書評・小説 『回復する人間』 ハン・ガン


『回復する人間 』をお得に読む

韓国の女性作家ハン・ガンによる短編小説集。『82年生まれ、キム・ジヨン』の大ヒットを受け、日本でも俄に韓国文学ブームらしい。K-popならぬ「K文学」と銘打って、ここ数年、書店などでもキャンペーンが張られている。中でも、ハン・ガンは『すべての白いものたちの』の記事でも触れたが、2007年には若干37歳にして『菜食主義者』でアジア人初の国際ブッカー賞を受賞した、現代韓国文学を代表する作家である。ちなみに、彼女は2005年に韓国の権威ある文学賞である李箱文学賞を、初の1970年代生まれの作家として受賞し話題になったが、実は彼女の父親の勝源も17年前にこの賞を受賞しており、初の親子W受賞ということでも注目された。文学界のサラブレッド、まず詩人として注目されたことからも分かる繊細な文章と感覚、ということから考えると、ちょっと韓国版よしもとばなな、みたいな感じかもしれない。

さて、この作品だが、痛い。とにかく痛い。最近流行りの「イタい」方ではなくて、身体的な痛みの方。しかも、ヒリヒリした表面的な痛みではなくて、深く刃物で差し込まれたような、生命の危機を感じるような根源的な痛みだ。全編読んでいてこれほど「痛い」と感じる小説は初めてだ。

これくらい、とつぶやきながらあなたは濡れた土の上に横たわっている。灰白色の穴の中の傷のことなど、もう感じられない。土が入った右の目がひりひりする。これらすべての痛覚はあまりに弱々しいと、何度も両目をまばたきしながらあなたは思う。今、自分が経験しているどんなことがらも、私を回復させないでほしいと、この冷たい土がもっと冷え、顔も体もかちかちに凍りつくようにしてくれと、お願いだからここから二度と体を起こせないようにしてくれと、あなたは誰にも向けたのでもない祈りの言葉を口の中でつぶやきつづける。

「回復する人間」より

表題作、そして、本の帯のフレーズ「痛みがあってこそ回復がある」が示しているように、人間は回復する。しかし、回復するというのは、なんと辛いことだろう。回復させないでほしい、という主人公の祈りにも似た思いが、この短編集を読む間じゅうずっと胸に迫ってくる。でも、それでもやはり、人間は回復する。そこにはほとんど絶望に近い救いがある。この短編集の全ては痛いけれども、絶望や諦めで終わってはいない。そこにはいつも微細な回復の兆しがある。巻末の解説にある通り、平凡な銀行員の男性が、ある日突然片手が勝手に行動を始めて自滅していく「左手」だけが、どこかホラー的で《結末に希望が見当たらない唯一の物語だが、左手が使えなくなるというモチーフが、最後の「火とかげ」につながっていく》。「火とかげ」は、一番長い作品で、前半は痛みの辛さに焦点が置かれているが、それでもやはり、最後の最後には僅かな回復の兆しがある。

しかし、こんな痛みを伴ってなお、また回復して立ち上がらねばならないとしたら、生きていくのはなんと困難なことだろう。最後に「救い」があると言っても、「救い」と言うにしては、彼女はずいぶん遠くギリギリのところまで行ってしまう。それこそ、もう、「救い」ということが意味をなさなくなってしまうようなところまで。

個人的には、収録作品の中で「青い石」という作品が一番好きだった。「叔父さん」と「私」の淡いそれでいて深いつながりを、ちょっと心理的ミステリー仕立てで綴った秀作である。解説によると、この物語は後にさらに展開されて、長編『風が吹く、行け』という作品になっているらしい。未邦訳とのことだが、邦訳されたら読んでみたい。『すべての白いものたちの』と同じように、時間や空間を超越したようなどこか不思議な死生観が感じられると同時に、作者の繊細な感覚と文章の妙が溢れている。

『すべての白いものたちの』や「青い石」で特に感じるのは、彼女の繊細で美しい色彩感覚だ。「火とかげ」も、画家やその作品を通じて、美しい光と色の描写に満ちている。「色」は身体とその感覚につながっている。彼女は「色」にこだわり、「色」を実に繊細に的確に描写する。彼女の作品は「色」に溢れている。私は絲山秋子さんの『ダーティ・ワーク』の記事で「音楽が感じられるかが人気小説の試金石になっている」と書いたけれども、彼女の作品は、無音で、その代わりに色彩に富んでいるんだなあ、と感じた。

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