書評・エッセイ 『花はらはら人ちりぢり 私の古典摘み草』 田辺 聖子


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田辺聖子さんは、恋愛小説の名手で、長編でも短編でも実にココロにくい作品が多いので、そればかり読んでいたけれど、『おかあさん疲れたよ』では、主人公の妻が、田辺聖子さんモデルとおぼしき、古典を題材にした人気作家という設定で、彼女が京都の古典ゆかりの地を若い恋人と巡るシーンがとても印象的だった。彼女は、古代の日本とか神話時代とかを舞台にした一風変わったラブ・ロマンスを書いている。

といって、美未は決して高踏的、芸術的な作品だと自作のことを誇っているわけではなかった。美未は昔から芸術というコトバも、あまり好きではなかった。(略)大阪の古い川柳に、

<芸術といはれて困る鴈治郎>(五葉)

という句があるそうだが、<芸術>に関係のないところで仕事して、出来上がってみると芸術でないとはいえない・・・という、そういうあやふやだが一種の市民権を与えずにはいられない、そんな世界を夢みていた。

『おかあさん疲れたよ』 田辺聖子

ここのところ、田辺聖子さんの創作指針というか、珍しく作者の心意気みたいなものを吐露していて好きである。宝塚が大好きで、雅な王朝文化やロマン溢れる古代世界に憧れる少女のような一面を残していた田辺さん。現代の恋愛小説だけでなくて、古典を題材にした彼女の作品も読んでみたいなあ、と思った。それからほどなくして、エッセイ『ほっこりぽくぽく上方さんぽ』を読んで、田辺さんの古典知識の造詣の深さにも驚かされた。

前置きが長くなったが、この本は、そんな田辺聖子さんが古典の文学案内をしてくれるとても楽しい本だ。取り上げられている作品は、『源氏物語』や『平家物語』といった超スタンダードなものから、江戸初期の怪談奇談集『伽婢子(おとぎぼうこ)』や『宿直草(とのいぐさ)』、歌舞伎台本『与話情浮名横櫛(よわなさけうきなのよこぐし)』、川柳本『武玉川』と、ちょっと変わったものまである。伝統的な古典作品の中に、昭和初期の少女小説『花物語』の作者吉屋信子や有名な童謡「花嫁人形」を作詞した蕗谷虹児などを取り混ぜているのも、田辺聖子さんらしくて実に良い。

江戸中期の文化については、歴史学者田中優子優子さんの『江戸の想像力』や『江戸はネットワーク』などを読んで興味を持っていた。ただ、古典や漢籍の「パロディ化」が前提となっている黄表紙や狂歌は、その手の知識がない素人がいきなり見て面白さを理解するのはかなり難しい。しかし、田辺聖子さんは、黄表紙『桃太郎御日噺』がいつの間にやら安珍清姫のパロディになり、『大非千禄本』にはアダルト向けの艶笑も含まれていたり、狂歌ブームの仕掛人となった四方赤良(よものあから)が後徳大寺左大臣の有名な有明の月の歌をさらりと茶化してみせる様子など、鋭いセンスと巧みな文章で、テンポよく解説してくれる。

そうなのだ、狂歌はこんな風に本歌取りすることが多いので、その教養がなくては、醍醐味は味わえない。これは大衆にははなはだ困る要素で、同じように、滑稽やおかしみを文学テーマにしながら、川柳にやがて、おくれをとった所以でろう。(略)

ただ、近来、正月の景気付け行事のようにして、百人一首のパロディが募られたりすると、結構、出来のいい作品が寄ってくる。狂歌的センスは日本民族の資質の中にいまなお、脈打っているらしい。

この本には、田辺聖子さんの作品に漂う鋭いセンスと柔らかで温かい大人の人情味みたいなものがしっかり出ている。例えば、『平家物語』では、猛々しい武士達の姿ばかりではなく、惰弱で女々しい通盛と妻・小宰相のエピソードに目をとめる。『源氏物語』では、物語を華麗に彩る数多の華やかな女性達の中から、地味で控えめだけれど批判精神もあり心細やかな「花散里」を選ぶ。樋口一葉の『十三夜』では、嫁ぎ先を飛び出して行き場のないお関の心情ではなく、あえて、邂逅した初恋の人・録之助の心の闇に着目する。『枕草子』の作者清少納言が、訳知り顔で道理や様式美ばかりをお説く才女ではなくて、お茶目で派手好きな生き生きとした女性であったことを教えてくれる。

どれも、私たちが通り一辺倒な古典の授業で習ったイメージとは少し違っている。だけど、そういう重層的で複雑な面を持っているのが、実は古典の面白さなのだ、ということを、短い章の中でも田辺さんはしっかり描きだしている。高校の古典の授業に、田辺聖子さんの本を取り入れたら、つまらない授業も少しは面白くなるのになあ、と思う。

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