『騎士団長殺し』  村上 春樹


村上春樹は好きなのである。もともと、『ダンス・ダンス・ダンス』や『世界の終りとハードボイルドワンダーランド』などの長篇小説が大好きで、それから短篇やエッセイを読むようになってまた好きになった。

だけど、一番最近に読んだ彼の本『ラオスにいったい何があるというんですか?』のレビューで書いた通り、なんだか最近の村上春樹の本に、勢いと魅力を前ほど感じなくなっていた。

そして、この最新作である。

はっきり言って、もう村上春樹の長篇小説はこれで最後かもな・・・と思ってしまった。

それくらい、なんというか、私にとって魅力の無い作品だったのだ。

一言で言うなら、『世界の終りとハードボイルドワンダーランド』の出来損ないみたいな作品。シュワっとはじける炭酸の抜けた『ダンス・ダンス・ダンス』。村上春樹の長篇ではお馴染みの仕掛けが出てくるところに、魅力ではなく「またか」という気持ちを感じてしまう残念さ。

まず何よりも、70歳近い作者が30代の男性主人公を現代の設定で描く、というところに無理があるのだと思う。今回は特に主人公が30代後半、自分と同年代もしくは少し若い年齢ということもあり、そこがすごく気になってしまった。30代後半の男性が、ミレニアムも10年以上経過した現代で、インターネットも全く使わず、アナログ音楽や車へのこだわりを垣間見せると「いやさすがにこんなやついないでしょ」と、作者の時代感覚のズレを感じざるをえない。何も、大河ドラマの時代考証をうるさく言うおじいさんみたいなことをしたいわけではないし、村上春樹の小説にリアリティなんか求めちゃいないのは百も承知だが、そういう時代感覚のズレが、村上春樹の小説主人公に重要な「軽さ」にも、極度の違和感を感じさせてしまうのだ。だから、ストーリーにも素直にノッていけない。主人公と同年代の友人雨田が、車のカセットデッキでデュランデュランを聴いていたり、やはり同年代の秋川笙子がヘレンボーンのジャケットにミッソーニのスカーフを巻いていたりするといちいちひっかかってしまう。

結局、70歳近い大御所作家が主人公の中に「軽さ」を演出する、というのは無理な話なのだ。だから、若い頃の作品の焼き直し的なことになってしまうのではないか、と思ってしまう。そして、もともとは村上春樹作品の魅力であったいろいろなもの・・・「まるで~みたい」というユーモラスなたとえ、なにげない食事や家具調度などのディティール描写、突然赤裸々に語られるセックスシーンなどなど・・・が、全部とってつけたようなものに感じられてしまう。

『1Q84』でも感じたが、話がよりわかりやすく、具体的で直接的な言葉で語られるようになっているのも面白くない。これは企画サイドの意向なのだろうか・・・

村上春樹は、それだけ歳をとり、大御所になってしまったのだ。もう「軽さ」では読者を惹き付けられないのではないか。『騎士団長殺し』には、南京大虐殺や第二次大戦についての(今までの村上作品よりはかなり具体的な)記述があり、これはこれで物議を醸している。史実の正当性の問題はひとまず置くとして、作者がここに今まで以上に踏み込んだこと、今までの「軽さ」を捨てて、歴史的見解あるいは社会的メッセージを出していこう(今までの作品はそれらが希薄であったことが魅力であったことは百も承知の上で)としたことは、理解できる。でもそのやり方が中途半端なのではないだろうか。やるなら、今までの「軽さ」は捨てきって180度の方向転換が必要なのだ。こんな昔の若い頃の作品の焼き直しみたいなことでお茶を濁していても、今の若い人たちはもちろん、結局、今まで村上春樹を読んできた中年層にも共感は得られないように思う。

まあ、ここまで好き勝手言っておいて何だが、売れる作家になる、ということは、とてもとても大変なことなんだなあ、としみじみ感じた作品でもあった。それくらい、私は、村上春樹の作品が好きなのである、作品もそうだし、彼の文章がとてもとても好きなのだ。だから、これからもエッセイや短篇は読むと思う。「これぞこの作家の魅力」ともてはやされていたものが、いつのまにか読者に陳腐に感じられるようになってしまう。そういうのって本当にこわいな、と思う。売れる作家になんてなりたくないなあ、などど、全くする必要のない心配をしてみたりするのであった。

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