書評・小説 『白蓮れんれん』 林 真理子


『アンのゆりかご 村岡花子の生涯』で、村岡花子と白蓮こと柳原燁子と友情に触れてから、急に興味が湧いた。「白蓮事件」については、Wikipediaにも載っているくらい有名だから、薄々知ってはいたけれど、彼女自身について詳しくは知らない。柴田錬三郎賞を受賞したこちらの作品、林真理子さんの小説なら読みやすそう、と思って読んでみた。

伝記小説にしては、事実の羅列部分は殆どなくて、起承転結のはっきりしたストーリーラインと登場人物への感情移入に力点を置いた、林真理子さんらしいエンタメ的小説に仕上がっている。良いなあ、と思ったのは、登場人物にプロトタイプ化した悪人が出てこないこと。例えば、普通の恋愛小説やエンタメ小説だと、白蓮が決別する元夫の伝右衛門とか、典型的な悪者に仕立て上げられてしまいそうだ。きっと、実在した人物だし、まだご子息関係者もたくさん生存されている中で作者が気を使った部分もあるんだろうが、こういうただでさえ劇的なストーリーで、登場人物が単純化されてしまうと完全にメロドラマ化してしまい興醒めである。

そのあたり、作者の林真理子さんは、主人公白蓮だけの視点や心理にフォーカスするのではなく、対比的人物である義理の娘にあたる初枝などの視点を取り入れて、うまーく読者の感情移入を助けてくれる。ちょっと、社会的背景を見事にすっ飛ばして、女同志の微妙な関係や感情のもつれ、といった点だけにフォーカスし過ぎな感じはするけど、さすが林真理子さんはこういうこと書かせたら面白い。

それなのに兄はまた新しい女をこの家に引っ張り込んだのだ。初枝は足がすくみそうになる。明子はどれほど傷つき、懊悩していることだろうか。彼女が嘆き悲しむさまを見るのが初枝には死ぬほど切ない。それは燁子を愛し慕っているからというよりも、ひどく重たく厄介なものを背負わされるという思いがするからである。つらい、哀しい、という感情が燁子の場合、とことん根源的なものになる。それは見ている若い女の気持ちを暗く塞いだ。

欲を言えば、この本は、白蓮が伊藤伝右衛門の元に嫁ぎ、出奔して白蓮事件を起こすところまでがメインストーリーとなっているが、私としては、その後の白蓮と宮崎龍介についてもう少し書いて欲しかった。この本を読んで色々調べてから知ったのだが、世間を騒がせた白蓮事件が落ち着いてから、意外にも、、、と言ったら失礼なのだが、二人は一男一女をもうけ、81歳で彼女が先に亡くなるまで添い遂げるのである。こんな思いをして一緒になったんだから当たり前じゃん!?って思うのは、きっと若い人。こんなに激しい恋と騒動の後には、返ってうまくいかなくなることが多いんだよ、と数多の恋愛物語や捻くれた大人は教えてくれるだろう。

そんな捻くれた大人からすると、激しい恋というのは、自分自身の心の跳ね返りであることが多い。もちろん、相手が誰でも良いというわけではないけれど、恋に落ちて呑まれていく大半は、自分自身にある、と私なんかは思ってしまう。だからこそ、その後、自分自身と向き合い続けなければいけない、その後が、大変なのだ。白蓮で言えば、日本中を騒がすような駆け落ち事件を決行し、その絶大な余波がおさまった後、一時は結核で命も危ぶまれた龍介を介護し、家系の負担を肩代わりしたり、その後も政治的・社会的運動で幾多の逆境を経験することになる彼をサポートし、自らは子供を育て、かつ、歌人としての活動を続けていき、81歳まで生き続ける、、、という不屈の精神とバイタリティと忍耐力。その後半生の方が、事件を決行したことよりも、ある意味すごいことなんじゃないかな、と。ま、恋を忘れたおばさんの捻くれ心、かもしれませんが(笑)

余談だが、この本の中で、白蓮が自ら夫の愛人を差配し、時には同衾した、というエピソードが出てくる。Wikipediaさんにも似たような話が掲載されているから、満更根拠のないことでもないらしい。これを読んで、山崎豊子の『華麗なる一族』を思い出した。何度もドラマ化されたこの作品は、ご承知の通り、大富豪の銀行家一族をめぐる物語だが、この万俵家のご当主が、華族出身の本妻と愛人を何度か同衾させるのである。なんつー悪趣味なプレイ!と記憶に残っている方も多いと思うが、もしかしたら、山崎豊子はこの白蓮のエピソードをモデルにしていたのかもしれない。いや、それとも、やんごとなき方たちには結構ありふれたプレイだったりするのだろうか・・・ノーマルな平民の私には知るよしもないことである。

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