書評 『世界の8大文学賞 受賞作から読み解く現代小説の今』 都甲 幸治ほか ①


文学賞というのは、本読みにとって、気になるような気にしたくないような、微妙な存在である。ただでさえ読みたい本はたくさんあるし、SNSや書評サイトでは興味をひく本が次々紹介してもらえるし、それでも、名高い文学賞を受賞した作品と聞けば、放っておくわけにもいかなくて、積読本は増えるばかり。密かに良いと思っていた作品や作家が受賞すれば、内心よしよしと思うし、逆に、受賞作の良さが分からないと、なんだか自分だけ除け者にされたような、奇妙な疎外感が残る。

この本は、主に8つの日本と世界の文学賞をとりあげ、文学研究者や翻訳者らの対談形式で、受賞作を中心に、現代小説の傾向を語ったものだ。

取り上げられた8大文学賞とは、「ノーベル文学賞」「芥川賞」「直木賞」「ブッカー賞」「ゴンクール賞」「ピュリツァー賞」「カフカ賞」「エルサレム賞」の8つである。「ノーベル文学賞」「ブッカー賞」「ゴンクール賞」は世界的な注目度や歴史的経緯から考えても、「世界の◯大文学賞」と名付けるのも納得だが、どう考えても日本の「芥川賞」や「直木賞」が同列に並べられているのは苦しい。また、比較的新しいチェコの「カフカ賞」やイスラエルの「エルサレム賞」という、ローカルな文学賞が取り上げられているのは、言うまでもなく、村上春樹が2006年と2009年に、それぞれの文学賞を受賞したからだ。と言うことで、かなり、日本寄りに偏ったセレクトと内容なので、「世界の8大文学賞」というタイトルは、ちょっといただけないと個人的に思うのだが、副題の通り、現代小説の抱える共通点や傾向を炙り出しているところはとても面白いし、それぞれの文学賞のざっくりした傾向的なものも示されている。

ノーベル文学賞からは、アリス・マンローの『小説のように』、オルハン・パムクの『僕の違和感』、V・S・ナイポールの『ミゲル・ストリート』が紹介されている。(ノーベル文学賞自体は、作家自身に与えられるものなので、受賞作ではない)。近年、運営自体も何かと疑義を醸しているノーベル文学賞だが、ヨーロッパの主要言語で書いている作家、特に北欧諸国出身の作家は有利だと言われている。ヨーロッパ寄りの文学賞でありながら、国別対抗のような性格もあり、国民文学的な作家がたくさん受賞しているという。エンターテイメント性や文学的斬新さよりも、「人類にとっての理想」=「人権擁護」や「国内で迫害されている人を描く」という主題の方に重きが置かれている。ふむふむ、なるほど。

日本国内の文学賞はさておいて、次にイギリスのブッカー賞。主編者の都甲幸治が「個人的に一番信用している文学賞」と語っている部分に深く頷く。私自身、文学賞を気にして作品を読んでいるわけではないが、それでも、ブッカー賞だけは全く外れたことがないし、難しいとか前衛的過ぎるとかも無く、素直に「これは読んで良かった!」と思える作品が揃っていると思う。2005年に作られたという歴史の浅い文学賞が、これだけの存在感となっているのは、それなりの理由がある。選考委員に文芸評論家や作家だけではなく、大学教授、引退した政治家、芸能人など色々な職種を採用し、しかも毎年変えている、しかも、選考委員は最終候補作だけでなく100冊以上の推薦本を全て読まなければならない、と言う。このブッカー賞からは、ジョン・バンヴィルの『海に帰る日』、マーガレット・アトウッドの『昏き目の暗殺者』、ヒラリー・マンテルの『ウルフ・ホール』が取り上げられている。ドラマ化もされた『侍女の物語』のアトウッドはもちろん、ヘンリー8世やアン・ブーリンらが出てくる歴史ものの『ウルフ・ホール』あたりも、文学性だけでなくエンターテイメント性ばっちりで、早く読んでみたい。

ゴンクール賞は、受賞者にマルセル・プルーストがいることからもわかる通り、1903年、ノーベル賞とほぼ同時期から開始された、フランス最古の由緒ある文学賞だ。紹介されているのは、まず何と言っても、マルグリット・デュラスの『愛人(ラ・マン)』。映画化もされており、間違いなく、日本で最もメジャーなゴンクール賞受賞作だろう。他に、ミシェル・ウェルベックの『地図と領土」、パトリック・モディアノの『くらいブティック通り』が挙げられ、《デュラスは露光過多の文学だと言いましたけど、モディアノには光が少ないですね。》《写真文学って、写真が実際に登場しなくとも成立するんです。書き方とか構造そのものが、ある意味で写真的であるというのは、実はけっこうあるんじゃないでしょうか》と結ばれている。なるほど、フランス文学には、写真的な構成の巧みさや表現力が魅力の作品が多いが、それだけではなく、例えばゴンクール賞の中でもジャン・ルオーの『名誉の戦場』やミシェル・トゥルニエの『魔王』など、かなり思索的・哲学的、重厚で実はしちめんどくさい作品が好きなところも、フンラス文学のレンジの広さを物語っていると思う。

ピュリツァー賞は、日本ではよく知られているが、純文学の文学賞とはちょっと色合いが違う。ジョゼフ・ピュリツァーというジャーナリストで新聞社をやっていた人がつくった賞なので、文学だけでなく、音楽とか報道とか幅広い分野に賞が与えられる。選考委員も、文学だけでなく色々な分野の人が集まっているそうだ。取り上げられている作品は、日本でも有名なジュンパ・ラヒリの『停電の夜に』、スティーブン・ミルハウザーの『マーティン・ドレスラーの夢』、エドワード・P・ジョーンズの『地図になかった世界』など。ピュリツァー賞は、ジャーナリスティックな性格が強いところが、いかにもアメリカらしい文学賞だが、受賞作を見ても、「アメリカらしさ」や「アメリカとはなにか」を描いているものが多い。これはアメリカ文学自体に共通する性格でもあるが、普遍的な人間性や社会の深奥よりも、「アメリカそのもの」を主題にしたものが実に多い。それはもちろん、人種と移民の問題、ルーツ、歴史といったものの反映でもある。

フランツ・カフカ賞は、かなり、チェコ/ユダヤ・コネクションの強いローカルな文学賞。それなのに、なぜ、この賞を村上春樹が受賞したのかと言うと、同年に『海辺のカフカ』のチェコ語訳が出版されているからでは、というオチ。しかし、ノーベル文学賞を受賞したエルフリーデ・イェリネクやハロルド・ピンターだけでなく「中国のガルシア=マルケス」と言われている閻連科やスペインのエドゥアルド・メンドサなどが受賞しているのも、この賞の《予測不能》で面白いところだ。同じように、村上春樹が受賞して話題になったエルサレム賞も、ノーベル賞やブッカー賞でお馴染みのJ・M・クッツェーやイアン・マキューアンに加え、アルバニアの作家イスマイル・カダレが受賞するなど、クールで《センスのいい文学賞》と評されているのも頷ける。ノーベル賞やブッカー賞ほど、重厚さや純粋文学性を求めない、クールで今風でグローバルな作風がウケるのかな、という気がする。

他にも、コラムとして、いくつかの世界的文学賞が紹介されている。ブッカー賞国際賞と並ぶ存在として、アメリカのノイシュタット国際文学賞。英語で読める作品を対象としながら、受賞作が多言語からの翻訳作品の場合は、作家と翻訳家で10万ユーロの巨額な賞金が分けられるというシステムの国際ダブリン文学賞は、翻訳の重要性を尊重していてユニークだ。アメリカでは、ピュリツァー賞よりもより文学賞としての性格が強い、全米批評家協会賞。さらに、1991年にブッカー賞のショートリストに女性作家が誰もいなかったことへの批判から生まれた、女性作家に贈られるベイリーズ賞など。

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