『ロビンソン・クルーソー』 ダニエル・デフォー①


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言わずと知れた古典的名作だが、元々好きなジャンルでもなく、18世紀初頭に書かれたこの冒険的小説をわざわざ読んでみようとは思っていなかった。興味を持ったのは、文化史や経済史の本を読んでいる中で、繰り返しこの著者の名前を目にしたからだ。

まずは、ジェイコブ・ソール『帳簿の世界史』で次のように書かれている。

《長老派教会に属するダニエル・デフォーも、代表作『ロビンソン・クルーソー』(1719年)の中に帳簿をつける場面を登場させている。なにしろデフォーは、専門的な会計書を書いたこともあれば、金融分野の批評を数多く手がけていたこともある人物である。だからロビンソン・クルーソーも、「借り主」と「貸し主」として人生のプラスとマイナスをバランスさせようと試み、最終的なプラスを合計しようとした。》

くだんの場面は、物語の前半、主人公のロビンソンが孤島に流されながらも、難破船から必要な物資を運び出し、なんとか生活を始めた後で、改めて自分の境遇について思いを巡らすところで登場する。

《そして私の理性が私の失意にうちかつようになるにつれて、私はできるだけ自分を慰め、いいことと悪いことを対比し、私の境遇をもっと悪いこととはっきり区別しようとして帳簿の貸方、借方を書くのと同じ形式で、私が享受している幸せと、私のこうむっている不幸を対照して書き出してみた。 不幸 私はおそろしい孤島に漂着し、救い出される望みがない 幸せ しかしほかの連中は溺れたのに、溺れないで生きている》

福禍の貸借対照表はこのあと連綿と続くのだが、『帳簿の世界史』をあらかじめ読んでいなくても、この突然の貸借対照表の登場は十二分に印象的である。『帳簿の世界史』の記事で、帳簿や会計の根本に、善行と悪行の帳尻を合わせるというキリスト教的考え方がある、と書いたが、こうやって18世紀の大衆娯楽小説になんの断りもなく貸借対照表が登場してくるのを目の当たりにすると、その根深さがひしひしと感じられる。根深いのは、西欧のキリスト教の教えの深さでもあり、また、資本主義的合理主義的精神の深さでもある。つまり、一見相反するもののように(特に日本人には)映る、ピューリタン的敬虔さと資本主義的合理主義的考え方の矛盾ない両立である。矛盾ない、というのは、当時の西欧の人々にとって、ということであり、現代の日本人にとっては違和感ありありなのではないかと思うのだが・・

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