書評・戯曲 『オイディプス王』 ソポクレス


丹下和彦『ギリシア悲劇 人間の深奥を読む』を読んでから、原作も読みたいなあ、と思っていた。最近、村上春樹の『海辺のカフカ』を再読して、オイディプス王のメタファーが繰り返し出てくるのに気づき、手にとった次第である。岩波文庫版、西洋古典学の権威、京都国立博物館館長を歴任した藤沢令夫の翻訳。

『オイディプス王』における「父殺し」と「マザーファッカー」の二大「禁忌」のテーマは、それこそもう、今更言及するのも嫌になるくらいに、古来から様々な芸術作品で取り扱われてきた。映画『灼熱の魂』の原作者、レバノン出身の劇作家ワジディ・ムアワッドが、主人公の双子は、知らずに実の息子が母を犯して孕ませた子供であったという結末にしたのも、この超有名なギリシア古典劇のあからさまなメタファー(反語的だが)である。先述した村上春樹の『海辺のカフカ』も、「父殺し」と「マザーファッカー」のメタファーが使われている。

この二つのタブーは、古今東西、人間の男性にとっての大きなテーマだったし、禁忌というのは、人間の根源的な欲求と関わっているからこその禁忌なのだろう(誰も侵したくならない禁忌など意味がない)。このテーマを掘り下げていくだけで、それこそ人間の心奥の暗い迷宮に迷い込んで帰って来れなくなりそうだが、今回、実際に『オイディプス王』を読んでみると、意外にも、このテーマはそれほど切実に迫ってこないように感じた。もちろん、衝撃的なことは衝撃的だが、それはこの悲劇の本質ではない。オイディプス王は意図的に「父殺し」と「マザーファッカー」になったわけではないし、だからこそ、そこに心理的葛藤は無いのだから。重要なのはむしろ、それが無自覚になされたこと、神の預言による不可避的なものであること、という不条理の方である。

松岡正剛氏は、『千夜千冊』のサイトでこの本を取り上げて、こう述べている。

父を殺して、母と姦淫をする。あるいは、父を殺した犯人が自分であることを知らずに、母と結婚する。

よく知られたこの主題がすばらしいという理由では、必ずしもない。むしろソポクレスの戯曲と「エディプス(オイディプス)・コンプレックス」という言葉があまりに堅い結び目をつくっているのは、その結び目に呪文をかけたフロイトの解釈に気を取られることになって、かえってソポクレスの悲劇が読めなくなる。

ギリシア悲劇をフロイトから引き離してから読まなくてはならないというのは困ったことであるが、どうもいつのまにそういう読み方ばかりが大手を振っている。べつだんここでフロイトの功罪を言挙げするつもりはないが、こと『オイディプス王』に関してはフロイトを忘れて堪能することが読書の王道だ。また、そうしないと舞台を見るときの醍醐味がない。

確かに、実際にテクストを読んで印象的だったのは、まず何よりも劇としての構成の面白さ、巧みさ、の方だった。よく知られているテーマの衝撃性に反して、実際のパフォーマンスはかなり地味なつくりになっているのだ。自分たちが最悪の禁忌を犯してきたことを知った、母のイオカステは寝室で縊死し、その姿を見たオイディプス王は彼女の簪で己の両眼を突き刺す、という凄惨なシーンも、実際には演じられず、目撃した使者の伝言によって表現されている。場所の転換もなく、神々や魔物が現れるわけでもなく、基本、登場人物が入れ替わって対話するだけなのだ。

この地味なパフォーマンスを支えているのが、因果関係をはっきりとさせながら展開していく、推理劇のような構成だ。悲劇を進行させるのは、人々の善意である。若きオイディプスが「父殺し」と「母との姦淫」を預言され、それを避けるために祖国(とオイディプスが信じている)コリントスを旅立つ善意。コリントスからの死者が、オイディプスの心理的負担を和らげようと思い、ポリュボス王がオイディプスの実父ではないことを告げる善意。ライオスから息子オイディプスの殺害を命じられた羊飼いの男が、幼子の命を密かに救ってコリントスの使者に託した善意。そしてもちろん、全体を通じて物語を推し進める一番強い推進力となるのは、疫病に苦しむテバイの国を救うため、前王の殺害者を突き止め真実を知りたいと願うオイディプスの善意である。全ては、人々が受動的に運命を享受するのではなく、善意によって動くがために、真実が明らかになり、悲劇が進行していく。

時間軸が行ったり来たりするので、会話だけではストーリーが混乱してしまいそうだが、その辺りも、伏線として、第一エペイソディオンで盲目の預言者テイレシアスがあらかじめ悲劇を預言して伏線が張られていたり、スタシモンと呼ばれる合間合間の象徴的な歌によって予兆が示されるので、観劇者が分かりやすいように工夫されている。

盲目の預言者テイレシアスの伏線が興味深い点はもう一つあって、それは、テイレシアスに対するオイディプスの態度である。真実を知らないオイディプスは、テイレシアスの予言を聞いて激怒し、テイレシアスを盲と罵って追い出した上に、猜疑心から叔父のクレオンにあらぬ疑いをかける。この場面で明らかになるのは、オイディプスが非常に激しやすいタイプだということだ。彼は、スフィンスクを倒す賢さと勇気と、国を救い真実を知りたいという善意に溢れた人物であると同時に、激情型という弱さを持つ人物なのである。そして、オイディプスのそういう一面こそが、道で払い退けられ無礼な態度を取られたことにカッとして、実父であるライオス王一行を皆殺しにしてしまい、結果として「父殺し」を遂行することになってしまう原因に他ならない。オイディプスは、確かに知らずに禁忌を犯し、運命の悲劇に翻弄されるのだが、一方で、彼の性格と行動が、悲劇の一因にもなっている。この因果関係の明確さ、そして、隠喩と伏線の見事さ。

戯曲のテクストでこれだけ凄さが感じられるのだから、実際のパフォーマンスを観たら、どんな感動があるだろう。まずは、できるだけ原作に近い形で観てみたいものだが、いつ実現することやら・・・

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