書評 『マイコレクション』 森瑤子


背表紙の説明書きには短篇集、と題しているが、短篇小説集ではない。森瑤子のお気に入りの品を題材に、キャッチコピーのようなショートショートと彼女が書いた紹介文が掲載されている。ちょうどこの頃、森瑤子は日本橋高島屋の4階に、今でいうセレクトショップ「MY COLLECTION」をオープンしており、その広告宣伝を兼ねた作品と言えるだろう。オープンして間もなく森瑤子の急逝によって閉店し、今では忘れ去られたこのお店について、島崎今日子の『森瑤子の帽子』から引用してみよう。

91年4月、30分刻みのスケジュールをこなさねばならない中で、森は、日本橋高島屋4階の特別食堂の前に念願のギフトショップ「森瑤子コレクション」をオープンさせる。森と日本橋高島屋の縁は深くて、89年9月から92年2月まで年に2回朝日新聞夕刊の広告ページに短編小説を掲載していた。絵はシャーンで、アートディレクターは亀海昌次。広告界に新風を吹き込んだと言われるこの仕事はギャラが四百字詰め原稿用紙一枚百万円と噂され、今の新聞では見ることのできない洗練された広告であった。

ショップのために、森はサンフランシスコとニューヨークとパリにいる友人をバイヤーにした他、4、5人のスタッフを雇った。森のテイストで固められた店内に置かれた商品は百万円のパーティーバックや七万円の手袋、五万円の傘など、洒落てはいても普段使いできないものばかり。高島屋の外商が連れてきた客か、時折立ち寄る加藤タキや大宅映子ら友人か、あるいはバーゲン時に義理で買うスタッフか、客は限られていた。森の自宅で仕入れや在庫管理などを任されていた志垣明枝は、ずっと赤字だったと証言する。

「森さんは商品開発もしたくて、シャーンさんに絵を描かせてストールにしたり、ウェッジウッドに『シャーンの絵を陶器にしましょう』と売り込みに行ったりしていた。でも、まったくの素人商売だったので三千万円の赤字を出して撤退。赤字は全面的にバックアップしてくれていた京都の宝石屋さんが持ってくれました」

島崎今日子 『森瑤子の帽子』 「バブルとブーム」

商業的には全くの失敗だったこの事業、バブル的と括ればそれまでだが、今から振り返ってみると、ちょっと早過ぎたのかな、と思うくらい面白い。実用的なものやファッションという切り口ではない、「ライフスタイル」や「価値観」そのものを提示したいというセレクトショップ、それとタイアップした広告的小説、海外のバイヤーを使ったり商品開発をしたり・・・と、現代ならもっと受け入れられたのでは、と思う。銭勘定は全く苦手だっただろうが、森瑤子のプロデューサー的センスを偲ばせる。

さて、この文学的価値とは気持ち良いほど無縁の作品の中身を見てみよう。コレクションは、美食家だった森瑤子らしいグルメものから装飾品や食器に至るまで幅広いジャンルにわたる。今では結構メジャーになったものもあり、時代の移り変わりを感じる。

高級グルメは、この30年で一番普及が進んだな、と思わされるジャンルだ。フランスの高級食料品店「フォション」、「王のワイン」と讃えられるフランスワイン「ロマネ・コンティ」、ソーセージやハムが有名なドイツの高級食品店「ダルマイヤー」、イタリアの高級食料品店「ペック」、高級チョコレートでは「ゴディバ」だけでなく「ノイハウス」なども紹介されているが、どれも今ではデパートで手に入れることができて、目新しさはない。国内からは、下関ふぐの「春帆楼」や近江の高級和菓子「叶匠壽庵」などが登場するが、今ではすっかり大衆化してしまった。「キャビア」や「フォアグラ」、「エキストラ・ヴァージン・オイル」やデュラム小麦のセモリナ(粗挽き)パスタなど、今では誰でも知っている食材についてわざわざ説明しているのも、当時は相当珍しかったのだろう。それでも、「ヴーヴ・クリコ」(クリコ未亡人)のニコル・クリコが、1814年、ナポレオン戦争のさなかに封鎖線をやぶってクリコのシャンパンを大量にロシアの首都ペテルスブルクに送りこみ、ロシア宮廷に溢れさせたという歴史的エピソードに触れたり、現在の通販システムとは無縁の「春帆楼」は、東京の名客に丸ごと空輸したふぐを店頭で板前が調理して、伊万里風の皿にのせて自宅までお届けした、なんて挿話は、今読んでも「へえへえへえ」となる。

宝飾品の方は、もう少しエッジが効いている。「ルネッサンス芸術の再来」と称賛を浴び、マレーネ・ディートリッヒやウィンザー公爵夫人などの顧客を持つことで知られたジュエリーの「ヴェルドゥーラ」。昆虫や草花をモチーフとした装身具やテーブルウェアなどで有名な銀製品の「ジョージ ジェンセン」。ミラノの伝統と高い技術愛力を受け継いだ宝飾品を提供する「ベオルキ」など。

グルメや宝飾品だけではなくて、スイスの高級時計「ブレゲ」のダイバーズウォッチや、アメリカの世界的な工芸品を目指してつくられたクリスタル彫刻の「スチューベン」、ブランドではないが、「ヒッコリーのパター」や「京塗りの漆器と錫の酒器」などの変わり種があるのも、森瑤子らしい。

こんなことをしていたから、森瑤子は「通俗的作家」と侮られ、ただでさえ多忙な中で健康を害してしまったのだ、と責める声もあるのだろうが、作家とは違う彼女の姿を知る、という意味では、この本もこの本のバックにあった事業も、とても興味深い。また、バブルを偲ぶという点でも、そこからの時代の変化を感じる、という点でも、なかなか面白い本なのではないだろうか。

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