書評・小説 『満州国演義三 群狼の舞』『満州国演義四 炎の回廊』 船戸 与一


船戸与一の遺作『満州国演義』シリーズの第3巻と第4巻。第3巻では、満州国成立後、高まる国内の不満を背景に軍部の力は増大し、五・一五事件、やがて熱河侵攻へと昇華していく。第4巻では、中国人や朝鮮人らの抗日戦が続く中、満州を巡って国際情勢は複雑化していき、内地ではついに二二六事件が起こり、日本人が新たな戦争への道を確実に歩み始めるまでが描かれる。

興味深いのは、五・一五事件そして二・二六事件に至る、内地の思想的背景だ。

五・一五事件は、井上日召の3月の血盟団事件に続く「昭和維新」として決行された。軍部の若手を「維新」に駆り立てた背景には、財閥や長州閥や海軍あるいは陸大卒エリート組など既得権益層への根深い不満がある。

本庄繁元関東軍司令官は満州を去るにあたってひとつの指示を残していった。それには石原莞爾元参謀の意思が色濃く反映されている。太郎はその文言を憶い出した。

下士官兵は日露戦争当時と異なり労働運動ないしは農民運動を経過し来たりしもの多数を占む。ゆえに彼ら凱旋の後、その郷里の経済状況が出征まえよりなお悲惨なるものあるを認め、ただ満州の諸事業が資本家利権屋ないしは政党者流によって壟断せられたりとの感を与うるときは彼らは省みて何のために奮闘殉難なりしあやを云々するに至るなきを保せず。

この言葉は明らかに五・一五事件の再発を危惧しているのだ。海軍蹶起将校たちの犬養首相殺害理由と呼応している。あのとき、将校たちは現場に檄文のビラを撒いた。政権党利に盲いたる政党と、これに結託して民衆の膏血を絞る財閥と、っさらにこれを擁護して圧制日に長ずる官警と、軟弱外交と、堕落せる教育と、腐敗せる軍部と、悪化せる思想を打破すべくわれらは前衛として起った!

日本の軍部がファシスト的全体主義に変化していく前段には、非常に左翼的な思想があったことが分かる。単に右翼か左翼かという切り分けでは説明できない。これは、ドイツやイタリアでも同じことだろうが、日本では、民権運動や民族主義までもが、国威と国体至上主義に昇華されていくという、複雑怪奇な状況があった。

全シリーズを通して、主人公敷島太郎の友人、新聞記者の香月信彦が、日本の社会的背景について実にわかりやすく客観的な分析を述べて、読者の理解を助けてくれるのだが、その信彦は次のように言う。

「当時の民権運動はそのまま国威運動へと移行する。そこに何の矛盾もない。あのころの民権運動はただただ薩長門閥憎しから起こったものだからね。それに、明治二十二年の大日本帝国憲法発布が大きい。民権運動も運動の根拠を失った。頭山満の玄洋社も今後は国威発揚のために粉進するとの声明を出した。それを支えるのが大アジア主義だよ。欧米の白人優越主義をひっくりかえす。これに異議を唱える者はいない。」

「維新での攘夷論は明治にはいって大アジア主義への変貌していった。しかし、この大アジア主義というのは具体的な内実を伴っていない。漠たるスローガンとして拡散していった。つまり、大アジア主義は人によってその内容が異なるんだよ。西洋文明に抗するというだけが共通の概念だからな。つまり、大アジア主義は尖鋭化するほどの結束力を持っていない。それが政府公認のイデオロギーとなった理由だよ。大川周明ほどの明晰な頭脳をもってしても論理化できず、幕僚将校たちに国家改造を焚きつけるだけだ。大アジア主義と国家改造論を結びるけるものは具体的には何も見つからん。あまりにも漠としていて、梵鐘ぐらいにしか使えんからだろう。」

日本の民権運動が本来の民主的な政治体制の実現に向かわず、国威運動と結びついていったこと、そして、維新での攘夷論や日清、日露戦争を経て温められ歪んでいった、欧米覇権主義への反発、この2つの点は、日本の近現代史を語る上でもっともっと掘り下げられて考えられるべきものだと思う。このあたりは、加藤陽子の『それでも日本人は戦争を選んだ』でも触れられている。

そして、こういう複雑怪奇というか、容易に溶きほぐせない思想的潮流が、二・二六事件では、「天皇機関説の強烈な拒絶」=「天皇崇拝」という、さらに歪んだ形であらわれてくる。

「総力戦体制を構築するには天皇機関説を論理的な基礎としなきゃならないかも知れないと永田少将は山県元帥に打診したらしい。そしたら、そんなことはあたりまえじゃないかという元帥の返答を得た。これには永田少将も呆気に取られたらしい。何しろ、天皇を現人神だと言い立てて来たのは長州出身の政治家や軍人たちだっったからな。しかし、考えてみれば、これは実に合理的だ。・・・それを国家神道の最高権威と統帥大権を独占する大元帥を兼ねる現人神に仕立てあげたのは長州閥だ。長州騎兵隊軍監となり、戊辰戦争から西南の役、日清日露の両戦争を指導してきた山県元帥にしてみれば、天皇は大日本帝国の必要不可欠の機関なのだというのは論議する必要もないことだったろう。・・・だが、陸士十六期卒の連中は天皇現人神説ががっちりと根づいた時期に育ってる。山県元帥のあたりまえじゃないかという言葉には唖然とするしかない。小畑少将はその言葉が吐かれたことさえ信用しなかった。それが天皇は神聖にして侵すべからずという帝国憲法第三条を絶対視する荒木大将や真崎大将の考えになびいていった」「その結果はどうなっていくんです?」「まだわたしにもわからん。しかしな、永田少将の考える総力戦体制とは必然的に日本の重工業化の道を意味する。その労働者は農村から供給されるしかない。それは必然的に農業の荒廃を招く可能性を秘めてる。・・・これにたいして荒木大将や真崎大将はぼんやりと天皇親政を考えてる。天皇親政の基礎は兵農一致だ。・・・天皇親政は農本主義と切っても切れない関係にある。永田少将の総力戦体制論と兵農一致論はいつか激突する惧れがある。」

このあたりになると、もう解明不可能なほど複雑化している気もしてしまうが、やはり、そこは、これからの日本を考える上でも、踏みとどまって、もっと掘り下げて考えるべき点なのではないか、と個人的に思うのだ。それにしても、メインストーリーとは別の流れで、ワキ役との会話の中で、端的にこの問題の複雑さを指摘している作者の明察と小説家としての技量にはただただ感心するというほかない。

第3巻から第4巻でもう一つ興味深いのは、満州を基軸に、次第に日本と中国だけでなく、様々な国際情勢が絡んでくるその様子だ。

抗日朝鮮勢力を見ると、李承晩はアメリカの助力を得ようと画策し、また抗日救国義勇軍が国民党と結びついて、コミンテルンをバックとした東北反帝同盟と対立する。インドの独立運動を率いるビバリー・ボースやチャンドラ・ボースら、あるいはモンゴルの独立運動を願う勢力も、日本や満州国との結びつきを深める。さらには、ヒトラーに迫害されたユダヤ人が、満州にユダヤ人独立国を興すために日本に近づく動きもある。

こういった複雑で錯綜した国際情勢の動きは、やがて起きる太平洋戦争、第二次世界大戦の動きと繋がっていくだろう。

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