書評・小説『ゴールド・コースト』 ネルソン・デミル ②


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そのロング・アイランド貴族のれっきとした一員であるWASPエリート弁護士のジョン・サッターは、莫大な資産家スタンホープ家の出身である妻スーザンと、「古典的装飾様式の花崗岩づくり、部屋数が五十もあるあんなばかでかい」スタンホープ邸の敷地内にある瀟洒なゲストハウスに悠々自適に暮らしている。ある日、その隣家である通称「アルハンブラ」(名前通り宮殿を思わせる大邸宅である)に、ニューヨークで一二を争うマフィアのドン、フランク・ベラローサが引っ越してくる。主人公は、隣人同士のなにげない付き合いから次第にベルローサとの交流を深め、彼の弁護人を引き受けることになり、やがて、否応無く事件に巻き込まれ、人生を破綻させていく、、、というのが簡単なストーリー。

前半の、なんとも優雅なサッター夫妻の暮らしぶりから一転、後半からは、一気にサスペンス的要素が強まり、ストーリーも急展開して目が離せなくなる。

エリートWASPのジョン・サッターとイタリア系マフィアのドンであるフランク・ベラローサ、決して交わるはずのなかった2人の男の人生が、ゴールド・コーストというアメリカでも最も特殊な場所で交錯する。微妙な男同士の友情的感情が芽生える一方で、1人の女性と自分の世界のプライドを賭けた心理的闘いも描かれる。

緊張感溢れる後半戦、最後のカタストロフィに至るまで、物語の軸となるのは、フランク・ベラローサという男の属する世界とその人間性の魅力である。

例えば、マフィアのドンとして非情な仕事に手を染め、死の危険と隣り合わせの行中、妻へのペーストリーのお土産を買うベラローサ。

ペーストリーは白いきれいな箱に入れて赤と緑の紐がかけてあり、ベラローサはそれをさげて車にもどってきた。この小さな箱を大事そうにぶらさげた大男の姿が、なぜ非常に優雅なものとして私の心を打ったのか、訊かれても説明できない。でも、事実そうだったのだ。ホメロスの胸像をつくづくと眺めるアリストテレスというわけではないけれど、このまったく人間的な行為のなかにわたしは男として、夫として、父親としての彼を見たのだ。そう、それに愛人としての。わたしはいつもベラローサを男の世界の男として見てきたのだが、女にとって魅力のある男という最初の印象が正しかったことをさとった。

マフィアのドンとしての貫禄ある姿とのコントラストが、彼の人間的魅力を増すのだ。

この男は生まれながらに権力の才能を持っている。これはいい意味で言っているのだ。真の権力は、恐怖にもとづくものでも、抽象的な観念や組織への忠誠にもとづくものでもないことを、彼は本能的に理解している。真の権力は、個人的な忠誠、とくにドン・ベラローサという人間に対する大衆の忠誠にもとづくものだ。・・・フランク・ベラローサこそ、まさに直観力とカリスマ性に富む指導者ー最後の偉大なドンなのだ。

面白いのは、ジョン・サッターが属する古き良きWASPエリートのアメリカ文化と、フランク・ベラローサが属するイタリア系移民文化が、どちらも「失われつつある理想郷」として奇妙な類似を見せている、という点だ。

ベラローサと、ニューヨークのイタリア移民が集まる街「リトル・イタリー」を巡り、ジョン・サッターは言う。

昔の移民カルチャーが、いまでもそれぞれのグループに、そしてアメリカの社会全体に強い影響力を持っているのは確かだ。しかし、社会がだんだん均一化されるにつれて、そうしたエスニック・グループもアイデンティティを失いつつあり、皮肉なことに、いわゆるワスプの凋落によってできた真空地帯を彼らが埋めていくにつれ、彼ら本来の力を失いつつある。だがもっと重要なのは、マンハッタン以外の区の、どこかの暗い片隅に、新しい移民たちが現に存在し、フランク・ベラローサにもわたしにも理解できず、考えたくもない未来が存在しているということだ。

かつて、アングロサクソン系の移民が開拓し、オールドマネーの巨大な富で築き上げた別世界のゴールドコースト、支配していたワスプ層は徐々にその資力を失っていき、最下層のイタリア移民からのし上がったマフィアのドンが代わってその資産を買い上げる。しかし、そのまさに映画『ゴッドファーザー』的世界もまた、失われつつある。次にゴールドコーストの広大な屋敷を買い漁るのは、中東オイルマネーやきちがいのように働く日本人であり(この作品が書かれたのは80年代バブル期真っ只中なのだ)、ベラローサは新興のヒスパニック系勢力との抗争に巻き込まれていく。

「ああ、だが知っとるかね?この国の若いもんはだんだん昔のことに興味を持つようになってきている。姪や甥やうちの子供たちもそうだ。最初はイタリア人になりたがらんが、大きくなるにつれてだんだんイタリアっぽくなるんだな、これが。アイルランド人も、ポーランド人も、ユダヤ人もおなじだ。気がついていたかね?」・・・「つまりだ」とベラローサは続けた。「みんな何かを求めているんだ。アメリカ文化はそういう人間に必要なものを持っとらんのかもしれんな」

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