ヨーロッパからアメリカまで、様々な国、時代の芸術家や文人たち、そして彼らが訪れたカフェの名前など、横溢する文化的知識と固有名詞に埋没してしまいそうだが、タイトルに「カフェの文化史」(Cafe Society)と銘打っている通り、カフェの社会的な側面についても論じているのが、本書の特徴である。世にあまたカフェについての本はあれど(主に欧州の著者によるものだが)、殆どは有名なカフェについてのエピソードを羅列したものである。カフェ文化自体を論じるというのは、捉えどころがなく非常に難しいせいだろう。
著者は、カフェというものを、時にはブルジョワの文化的表現の一面と捉え、そして、ブルジョワ文化への抵抗としての「ボヘミアン」ライフの表現として捉える。ただ、ボヘミアンへの憧憬そのものが、ブルジョワの文化的側面、とも言える。
始まりのロンドンのコーヒーハウスから、カフェは一種の「表現の場」であり、そこに出入りすること自体が「スタイル」を保証する、という性格を帯びていた。
コーヒー店で夜を過ごすことの多かったポウプ、ドライデンといった古典主義者たちにとって、機智という言葉は彼らが宮廷生活の衰微後しないそうになっていたある種の社交上のたしなみとでもいったものをも意味していたー作品を自由に売る販路もなければ、自分たちの代りにそれをやってくれる職業的な批評家集団もいない時代に自分の職業的地位を獲得する一つの方策だったのである。
イギリスでは、《作家たちは機智を武器に友人や競争相手をやり込めようとし》、《文学的成功と機智に富んだ会話といったものの結びつき》が、新たな価値規範となって《文学と品位の融合》が起こり、ボヘミアン的カフェ文化は衰退していく。
フランス革命の火付け役として一役買ったパリのカフェも、革命後に王政が復活すると、資本主義とブルジョワへの「反抗」というよりも「逃避」としての性格が顕著に表れてくる。
また、芸術のための芸術が、ブルジョワジーの権勢に挑むというよりもそれを反映する局面は他にもあった。至上の形而上的芸術は、金融資本の勝利の中にその姿を映していたのだ。フランスに銀行家が増えれば増えるほど、芸術家の中にボヘミアンの姿が増す、というふうに見えるのもしばしばだった。芸術が、天啓を受けた一握りのロマン派たちによってのみ生み出されるものなら、これは分業への傾向と調和をなしていた。(略)ブルジョワジーを芸術のための芸術に惹きつけていたこの密かな吸引力は非常に強かったため、義務はなくて金だけはあるその若き子弟たちは、大通りに面した優雅なカフェで、ゴーチェの規範にしたがって生きることで時間を費やしていた。
かくして、ボヘミアンというのは一種のスタイルとなり、それを表現するためのカフェという場は、主役を次々と乗り換えて回転し続ける。シャルル・ボードレール、マネやドガといった印象派たち、《カルティエ・ラタンやモンマルトルのカフェに集まっていた詩人たちの存在がなかったら、今もって高踏派の小詩人としか見なされていなかったかもしれない》ポール・ヴェルレーヌ、そして《最後のボヘミアン》モディリアニ。
19世紀末に束の間ロンドンで復活したカフェ・ロイヤルもまた、《一種の文芸市場のようになって》、《文学の公開討論の場でもあり、批評のための研究会の場ともなって》いて、《オスカー一派、デカダンスの同類、道徳の破壊活動分子たるイギリスのボヘミアを代表していた》。
同じ頃、ウィーンのラントマンのようなカフェは、フロイトにとって《彼の見解を伝えるのにかっこうの公開討論の場》であった。
カフェは、芸術家たちに創作のインスピレーションを与え、創作活動をする場となっただけではない。(むしろ、その役割はかなり小さかったであろう、と筆者は考えているようだ)ここでは、ボヘミアンとしてのスタイルを誇示することが重要なのだ。その表現と発表の場としてカフェがあるのである。この着眼点は非常に面白い。
私自身、サロン、クラブ、カフェなど、「編集的文化が起こる場」というものに興味を持って、その種の文献を読み漁っているうちに、一般的に考えられているように、こういう場での交流それ自体が、芸術家のオリジナリティやインスピレーションの元になった、というだけではないのではないか、という思いが強くなった。そういう側面が全く無いとは言わないが、活性化したサロンやクラブやカフェというものは、往々にしてそれに参加し集うこと自体が目的となっていたりする。私が想像したのは、そこにある種の「パトロンを見つける」という目的、経済的目的があるのではないか、ということだった。本書でも、孤高のボヘミアン、モディリアニがカフェラパンに通っている様子をこう語っている。
モデル代がただですみ、しかも自分の肖像画を買ってくれるかもしれないカフェでスケッチする習慣はすでについていた。
しかし、ただ単に直接的なパトロンを探す、という以上のものがカフェにはあった。貴族、そしてブルジョワという、分かりやすい「パトロン」が消えていく中で、「大衆」というつかみどころのないパトロンであると同時に消費者であるもの、へアピールするには、カフェという場を使って「スタイル」を提示する、という方法が極めて効果的だったのかもしれない。だからこそ、刺激的な芸術家どうしの交流で、創作のひらめきを掴むとか、直接的なパトロンを探す、という以上に、その場に出入りする、ということ自体が重要だったのである。かくして、人々はボヘミアン的理想郷を追い求め、カフェは次なるアーティストの生贄を探し、その場所を移していく。一つの場としてアピールが完成されたカフェは、ただのスポットであり、理想郷ではない。
このあたりは、もう少し自分なりに考察を深めたいところである。難解で衒学的な文章を我慢して読んだかいもあった。再読する元気が出てくるかは微妙なところだが、自分にもう少し教養がついて、いちいちWikipediaさんにお伺いをたてなくてもよいほど読みこなせるようになったら、もう一度読み返してみたい本だ。
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