高階秀爾先生の本については、このブログでも『想像力と幻想』、『バロックの光と闇』、『フランス絵画史』など度々紹介してきた。一応専門は、近代西洋美術史となっているが、ルネッサンスやバロック美術についての名著も多いし、『日本近代美術史論』や『ニッポン現代アート』など、西洋近代美術の影響という観点から日本美術を語った本も面白い。何より、私の一番お気に入りの書『芸術のパトロンたち』に表れているように、専門的な知識と共にアートと社会的な関わりという観点を重視した、日本では稀有な美術史家である。
この『ルネッサンス夜話』は、そんな高階先生が知悉しているイタリア・ルネッサンスについて、敢えて「美術以外の」よもやま話を語った本である。これが面白くないはずがない。第一章は、高階先生のお得意分野である「パトロン」という観点からフィレンツェのメディチ家の興隆やビジネスについて、そこから、フィレンツェの一市民の手記、イタリア中世末期からルネッサンス期にかけて活躍した傭兵隊長や戦の話、ルネッサンスを牽引したレオナルド・ブルーニら人文主義の思想、そのルネサンス人文主義の合理性の裏に隠された占星術や人相学といった神秘主義、さらには高級娼婦コルテジアーナに代表されるようなルネッサンスの名もなき女たち、、、と話題は多岐に渡る。
一つ一つのテーマで幾つも専門書があるので、深く掘り下げたければそちらを読む方が良いが、高階先生の豊富な知識のお蔭で、さりげなく美術作品との関わりやエピソードを挿入されているのが面白い。
例えば、メディチ銀行の支配人であったトマソ・ポルティナリが、ウフィツィ美術館にあるフーゴー・ファン・デル・グース『ポルティナリの祭壇画』のうちの『牧者の礼拝』の注文主であったことは、ジェイコブ・ソールの『帳簿の世界史』でも触れられていて有名であるが、彼が《ダンテの永遠の恋人であったベアトリーチェの父フェルコ・ポルティナリの子孫で》あるなどというトリビアは知らなかった。この『牧者の礼拝』の両翼にはトマソ自身と妻のマリアが描かれているが、同じ二人の肖像画でハンス・メムリンクの手によるものが、ニューヨークのメトロポリタン美術館に所蔵されていると言う。ファン・デル・グースとメムリンクの二大画家による肖像が残されているとは、トマソ・ポルティナリの権勢ぶりがうかがえる。
また、本書の表紙はギルランダイオによる有名な肖像画『ジョヴァンナ・トルナブオーニの肖像』になっているが、この美しいジョヴァンナはやはりメディチ銀行のローマ支店支配人であるジョヴァンニ・トルナブオーニの息子ロレンツォのお嫁さんである。ジョヴァンニの姉ルクレチアはピエロ・ディ・メディチに嫁いでいたから、ジョヴァンニ・トルナブオーニはメディチ家の姻戚と言え、他にもサンタ・マリア・ノヴェラ大聖堂の礼拝堂壁画をギルランダイオに発注するなど、ルネサンス芸術のパトロンとして活躍した。また、本書には載っていなかったが、この美しき花嫁ジョヴァンニ・トルナブオーニは、ボッティチェリのフレスコ画『若い女性に婚資を贈るヴィーナスと三美神』にもその姿を留めている。
他にも、メディチ家に保護された人文学者たち、プラトンの翻訳者として名高いマルシリオ・フィチーノや、詩人哲学者のアンジェロ・ポリツィアーノ、ダンテの註解者クリストフォロ・ランディーノらの姿は、サンタ・マリア・ノヴェラ聖堂の壁画としてギルランダイオの手によって残されている。アンジェロ・ポリツィアーノは、ロレンツォ・ディ・メディチに息子たちの教育係を任せられ、彼らと一緒に、やはりギルランダイオの筆によるサンタ・トニリタ聖堂のサセッティ礼拝堂の壁画にもその姿を残している。彼の長編詩『ボストラ』は、ボッティチェリの『春』にインスピレーションを与えたとして、美術史上でも有名な文学者である、と言ったエピソードなど。
およそアートとはかけ離れた血生臭い傭兵隊長や戦の話の中にも、美術エピソードを散りばめることを忘れないのが高階先生のすごいところ。ドナテロの『ガッタメラータ騎馬像』(パドヴァ)、ヴェロッキオの『コレオーニ騎馬像』(ヴェネツィア)、ウッチェロの『ジョン・ホークウッド騎馬像』(フィレンツェ)、アンドレア・デル・カスターニョの『ニッコロ・ダ・トレンティノ騎馬像』(フィレンツェ)といった作品は有名だが、1796年に破壊されてしまって今は残っていないバロンチェリの『ニッコロ・デステ騎馬像』や遂に未完成に終わったレオナルド・ダ・ヴィンチの『フランチェスコ・スフォルツァ騎馬像』などのレア作品も紹介している。フランチェスコ・スフォルツァは、塩野七生さんの作品でもお馴染みのイタリア・ルネサンス随一の傭兵隊長である。また、《傭兵隊長としてよりも、むしろ優れた人文主義者、芸術愛好家として記憶されている》ウルビーノのフェデリゴ・ダ・モンテフェルトについては、菊盛英夫『文芸サロン』でも貴重な男性サロン主催者として挙げられていた。彼の見事な肖像画はピエロ・デラ・フランチェスカにより描かれ、現在、ウフィツィ美術館に所蔵されている。
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