本書で繰り返し触れられていることにもう一つ、江戸文化の精神とも言うべき「遊び」と「笑い」の徹底、というのが挙げられる。
長い平和の時代、硬直化した身分制度は、無類のゲームや遊び好きの文化を醸成した。参加者を戦国武将に見立てた大酒会や大食会を、大の大人が必死になってやっているところなど、現代に通ずるものがあって非常に面白い。著者によるとフィッセル『日本風俗備考』の中には、《武士も町人も階級に関係なく、とにかく日本人がいかに気晴らしと娯楽に極端に執着しているかというような記述がみえる》。現代の我々にもちょっと耳が痛くなるような指摘ではないか。
天明狂歌の精神が古典のパロディにあることは既に引用した。山東京伝の『時代世話二挺鼓』は、現実社会の田沼意次失脚事件から平将門や藤原秀郷といった武将までごた混ぜにし、太田南畝の『通詩選』は詩の聖典である『唐詩選』をパロディ化し、洒落本の『聖遊郭』では、詩仙李白だけでなく、孔子や釈迦まで担ぎ出されて茶化されている。この徹底的な諧謔性は、革命的なラディカリズムを感じさせるものだ。もちろん、それが政治的な方向に向かわず、笑いと文化の方面に昇華されたことが、江戸文化の精神を支えている。
こう書くと、遊び好きの江戸文化は、ある意味非常に屈折した、退廃的な文化に思えるし、事実、これまでの評価はそういうものが多かった。著者は、そういう画一的な評価に疑問を呈する。むしろ、そういう評価しかできないのは我々の時代の価値観の問題なのではないか、と。
滑稽ということを認めるのに、こんなに「いいわけ」を必要とする時代はないのかも知れない。むろん、これは学問や評論の世界のことである。巷ははるかに風通しがいい。「いいわけ」は、屈託のない笑意を、文学とは相容れないように感じることからくるのかも知れない。文学者は苦悩しているはずだ。南畝のように、学問がありながら屈託なく笑いをとろうとする人間はいるはずない。いるとしたら、その背後に人知れない苦悩があるはずだ。ましてや近代のような「開かれた」時代なら、こんな意味づけのできない滑稽に手を染めるはずもなく、もっと有益なことに人生を費やしたはずだ、と。
しかし、意味があろうとなかろうと、役に立とうと立たなかろうと、事実として、天明の人びとは南畝を支持した。それは面白おかしいからばかりじゃない。そこには言葉の仕掛けによる、意味の転換があるからだった。
確かに、太田南畝や山東京伝や平賀源内の著作、時空を超越したシュールさに彩られた歌舞伎の台本や黄表紙の数々は、娯楽に飽食した現代の我々でさえあまりの馬鹿馬鹿しさに眉を顰めたくなるようなところがある。しかしまた、これらが、単なる下品さや滑稽さだけではなくて、膨大な古典的素養や鋭い諧謔性に裏打ちされていることも事実だ。これは、ただのくだらなさではない。ただもののくだらなさでもない。
有名な『古今和歌集』の一首「いたづらに 過ぐる月日は思ほえで 花見て暮らす春ぞすくなき」をもじった太田南畝の狂歌「いたづらに 過ぐる月日もおもしろし 花見てばかりくらされぬ世は」を例に挙げて、著者は述べている。
「いたづらに過ぐる月日もおもしろし」では、無為に生きることを「おもしろし」と言い放ってしまっている。ここには無為に対する自嘲も苛立ちも居直りもない。無為な生への肯定と、それについての思想があるのみだ。(略)
この思想にははっきりとした絶望がある。しかしそれは、あきらめとしての絶望ではない。もはやこの世のどこにも依拠すべき価値はない、という明確な知であり、もはや懐疑さえも通り越した認識である。(略)それらは南畝の特殊な姿勢ではなく、江戸人たちが次第に持つようになっていった姿勢の、ひとつの極端な典型だった。それは、我々の時代が今まで、もっとも評価し難い生きかただったかも知れない。ゆえに彼らは「無思想」と言われた。が、もはや我々の時代の絶望は彼らと同じ終着点、すなわち同じ出発点にたどり着いたような気がする。
前の記事で私は《当時の人々がどんなところに楽しさと価値観を置いてこの文化が型作られたのか、ということにまで想像力が及ばないと、その文化の面白さは理解できない》と書いた。その時代の価値観や背景を想像して理解しようとする、という行為は、畢竟、現代の私たちのそれらと向き合い、それらを問い直す、という作業でもある。そう考えると、《無思想》で《無意味》なパロディや滑稽味に拘泥した江戸文化という、一見捉え難く理解し難いものが、実はものすごく現代の我々の文化の姿に似ていることに気づかされる。ひどく遠く思えたものが、自分の今いる地点から見直して見ると、一周回ってまたここに戻ってきた、というような、なんだかすごく奇妙な感覚を覚えるのは、私だけではないだろう。でも、それこそが、文化史の面白さなのだと思う。
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