様式として、フロリダやアメリカ南西部にリバイバルした様式を模倣したものだという。大正から昭和初期にかけ、芦屋だけでも建築家・古塚正治による八馬兼介邸、武田五一の教え子岡田孝男による星野直太朗邸、松本儀八による菊池幽芳邸など、数々の美しいスパニッシュ洋式の邸宅が建てられた。西宮にある関西学院大学キャンパスや、「白鹿」の名で知られる「辰馬本家酒造」の辰馬喜十郎邸などで、現在もその面影を偲ぶことができる。

菊池幽芳は、当時大阪毎日新聞に長編小説を連載し家庭小説の第一人者とみなされていた小説家であったが、サンルームにタイル張りの壁泉を掛け、通用口にはアラビア風の鎧戸をつけるなど意匠を凝らしたスパニッシュ建築の自邸につきこんな風に語っている。

ところが今度私の家の立った辺は、どうやら南仏のモナコ、伊太利につづくリビエラ海岸を思はせるような趣があり、私方の敷地は奥行六十間ほどのスロープで、道路面から最高地点まで約百尺高く、そのスロープの半以上には木振の面白い松が叢生して居るのである。そしてそれが御誂向に南東に面して武庫湾を俯瞰しながら、終日太陽を浴びて居るという地位にあるので、衛生的であると同時に、道路からの見た眼、また敷地からの眺望、共に云分がない。晴れた日には大阪築港から河内平野を隔て、葛城金剛の諸山が指顧の間に見え、また西の方には淡路島が甚だ近く見えている。

『阪神間モダニズム』「阪神間モダニズム」展 実行委員会 第2章 阪神間の建築

自邸についてこれまた随分惜しみない自賛を贈っているものだが、実際彼は自邸を相当気に入っていたらしい。南仏プロヴァンスの趣と似ている、かどうかは、私は残念ながら行ったことがないのでよく分からないが、ただのお屋敷街というだけでなく、海と山が近く、起伏に富んだどこか野趣溢れる趣を残したロケーション、というのも、このエリアの大きな魅力の一つであることは間違いない。田辺聖子や小川洋子の小説でも、繰り返しそのことに触れている。

窓をすこし明けておくと、水のような冷気が入ってくるから、寝やすかった。神戸と大阪のあいだ、というよりむしろ北摂山系にちかい山手なので、夜は、樹や草の匂いが強くて、私は好きだった。そのために、私は割合たかい家賃をよろこんで払っていた。(略)私は土や、樹液の匂い、しめった草や、葉のにおいが好きなのだった。

『休暇は終った』 田辺聖子

芦屋の夏は海の方角から駆け上ってくるようにしてやってきた。梅雨が明けた途端、それまでどんよりと曇った空に飲み込まれていた海が、鮮やかな色を取り戻し、視界の隅から隅まで一本の水平線を目でたどることができるようになった。光も風も一度海の上に舞い下り、たっぷりと潮の香りを含んでから山裾に向かってせり上がってきた。あれ、海が昨日より近くにある、と思った時が、夏の訪れの合図だった。

『ミーナの行進』 小川洋子

山崎豊子、田辺聖子、小川洋子と女性作家が続いたが、阪神スノビズムの後継者として男性作家の方はどうか。神戸出身の宮本輝は地元だけあって、このあたりの風土をうまく作品の中に取り入れている。書簡体をとったどこか古風雅な風情漂う小説『錦繍』では、大阪本社の大きな建設会社の社長娘である亜紀は、香櫨園の風情ある日本邸宅に住んでいる。離婚した彼女は徒然に、香櫨園の駅前にある落ち着いたカフェ〈モーツァルト〉で自分専用のカップでコーヒーを飲みながら、マスターに促されてモーツァルトの音楽の美しさに目覚めていくのだ

香櫨園は、一連の阪神モダニズムの動きの中で、阪神電鉄により一大レジャースポットとして開発された。夙川の西に広がる一万坪ほどの丘陵地を、佐藤商・香野蔵治と株仲買人・櫨山慶次郎が借り受け、動物園やコンサートホール、グラウンドや博物館、ホテルなどを建設した。香櫨園という印象的な名前は、創業者二名の姓から一字ずつとったものだ。開園は明治四十年というから、余暇を楽しむ余裕のある新興中間層が、このエリアにはいかに早い段階から集まっていたかが分かる。レジャー施設としての香櫨園は、大正二年に廃園となり、高級住宅街として再開発され、阪神電鉄の駅名だけが残った。ドラマ化もされた宮本輝の『青が散る』は、関西の新設大学に入学した主人公たちがテニス部を新設して奮闘する青春小説だが、この香櫨園のテニスクラブが重要な場所として何度か登場する。

ふたりは住宅街を海のほうに向かって十五分ほど歩いた。クラブハウスの屋根が見え、ボールを打つ音が聞こえてきた。香櫨園ローンテニスクラブは、阪神間では最も大きなテニスクラブで、コート数も二十数面あって、夏にはインカレの舞台にもなる名門クラブだった。(略)

安西のまわりにいる若者たちは、みんな小学生のころから、テニスの英才教育を受け、ただテニス一筋に進んで来た連中だった。金子の説明によると、加島輝彦は神戸の大きな中華料理店の息子だったし、勝山和寿の父親は関西の財界でも重要な位置にいる人物で、村野敏夫はといえば、有名な化粧品メーカーの重役の次男坊であった。そう言われてみれば、三人は陽に灼けた精悍な顔のどこかに、育ちのよさそうな坊っちゃん然としたところを持っていた。

『青が散る』 宮本輝

この『青が散る』も阪神間エリアを舞台としており、主人公の憧れのマドンナ夏子は、神戸の本店の他、関西エリアに複数の支店、西宮に大きな工場をもつ有名なフランス菓子店の社長娘で、六甲駅近くの高い石垣の塀に囲まれた洋館風の古いお屋敷に住んでいる。香櫨園テニスクラブに集った御坊ちゃま達や、大学に黄色のベンツで登校したり、家族で気軽にハワイ旅行に行ったりする夏子のようなお嬢様達は、主人公達とは一段違う生活を送っているのが垣間見える。

ちなみに、宮本輝お気に入りの香櫨園だが、これはここを開発した阪神電鉄の駅名であり、ライヴァルの阪急電鉄ではこの名称は使われない。阪急電鉄では、同エリアは「夙川」と呼ばれるが、この夙川出身の作家と言えば村上春樹である。夙川、西宮エリアは、芦屋や御影に比べると大阪により近く、やや庶民的なトーンが濃くなるが、歴史古く、閑静な高級住宅地であることに変わりは無い。

村上春樹は、エッセイで地元神戸や夙川についてはよく触れているが、小説作品となると、直接言及しているものは少ない。それでも、デビュー作の『風の歌を聴け』では、東京の大学から帰省中の主人公が、このエリアで過ごす一夏が描かれている。

時間はたっぷりあったし、するべきことは何もない。僕は街の中をゆっくりと来るまで回ってみた。海から山に向かって伸びた惨めなほど細長い街だ。川とテニス・コート、ゴルフ・コース、ずらりと並んだ広い屋敷、壁そして壁、幾つかの小綺麗なレストラン、ブティック、古い図書館、月見草の茂った野原、猿の檻のある公園、街はいつも同じだった。

『風の歌を聴け』 村上春樹

翌日、僕は鼠を誘って山の手にあるホテルのプールにでかけた。夏も終わりかけていたし、交通の不便なせいもあって、プールには10人ほどの客しかいなかった。そしてその半分は泳ぎよりは日光浴に夢中になっているアメリカ人の泊まり客だった。

旧華族の別邸を改築したホテルには芝生を敷きつめた立派な庭があり、プールと母屋を隔てているバラの垣根づたいに小高くなった丘に上ると、眼下に海と港と街がくっきりと見下ろせた。

『風の歌を聴け』 村上春樹

30分かけて彼女のアパートまで歩いた。

気持ちの良い夜だったし、泣いてしまった後で、彼女は驚くほど上機嫌だった。帰り道、僕たちは何軒かの店に入ってあまり役に立ちそうもないこまごまとした買物をした。苺の匂いのする歯磨きや派手なビーチ・タオル、何種類かのデンマーク製のパズル、6色のボールペン、そんなものを抱えて僕たちは坂道を上り、時折立ち止まって港の方を振り返った。

この小説の時代設定は1970年だが、昭和30年代の大学生が送る生活としては随分スノッブな雰囲気が伝わってくる。

短編『ランゲルハンス島の午後』に登場する 《趣のある古い石の橋》は。夙川にかかる葭原橋がモデルとなっていると言われているし、『海辺のカフカ』で印象的な高松市の郊外にある《旧家のお金持ちが自宅の書庫を改築してつくった私立図書館》は、もしかしたら、先述の「白鹿」の名で知られる「辰馬本家酒造」の寄付によって建てられた西宮市立図書館のイメージが作者の頭の片隅にあったのかもしれない。この西宮市立図書館の旧館も、今は取り壊されてしまったが、スパニッシュ建築の洋館であったそうだ。

なによりも、村上春樹の小説全体に漂うどこか風雅なスノビズムは、 この阪神スノビズム文学の形を変えた後継者と言えるのではないか。谷崎潤一郎しかり、田辺聖子しかり、阪神スノビズム香る文学は、ただスノビズムに酔いしれているわけではない。そこには失われた美しいものへの追悼があり、どこか、富裕なことに伴う怠惰さや空虚さを揶揄するような冷めた視線もある。うわべは優雅で滑らかに過ぎていく日々や人間関係に秘められた不穏さや不安も。

そういうものひっくるめて全てが、阪神スノビズム文学の魅力である。だからこそ、この地域出身の者も、ここに憧憬を感じる者も、世代や故郷を超えて、惹かれ続ける何かがあるのだと思う。

《参考 》

1. 『細雪』 谷崎潤一郎 (新潮文庫)

2. 『女系家族』 山崎豊子(新潮文庫)

3. 『華麗なる一族』 山崎豊子(新潮文庫)

4.『私的生活』 田辺聖子 (講談社文庫)

5.『おかあさん、疲れたよ』 田辺聖子(講談社文庫)

6.『休暇は終わった』 田辺 聖子(新潮文庫)

7.『ミーナの行進』 小川洋子 (中公文庫)

8.『錦繍』 宮本輝 (新潮文庫)

9.『青が散る』 宮本輝 (文春文庫)

10.『風の歌を聴け』 村上春樹 (講談社文庫)

11.『ランゲルハンス島の午後』 村上春樹 (新潮文庫)

12.『海辺のカフカ』 村上春樹 (新潮文庫)

13.『阪神間モダニズム 六甲山麓に花開いた文化、明治末期ー昭和15年の軌跡』 「阪神間モダニズム」展実行委員会 編著 (淡交社)

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