神戸の小さな洋糖輸入商から始まり、大正から昭和初めまで、日本初の総合商社として日本一の年商でその名を知らしめた鈴木商店。その後継会社は、神戸製鋼所、帝人、日商岩井、太平洋セメント、IHI、サッポロアサヒビール、日本製粉、三井住友海上火災保険、三井化学、昭和シェル石油など、錚々たる名前が連なる。女性ながら、事実上の創業から倒産まで、そのトップに君臨した鈴木よねを主人公とした小説である。
初版発行は2007年だが、2014年には竹下景子主演で舞台化、天海祐希主演でテレビドラマ化された人気作だ。自身も兵庫・神戸出身である著者の玉岡かおるが、鈴木商店に勤めたOBやその親族たちで組織される「辰巳会」、のちの子会社にあたる双日・神戸製鋼・IHI、或いは当時の経営者達の親族などに直に取材し、4年の歳月を費やして創作したと言う。関係者も多く生存し多大な協力を仰ぐ中で、色々「忖度」しなければならないところも多かったのだろう。主人公よねの人間像や心理に迫るような描き方はしていなくて、むしろ、実在しない養娘の「珠喜」や継娘となる「お千」をめぐる物語など、フィクション部分を拡大して、ややメロドラマ的な仕上がりになっている。
メロドラマ部分は置いておくとしても、鈴木商店の目を見張るような隆盛ぶりは、そのままドラマとして実に面白い。創業者であるよねの夫岩治郎が急逝してから、よねが女手一つで事業を継続する決断をするところ、経営サイドのトップとして実業を全面的に任された金子直吉が、樟脳の取引で大損し倒産の危機に立たされるところ、それをよねの必死の金策で何とか食いつなぎ、恩を感じた直吉が、八面六臂の大活躍で、台湾植民と第一次世界大戦の好景気を商機に事業を次々と拡大していくところ・・・明治後期から昭和初期の、商都神戸の勢いある様子も面白いし、日清戦争後に植民地化された台湾との関係について詳しく書かれているのも興味深い。
台湾との関係については、日本ではやたらと楽観的・肯定的に受け止めている傾向が強いが(多分、お隣の中国や韓国との関係悪化の反動だろう)、やはり他国を植民地化するということは、原住民との軋轢無しでは成立しなかったのだな、とよく分かる。日露戦争に出征して心にも身体にも生涯癒えない傷を負い、台湾の原住民と結婚して子供までもうけても引き裂かれてしまう田川の姿を通じて、戦争の残酷さと虚しさを描いている。作中で、森鴎外の反戦の詩や、島崎藤村の詩などを繰り返し使っているのも、当時の人々の心情を想像して味わってほしい、という作者の意図が感じられて印象的だ。
日の出の勢いで拡大する鈴木商店も、第一次世界大戦後の不況、その余波をくらっての本社焼き討ち事件、関東大震災に金融恐慌という荒波を被り、倒産と解散を余儀なくされる。関係者が多い中では、主人公の鈴木よねや経営トップの金子直吉などを悪く描くこともできないので難しいのだろうが、欲を言えば、鈴木商店が破綻する原因については、もう少し突っ込んだ分析が欲しかった。瞬く間に神戸の一商店から日本一の総合商社にのし上がった裏には、それだけあっけなく破綻してしまう無理や歪みも抱えていたに違いない。鈴木商店の突然過ぎる倒産には、時代の流れと世間の妬み嫉みだけでは片付けられないそれなりの理由があったはずである。台湾銀行との癒着、第一次世界大戦のバブルに乗りすぎたこと、天才経営者金子直吉のワンマン経営など、もう少し客観的な原因分析があれば、より面白くなったのになあ、と少し残念である。
タイトルの「お家さん」とは、
それは古く、大阪商人の家に根づいた呼称であった。間口の小さいミセや新興の商売人など、小商いの女房ふぜいに用いることはできないが、土台も来歴も世間にそれと認められ、働く者たちのよりどころたる「家」を構えて、どこに逃げ隠れもできない商家の女主人にのみ許される呼び名である。
商家というのは、文字通り、「商い」でもあり「家」でもあり、それらが別々に両立しているようで、渾然一体ともしている、なんとも不思議な在り方だ。しかし、日本人にとっては、この在り方が長らく自然なもので、戦後のサラリーマン社会においても、どこかその影を引きずっているところがある。そう思って読むと、「お家さん」としてシンボリックにトップを飾り続けた主人公よねと、「商い」のトップとして思う存分力を発揮した番頭の金子直吉と、その心理についても人間関係についても、もっと突っ込んで知りたくなってしまうのは故無いことではないと思う。
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