書評・小説 『満州国演義一 風の仏暁』 『満州国演義二 事変の夜』 船戸 与一


『風の払暁―満州国演義一』をお得に読む

池澤夏樹の『静かな大地』の記事を書いた時、インスタのフォロワーさんにご紹介いただいた本。外浦吾朗の名前で有名な『ゴルゴ13』を書いた作家さんで、普段ハードボイルドな作品を全然読まないので船戸与一の作品自体も初めてだったが、一度太平洋戦争に至る経緯を詳しく読んでみたいと思っていたので読み始めたら、面白くて止まらない止まらない。作者が癌と闘病しながら9巻完結まで書き上げて絶筆となった遺作で、まだまだ先が長いので、2巻ずつまとめてみた。

第1巻の『風の仏暁』は、昭和3年から始まり張作霖爆殺事件の前後を描いている。第2巻の『事変の夜』は、文字通り満州事変が始まり上海事変に戦火が広がる時期が舞台だ。東京港区赤坂の嶺南坂にある名家に生まれた敷島四兄弟が主人公で、長男の太郎は、東京帝大を卒業して外交官となり、奉天総領事館に勤務。次郎は、ヤクザと喧嘩して片目を失明した後放電し、現在では満州で馬賊の頭となっている。陸軍士官学校を出て関東軍に配属された三郎と、早稲田大学に籍をおきながら左翼思想に共鳴している四郎。

この四兄弟の視点で戦争前夜の満州の様子がつぶさに描かれるのだが、当時の満州が、既に中国人だけでなく、朝鮮人や日本人も大量に入り乱れていた複雑な情勢だったことがよく分かる。

特に興味深いのは、次郎がその身を置く満州の流民的「馬賊」の存在に着目していることだ。「緑林の徒」「匪族」とも呼ばれた「馬賊」は、ヤクザと傭兵部隊の中間のような存在で、中国内では国民党と共産党、長らく迫害を受けて独立を目指す蒙古族や朝鮮人、そして日本軍にロシア軍、と報酬と時宜に依ってそれぞれに味方し、重要な戦力となったのである。中心は中国人だが、流れ者の集まりなので、朝鮮人や日本人も混じっており、中には「満州お菊」「吉林お静」と呼ばれた日本人女性の頭までいたというから驚きだ。

神道系の新興宗教である大本教の教主出口王仁三郎は、中国山東省で興った道院と結託し、張作霖の配下で蒙古人独立を目指してソ連赤軍と戦う。満州で満州日報奉天支局記者を務めていた寄居雄児は、中国共産党に共鳴して入党する。そして、かの有名な川島芳子は、清朝王家の血筋から日本の大陸浪人であった川島浪速の養女となり、蒙古族カンジュルジャップと結婚して離婚した後には、関東軍のスパイとして活躍する。川島浪速は、蒙古族の独立を支援しており、遺児として彼に引き取られたカンジュルジャップは日本の陸軍士官学校を卒業していた。とにかく、あらゆる民族の利害が複雑に絡み合い錯綜しているのである。もちろん、中国人も国民党と共産党は真っ二つに別れているし、一枚岩ではない。

それぞれの民族が絡み合って錯綜していた経緯があったからこそ、「五族共和思想」が、ある種の理想的な正当性を持って唱えられ始めたのだ、ということが納得できる。しかし、歴史で習う通り、それは、やがて日本帝国の野望にすり替えられていき、時間の満州国建立に向かうのである。

もう一つ、私が個人的に興味を持っているのは、太平洋戦争の背景にある日本の軍政の成り立ちや発展の経緯である。これは、『父が子に教える昭和史』を読んだことがきっかけだった。学校で教える昭和史は、太平洋戦争の責任を軍部に一任しているので、後世の人達にとって、昭和の軍部というのは常に「とらえどころのない」「頭がおかしい戦争狂いの集まり」みたいなイメージが強いと思う。しかし、少し勉強すれば、当時の軍部がいかに知的水準の高いエリート組織であったかということが分かる。だからこそ、現代の私たちから見れば狂気の沙汰としか思われない太平洋戦争になぜ突入したのか?それが気になるのである。少し長くなるが、『父が子に教える昭和史』の記事の感想を引用しておく。

確かに日本はアメリカと互するには余りに貧しくて開発が遅れていたかもしれないが、短期間で零戦や戦艦大和を仕上げた技術力は驚愕に値するし、天皇を神と崇める狂信的な軍事国家一辺倒だったわけではなく、軍部にはエリート中のエリートが揃っていたし、大正デモクラシーによって民主主義の萌芽もあったし、多くの国民もただ一途に狂信的だったわけではなく、このような戦争の無謀さを知りながらも敢えて特攻に志願するような若者が多かった。

それなのになぜ、こういう戦争が起こってしまったのか、というところに一番重要なポイントがあると思う。

「今は正気に戻った私達なので、こんなことをはもう二度と起こらないのだ」という自己欺瞞で問題を片付けようとしている限り、絶対に本質が明らかにならないポイントが。

まだ始まったばかりなので分からないが、『満州国演義』シリーズでも、ここは大きなポイントとなってくるのだと思う。始まり、第1巻の冒頭に、戊辰戦争における会津藩と薩長藩との戦いのエピソードが語れるのである。このエピソードについては、2巻までには全く語られない。

ただ、例えば、太郎とその友人新聞連合者の記者香月信彦の会話。

「陸軍内での下克上の風潮は一段と強まるだろう。いったいなんでこんなふうになったと思うかね?」

「考えたこともありませんよ、そんなことは」

「長州閥の崩壊だよ。明治維新の残光の消滅」

「日露戦争で勝利したあと陸軍内の長州閥は制度疲労を起こしはじめた。それが決定的になったのは先の欧州対戦に突入してからだよ。軍人にとって長州出身ということはほとんど意味を持たなくなった。長州出身というだけで陸大に進める時代じゃもうない。陸大にはいるためには出身と関係なく激烈な競争に打ち克つ必要がある」

「それがどうしたんです?」

「陸軍士官学校を卒業して陸附将校になった連中のなかで頭のいいやつは連隊長に眼をつけられる。連隊のなかから何人陸大に送り込んだかで連隊長の評価が決まるからだよ。その結果、優秀な隊附将校は本来の任務を放棄してでも陸大進学のための選抜試験の勉強をするように勧められる。要するに、徹底して甘やかされるんだ。陸大に進むと、今度は将官が阿るようになる。それが現在の状況を産んだ。そうやって育った少壮将校が軍中央の意思を完全に無視して行動する。・・・もう陸軍は行き着くところまで行くしかないんだろうよ。そう思うとわたしは妙な不安に駆られる。」

或いは、上海事変での海軍の先制攻撃での一幕。

太郎はまだ半分も喫っていない煙草を灰皿のなかで揉み消した。海軍陸戦隊の意気込みは手に取るようにわかる。天津に司令部を置く支那駐屯軍の関東軍にたいする対抗心は相当なものだが、海軍の陸軍にたいするそれはその比じゃない。西南の役が終わり、日本軍が外征型になってから海軍はずっと陸軍の補助的なものとしての位置づけに甘んじて来た。海軍陸戦隊はその関係に楔を打ち込む好機と捉えているのだろう。

冒頭の戊辰戦争のエピソードがどんな意味を持つのか、読み進めていくうちに明らかになっていくだろう。

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