書評 『江戸とアバター 私たちの内なるダイバーシティ』 池上英子 田中優子 ②


池上氏は、《なべて「人格」とか「個」とか呼ばれるものは、統合性のある首尾一貫した実在だという通念は神話にすぎない》というアバター的人間観を押し進め、人間のコミュニケーションやネットワークのあり方、という問題に敷衍していく。

人間一人ひとりは、社会的な繋がりから、脳のなかの神経ネットワークまで、さまざまな種類のネットワークの塊のようなものだ。私は社会のなかでいろいろな人びとを交差させてコミュニケーションの圏域をつくるパブリック圏というものを考えていた。

パブリック圏とは何か。序章でも軽く触れたが、私の定義としては、さまざまなネットワークが交差してコミュニケーションが起きる場所である。新しいアイデンティティが形成され、変化が起きる場所ともいえる。「パブリック圏」自体は、仏教でいう「空」の世界に過ぎない。つまりそこに物理的な形がーあってももちろんいいのだがー必ずしも存在する必要はない。そこでは、ネットワークが交差する「可能性」がある圏域があるだけだ。縁があればその場にいろいろなことが生起する。だがいろいろなひとや考え方に出会って、「パブリック圏」を形作るのは主体としての人間である。そういう「場」が物理的な場所として、または制度として存在していることによって、ネットワークの交差が生まれる。ひととひととが出会う場所、制度としてのパブリック圏をつくるひとは社会に変化を起こすことができる。

この辺りの、「パブリック圏」というモノの具体的なあり方については、本書では少し説明が足りない気がした。とは言っても、これこそ、私が興味を持ってきた「サロンやクラブといった場」の特性に関わる根幹な部分なので、池上氏の別著『美と礼節の絆ー日本における交際文化の政治的起源』を読んでもう少し考察を深めていきたいと思う。

さて、後半の田中優子氏のパート。田中優子氏の著作を読んできた者としては、まあ大体他の著作と同じことを言っているのだが、まず「連」という特殊な場について、前回の記事で引用した「空間としての連」に加えて、「時間的なつながり」について言及している。

そしてもう一方には、時間的なつながりとしての連があった。その「時間的つながり」には、二種あった。一つは俳諧の座に見られるように、今この瞬間の「付け合い」の時間である。付けることで刻々と言葉が創造され、後戻りは許されない。ここにも流動性と遊行性、旅する時間があり、それは「家」制度のもつ定着性、定住性とは異なる性格である。

もうひとつの時間的なつながりは、過去からの繋がりである。古くは中国の古典に繋がっている。四方赤良は『詩経』をほとんど覚えていたと言われる。『詩経』所収の詩は最も古いもので紀元前十一世紀にさかのぼるとされる。そうだとすると、江戸時代から数えて2800年前からの言葉や、日本の古典で言えば約1000前の言葉にも、繋がっているのである。そのことを「本歌」「面影」「コノテーション」という言葉で説明した。

この「コノテーション」という概念は、日本文化の特性をよく示していると思う。日本文化の原点、和歌に始まり、能や狂言、さらに江戸時代に活性化する誹諧や狂歌に至るまで、とにかく日本文化には、原典や古典の「コノテーション」に、その妙味とか魅力を感じる前提のものが極めて多い。時代を追うごとに、本歌とりしたものをさらに諧謔しながら本歌と比較したり、そのコノテーションは重層的で複雑なものになっていったりする。

俳諧、狂歌という和歌の俳諧化の過程で、複数の作者たちが互いに取り交わすのは、その「面影」である。面影とは、言葉を換えて言えば「コノテーション」だ。コノテーションとは、明示的で単一の意味(デノテーション)に対し、当該の文化が長い間蓄積した象徴的で多様な「含意」のことだ。文章の脈絡によってコノテーションの範囲はおおまかに決まるが、そこからさらに多くの意味を読み取り引き出すことも可能である。

このようなコノテーションを前提として文化では、当然ながら古典の素養を積むのが文化人の共通土台として必須になってくる。コノテーションに魅力を感じるというのは、古今東西、文化人や知識人の醍醐味という感があるが、日本の文化で特にそれが発達し助長されたのは、民族や支配層のドラスティックな入れ替わりが比較的少ない、島国の風土と少なからず関係があるかもしれない。

創造性とは、何もないところから何かを生むことではない。長い時間受け渡されてきたかたち、新しく出現した視点や技術など、多くのものを背景に、またそれを素材に、人間は創造性を発揮する。だからこそ、学ぶことが必要なのだ。(略)しかしながら、創造性には共有する背景が必要である。その共有するものをまさに、空間と時間のなかで共有することで、多様な才能がかたちになって現れ、時には世界に広がる。その共有は、いまここで共有する時空と、時代を隔たって共有する時空とがあり、そのどちらも個体にとっては自分の外側にあるものだから、「学ぶ」必要がある。才能があってもそれをかたちにする素材を蓄積していなければ、才能は発揮されない。「わたくしとは才能の別名なり」と上田秋成が書きつけたように、共有する素材のない「わたくし」は存在しない。

日本文化にとって画期的な開発が、別世=隠れ家においてされたのが、まさに江戸時代なのである。近代では労働と遊び、という対立で生活が分類される。その分類にしたがえば、絵暦の会は趣味の会であり、遊びである。『江戸の想像力』で連のことを書いたとき、よく「連とは趣味の会ですか?」と質問された。これは近代における分類を持ち出して江戸文化を理解しようとする問いだ。しかしインターネットの世界にアバターを作って創造し会話することが、その人にとって生きるということの意味そのものであった場合、それを「趣味」と言っていいのだろうか?連とはそのような「人間が別世を借りて生きる場」であって、だからこそ重要な文化史上の出来事が起こるのである。

最後に、田中優子氏のパートの中で、江戸文化の特性、として指摘されている興味深い部分を引用しておきたい。著者は、他の著作の中でも「江戸文化をジャンル分けしてはならない」と述べており、江戸都市文化の興行性、遊びとコミュニケーションのライブ感、その流動的で多用的な文化のあり方を強調している。

唄や音曲もまた、思想や文学や絵と同じように、分岐に分岐を重ねて多様化し続けていたのだ。(略)つまりある個人がある流派のなかで名人になると、その流派と異なる個性を帯びるようになり、そこにまた稽古をする人びとや、芝居に組み込もうとするプロデューサーや、座敷に呼ぶ人びとや、それを出版する版元が現れ流行を作る。面白いことに、それらを統一しようとするひとは出てこない。また、流行遅れになったからと言って、すぐに消えることもなく共存する。これらの音曲はほとんど今日まで残っているのである。その多様性を支えたのは稽古人口であり、座敷であり、興行であった。今日はまだ歌舞伎興行は残っているが、芸者の座敷が消えつつあり、稽古する人びとも少なくなっている。

平和が長く続きながらも、閉鎖的で享楽的な傾向のあった江戸時代は、現代の日本とよく比較される。田中優子氏がさりげなく指摘した江戸時代の次のような特徴も、現代との比較という文脈の中で、もっと大きで複雑な意味をともなって再度捉え直す必要があるかもしれない。

ちなみに、江戸時代の身分制社会では、市場経済が発達してはいても、才能の程度によって経済的格差が生まれる余地はなかった。才能と教育を集中できる武士階級は市場経済のなかに入っていくことがほとんどできない階級であり、「禄」という給与の範囲で生きていたからである。(略)

しかし別世の中で創造性は発揮され、それは新しい技術につながった。

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