大島真寿美『ピエタ』の記事で書いたように、高校生の頃、塩野七生にどハマりしていた。本を読むと言っても小説ばかり、文学一辺倒だった私が、学習院大学史学科を受験したり、東大で歴史文化学科に進学したりしたのは、ほぼ、塩野七生の影響である。『ローマ人の物語』の途中で挫折してしまったが、初期の小説作品は殆ど全部買って読み漁った。
読み出すと止まらなくなるので長らく封印していたのだけれど、先日、ヒラリー・マンテルの『ウルフ・ホール』を読んで、どうしても再読したくなった。主役のクロムウェルに並んで重要な役所なのがトマス・ウルジー枢機卿である。当然、枢機卿なので、ローマ教皇庁とも関わりが深いし、そもそも、ヘンリー8世離婚問題の鍵を握るのは教皇である。途中、アレッサンドロ6世の名前も登場する。アレッサンドロ6世と言えば、彼女を有名にした代表作『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』の主人公チェーザレ・ボルジアの父親である。本書『神の代理人』でも、黄金のイタリア・ルネサンス期を代表する4人の法王のうちの一人に挙げられている。
昔読んだ時には、彼女の史実と物語を巧みにミックスした独特のスタイルにとても驚かされた。その頃の私は、専門書とかノンフィクションとか一切読まなかったので、とても斬新に感じたのだ。久しぶりに読んでみると、結構脚色されていたり、著者の主観的な歴史観を反映したフィクションになっているな、と感じるところはあったけれど、やっぱり面白いことに変わりはない。史実と史観が巧みにミックスされて盛り込まれている。歴史を少し齧った者からすると、彼女のように一次史料に直接あたって地道な研究をすることと、史実からドラマチックな物語と文章を創造することには、ものすごい乖離があって、殆ど相反するようなその二つを両立させている塩野七生はやっぱり只者ではない、と思ってしまう。
例えば、「アレッサンドロ6世とサヴォナローラ」の章では、実在する一次史料「アレッサンドロ6世とサヴォナローラの書簡」、フィレンツェの市井人「ルカ・ランドゥッチの年代記」に加え、実在する人物による架空の史料「バルトロメオ・フロリドの日誌」を引用する、という形式がとられている。実際の史料を読んでいる気分を味わいながら、著者の想像力に満ちた創造的世界に引き込まれていくのだ。
構成も見事で、4人の法王を全く違うスタイルの文章で書き分けながらも、前の法王のエピソードの中に、必ず次章で取り上げられる法王(当然、法王になる前で枢機卿や貴族であったりする)が登場し、歴史の繋がりや対照的な特徴が浮き彫りにされるよう工夫してある。それぞれの章で完結して読める物語になっているが、一冊の本で読むことで、イタリア・ルネサンスの光芒や歴史の繋がりが見えてくる。
最終章、栄光のイタリア・ルネサンス期最期を飾るレオーネ10世治下を描いた章では、フランス王ルイ12世への懐柔策をとる法王について、ヴェネツィア特使の口を借りて、歴代法王の政策の違いを見事にまとめている。
わたくしの推察しますに、法王は、歴代法王の政策をこの点では継承していて、イタリアの北と南、すなわちナポリとミラノを、絶対にイタリア人以外の同一人物の手に帰させてはならぬ、との決意だけは確かであると思われます。もしそのような事態に陥った場合、ローマは孤立するからです。ローマだけでなく、イタリア全体にとっても、致命的な事態になりましょう。法王ぼる時は、チェーザレに両国を与えようとし、ジュリオ二世は教会領としようとして苦闘しました。だが、いずれも失敗に帰しております。それを見てきた法王メディチにできることはただひとつ、両国の冠を、同一人物の頭上に輝かせてはならぬ、ということだけでしょう。今度のフランス王の動きについて、法王がどう対処するか、これからはより一層の注意が必要と思われます。
塩野七生が他の著作で何度も指摘している通り、この時代のイタリアはいくつかの都市国家が乱立しており、民衆はもちろん殆どの権力者にとっても「イタリア全体」という考え方は無い。その中で、重要なのは「ナポリ」と「ミラノ」そして「ヴェネツィア」である。ヴェネツィアは殆ど独立国家のような存在だから、残る北のミラノと南のナポリが鍵を握る。地理的及び王家の姻戚関係から、ミラノはフランス、ナポリはスペインと結びついている。スペインがナポリをこの論点が整理できると、昨日の友は今日の敵、という感じで無茶苦茶な同盟と離反を繰り返す歴代法王と各国家の思惑が理解しやすくなる。
ちなみに、スペインがナポリに進出した経緯については、西川和子著『スペインレコンキスタの王たち』の最後でも触れられていた。13世紀にアラゴン王家がシチリアなどと一緒にナポリに進出したのである。そして、本書で扱われる3人目の法王、ジュリオ2世は、進出するフランスへの対抗策として、スペイン王フェルディナンド1世に、《法王ボルジアも認めなかった、ナポリを中心とする南イタリアのスペイン領所有権を認めることになった》のである。《フランスという毒を制するのに、スペインという別の毒を用いようとした》わけだが、この代償は高くつくことになった。以後、ナポリは18世紀のスペイン継承戦争によるオーストリア、ナポレオンによるフランスの支配を経て、1860年にガリバルディが併合するまでイタリアに戻ることはなかったのである。
この他、個人的に興味を惹かれた歴史的エピソードを記しておく。
法王ジュリオ2世時代、ドイツの神聖ローマ帝国皇帝マクシミリアンは、なんと次期法王の座を狙う、というトンデモ企画をしていたらしい。皇帝マクシミリアンが法王の座獲得の為の運動資金として、ヤコプ・フッガーと会うように指示しているリヒテンシュタイン元帥宛公文書が引用されている。
この遠大な壮図があえなくも挫折したのは、実に卑近な理由のためであった。フッガーが、ついにウンといわなかったからである。金貸しの状況判断の確かさには、どんな現実主義もかなわない時がある。だが、フッガーは、秘密を守ることを知っている男だった。皇帝マクシミリアンの見た夏の夜の夢は、人々の笑いものにならずに済んだのである。
『フッガー家の遺産』で見た通り、フッガーがその地位を築いたのは、ローマ教皇とドイツの神聖ローマ皇帝に莫大な貸付をしていたことによる。悪名高きアレッサンドロ6世も、賄賂に息子の軍資金に、フッガーからの貸付を利用していたのである。神聖ローマ皇帝とは、ハプスブルク家と関係を深くし過ぎたために、最終的には命運を共にする結果となってしまった。フッガー家の礎を築いたヤーコプの時代には、まだ皇帝のトンデモ企画に「NO」と言える勇気を持っていた、ということが窺えて、興味深いエピソードであった。
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