書評 『ベルリンのカフェ 黄金の1920年代』 ユルゲン・シェベラ ①


いつもながら、サロン・クラブ・カフェなど「編集的文化が発生する場」を研究する一環として。

1920年代のベルリンというのは特別な意味がある。以前読んだ、NTT出版の共著『クラブとサロン』でも、長澤均さんが「狂乱の夜、歓楽の夜 サロン都市ベルリン」と題する章を割いて論じており、気になっていた。

《ベルリン、それは狂乱と歓楽の首都であり、さまざまな大衆文化の発行の地であった。1920年代に世界都市としてヨーロッパの文化センターともなった(略)この時代のベルリンを劇作家カール・ツックマイヤーはつぎのように評した。「人々はベルリンについて論じあっていた。(略)ベルリンを征服することは、すなわち世界を征服することであった。」たしかにベルリンそのものがあらゆる欲望の終着駅であった。ここには「夜の生活(ナハト・レーベン)」があり、ヴァリエテ、レヴューといったあらゆる見世物があり、芸術的かバレットがあった。アヴァンギャルドと政治がその沸点を見出し、ロシア亡命者と遊民が混淆文化を形成し、モルヒネとコカインと狂乱と狂気と享楽をつくりだしていた。そして、そのすべてが、“大衆”の出現、すなわち“新中間層=ホワイト・カラー“の出現をまって成立したものであった。大衆の欲望・・・新時代の文化・風俗はよかれ悪しかれ、この大衆の欲望にその基軸をもたざるをえなかったのである。》『クラブとサロン』より

ドールマンの著作『ヨーロッパのカフェ文化』でも、有名な「誇大妄想狂カフェ(カフェ・グレーセンヴァーン)」や「ロマーニッシェス・カフェ」など、ヴァイマル共和国時代のベルリンの賑わいについて触れられている。

私自身が、かろうじてトーマス・マンとヘルマン・ヘッセとゲーテを少しだけ読んだことがあるくらいで、ドイツ文学や文化についての素養が全くないので、本書の中で触れられるドイツ文化人達の名前にいまいちピンとこないのがもどかしいばかりなのだが・・・ベルトレト・ブレヒトの戯曲『三文オペラ』はもちろん、ノーベル賞作家のゲールハルト・ハウプトマン、エーリヒ・ケストナーやレマルクくらいはせめて読んでおかなければ・・・と痛感した次第。カフェやレストランなどについての本なので、ドイツ文化そのものについての詳細な言及は少ないのだが、『三文オペラ』を生んだ世紀の店「レストラン・シュリヒター」の章で、ベルトレト・ブレヒトとヴァルター・ベンヤミンの交流について触れられた文章は興味深いので残しておく。ベンヤミンについては『複製技術時代の芸術』を読んだ後未消化のまま残っているので、また改めて論じてみたい。

《ベンヤミンはブレヒトと一緒につくりあげようとしていた新しい美学構想について書いている。(略)ここで問題になっているのは、芸術を社会に関与する契機としてとらえようとする、芸術の機能の新たな定義なのである。芸術生産を、そして同時にまた芸術生産の社会的基礎をも変化させるような契機が、ここでは問題となっているのだ。

ワイマル共和国では、このような革命的・唯物論的美学はほとんど影響力をもてなかった。しかし、この美学は例の20年代の生産的な遺産である構想ーそれらは遠く現代にまでその影響を及ぼすのだがーのうちのひとつなのである。》

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