書評 『聖母の全美術史 信仰を育んだイメージ』 宮下 規久朗 ②


前回の記事で触れた内容は、言わば聖母の美術史における「正統」な系譜である(正統の割には、信者には理解し難い奇抜さやエロティックさがあることは否めないが…それはさておき)。本書の面白さは、この正統な聖母美術史だけではなく、ある意味で異端で亜流である「黒い聖母」の方に、スポットを当てたことだろう。「黒い聖母」とは、フランスの中高地を中心に、イタリアやドイツなどヨーロッパ全土で、民間信仰的に崇敬されてきた、聖母子の顔が黒いイコンや聖母子像のことで、450体ほど存在すると言う。少し長いが、本書から重要な部分を引用してみる。

こうした黒い聖母について考えることは、西洋でなぜかくも聖母信仰が強固に継続してきたかを解き明かす示唆を与えてくれるようだ。つまり、聖母は西洋の古層である様々な古代宗教の複数の地母神を継承し、習合したものにほかならず、狭いキリスト教のみの枠内、ましてやさらにずっと後に成立した新約聖書からの理解によってとらえることはとうてい不可能なのだ。キリスト教は、日本の仏教と同じく、長い時間をかけてその地の古い宗教を習合して徐々に形成された宗教であり、聖書のみで原理主義的にとらえることのできない広がりや奥深い歴史を持っている。聖母信仰もそれによって考えるべきものである。

このことはまた、聖母信仰が偶像崇拝的な起源を持つことを物語っている。聖母についてのテキストは聖書にほとんどなく、その生涯も考えも曖昧であるにもかかわらず、その彫像や画像が奇跡を起こすという伝承が世界中に膨大に伝わっている。それはとりもなおさず、聖母信仰が具体的な像と共にあり、具体的な像抜きには成立しないものであることを示しているようである。(略)聖母信仰は本来はそうしたテキストや明確な教義のない、きわめて即物的・視覚的で異教的な偶像崇拝から始まり、拡大してきたと言えよう。

本書では、黒い聖母の起源は、キリスト教以前の女神たち、例えばギリシア神話のアルテミス、デメテル、小アジア・フリギアの地母神キュベレ、エジプトのイシス、イシュタルといった地母神への信仰が集約し、それらの像が転用されたのではないか、としている。これらの大地の女神、地母神たちのイメージを受け継いだのが、聖書のテキスト上では殆ど名もなき1人の母として語られている聖母なのである。また、黒い聖母には、旧約聖書に登場するシヴァの女王が投影されている、という説もある。さらに著者は、文化人類学者の石田英一郎氏著書『桃太郎の母』を引用し、《エトルリアやサルディニアの聖地の遺跡から発見された青銅像に、あきらかに成人した男性の遺体を抱く母親の像があることから、そこにピエタの原型を見ている》と結んでいて、こちらも非常に興味深い。

つまり、聖母のイメージはこういった古い神話や民俗信仰を取り込んでいった側面が非常に大きく、それは正統なキリスト教美術という枠組みでは捉えきれない、複雑で豊かに溢れるものを持っている。そのシンボル的存在として挙げられるのが「黒い聖母」なのである。

こうした自由で豊かな聖母のイメージが、世界各地で様々な美術を生んでいった。ヨーロッパ全土の黒い聖母は言うまでもなく、メキシコの国民的シンボルとなった「グアダルーペの聖母」像も、アステカ時代から続くトナンツィンという民間の女神信仰をベースに、「無原罪の御宿り」の図像が独自に発展した黒い聖母の一種である。

「グアダルーペの聖母」は、「メキシコの母」にして、1945年には教皇ピウス12世によって「アメリカ守護者」に認定された。(略)この聖母はメキシコ国家の象徴であり、現在でもメキシコの国旗ともいわれるほど広く流通している。

著者はこの文章に続き、現代のメキシコ系アメリカ人の女性アーティスト、デリラ・モントーヤの作品『グアダルパーナ』を紹介し、手錠をかけられた男性の背中にグアダルーペの聖母の刺青が象徴的に描かれていることから《聖母に代表されるキリスト教は同時に、西洋におけるアメリカ大陸の侵略や暴力を正当化し、偽装してきた》と語っている。キリスト教と西欧における正統と異端、民間信仰、さらには啓蒙主義や植民地主義、、といったいくつものテーマが複雑かつ重層的に絡み合ったエピソードだ。

南米では他にもインカ帝国の最高神パチャママという地母神のイメージを受け継いだペルーの『マラガの聖母』など、独特の図像が紹介されているが、遠く離れた日本にもまた、「黒い聖母」的な、民間信仰と結びついた聖母像が残されている。著者は、著書『美術の力』でも、大阪中津の南蛮文化館所蔵の『悲しみの聖母』など、数少ない日本でのキリスト宗教画を取り上げているが、日本の隠れキリシタンの歴史は実は長く、地下に潜って正統な教義からは離れざるを得なかった事情の為に、返って民間信仰や土着信仰と結びついて非常にオリジナルで興味深い発展を遂げた。仏画や仏像の影響を色濃く受けた「お掛け絵」や「マリア観音像」などは、美術的価値は高くないかもしれないが、その文化や宗教的特徴は非常に興味深く、もっと研究されても良いのではないかと思う。日本の隠れキリシタンと言えば、「踏み絵」を思い出すが、著者は、そもそも踏み絵自体が偶像崇拝を禁ずる西欧のキリスト教には無い考え方であり、《神を表した像には何であれ仏像と同じような聖性を認めてしま》う《日本的な発想》のものである、と主張しており、なるほどと思った。

「黒い聖母」ではないが、聖母と民間信仰が結びついたものとして「ロザリオ信仰」も挙げられるだろう。そもそもロザリオは、もともとバラの冠という意味で、そこから数珠や念珠を指すようになったが、この数珠というもの自体が、イスラム教、仏教、ヒンドゥー教に共通する非常にユニヴァーサルな信仰なのである。著者は、ロザリオの祈りにおける十五玄義と仏教の観無量寿経における十六観の類似を指摘している。

ロザリオ信仰は、15世紀にブルターニュのドミニコ会士アラヌス・デ・ルペが形式を整え、その後ケルンでロザリオ信心会が設立、教皇シクトゥス4世に認められて16世紀に信仰が広がったが、イタリアで最初にロザリオ信心会が設立されたのがヴェネツィアであった、という事実も非常に興味深い。ここで私は、再びローナ・ゴッフェン著の『ヴェネツィアのパトロネージ』を思い出してしまった。ヴェネツィアでは、伝統的に勝利の女神と聖母を結びつけたイメージが、国家の象徴として崇められてきた。また、本書でもヴェネツィアのエクス・ヴォート(奉納画)を取り上げ、《聖母はステラ・マリス(海の星)の異名を持ち、海の守護者として古くから航海者の熱心な信仰を集めてきた》と述べている。ヴェネツィアでは、レパントの海戦に勝利した日を「ロザリオの聖母」の記念日と定めている。本来のキリスト教の教義や聖書の記述とは一切関係のない、勝利の女神や海の女神と結びついた聖母のイメージが、正統なキリスト教のお膝元であるイタリアでも、脈々と息づいているのである。

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