書評 『十七世紀フランスのサロン サロン文化を彩る七人の女主人公たち』 川田 靖子


だいぶ古い本だが、『クラブとサロン』でフランスのサロンについての章を執筆していた川田靖子さんの著書。一般に、フランスサロンの全盛期は百科全書派などの活動を支えた18世紀と言われているが、本書は、その最盛期を準備した17世紀のサロン文化について、ランブイエ侯爵夫人、スキュデリー嬢、ニノンとマリオン、セヴェニエ夫人とラファイエット夫人といった女主人を元に語っている。

『ヨーロッパのサロン』の記事でも触れたのだが、ヨーロッパやフランスのサロン文化の発達は、フェミニズムの発達と密接な関わりがある。「サロン」という優雅な響きと現在の硬派なフェミニズムは、なんだか相容れないように感じられるけれど、「サロン」という場が、男性優位な社会の仕組みの中で、女性が地位向上を図る足がかかりとなっていたのである。

そもそもサロンの原型が発生したのは中世フランスである。

城が建ち騎士道と聖母崇拝が結びつけられ、騎士たちは意中の貴婦人たちに心の純潔を捧げる。男性の心に占める女性の地位が高くなることが、慇懃(ガラントリー)の精神を培うことになる。余暇とガラントリーはサロンの発達のための二つの大きな基盤である。

17世紀のフランスでは「サロン」ではなく「リュエル」という言葉が使われていた。これは小さな寝室を意味する言葉で、だから、サロンというのは非常にプライベートな空間で、アウトサイダーである女性が客人をもてなすという、超マイナーな「場」なのだ。当然ながら、その対照にあるのは、男性の絶対君主がおわすパブリックな宮廷である。そこからの「避難所」としての役割を担ったサロンが、マイノリティとしての文化を花開き、そしてまたマイノリティである女性の地位向上を準備した。

歴代のサロン主人を見ると、ランブイエ侯爵夫人こそローマの四大名門貴族(サヴェッリ、オルシーニ、コロンナ、コンチ家)の血筋、夫も侯爵という肩書がある身分の高さだが、次のスキュデリー嬢は貴族ではなく生涯未婚のまま、ニノンとマリオンは高級娼婦の出身である。セヴェニエ夫人とラ・ファイエット夫人はれっきとした貴族であるが、この二人の時代になると、サロンは完全に女性の立身出世の手段になる。後に『クレーヴの奥方』で有名になるラファイエット夫人に至っては、着実に「成り上がる」ためのステップとしてサロンやその交流関係を運営していた感すらある。

ガラントリーや恋愛遊戯に偏重し過ぎているように思われるサロンだが、そのサロンの主催者の頭の中には、それを通して女性の地位向上をしたい、という強い願いがあった。自由な恋愛は女性の自由を、男性からの尊敬は女性の自立を、意味していた。

男性優位社会の中、あくまで「囲われた者」である女性が、その範疇で最大限に自立し力を発揮する、という形態は、古今東西よく見られる。日本の後宮や遊郭も然り。だが、それが男性サイドの権力者や文化人にも影響力を及ぼすほどに拡大される、というところは、フランス独特のような気がする。スキュデリー嬢など、貴族の出身でもなく、結婚の後ろ盾もないのに、晩年にはアカデミーの女性会員として認められ、金貨に横顔を彫られるまでに世間に認められるのだから、日本では考えられない。

ニノンやマリオンといった「高級娼婦」が、才覚次第では、れっきとした貴婦人と肩を並べるような扱いを受けるようになるところも、フランスの面白いところだ。既に、ランブイエ侯爵夫人のサロンにも、貴族ではないが生まれは卑しくなく、職業的な女優でも踊り子でも歌手でもないが、その芸によって男たちの庇護を受けた「半玄人女」(ドゥミ・モンデーヌ)が出入りしていたという。ニノンのサロンに至っては、大貴族や大臣クラスの人物まで出入りする流行サロンとなり、彼女のサロンに出入りすることが上流社会のステイタスにまでなる。退位したとは言え、スウェーデン女王の身分であるクリスティーナ女王が、彼女との友情を温めたというのだから驚きだ。初めて、コレットの『シュリ』を読んだ時、「高級娼婦」の社会的位置付けがなんとも腑に落ちず不思議だったのだが、この文化はかなりフランスの特殊性を反映していると思う。

フランスのサロンの文化的側面としてもう一つ興味深いのは、「会話や言葉の重視」という点である。現代の我々から見ると少々やり過ぎで形式的に思える、言葉遊びやレトリックの駆使も、元々の派生には理由があった。

十八世紀の政治家レドレール伯爵が指摘するように「この社会で会話が生まれた。会話こそはフランス国民の一大特徴であり、都市の美観、建築の美と同様に外国人を惹きつけ賞賛をひきだした。フランス人にとっては会話は社会生活を完成し改良するための有力な手段であった。」

フランス人の会話好き、社交好きを、「国民性」に還元するのも一つの考え方だが、そもそもその国民性の発生自体に、王権国家の戦略的な側面も見え隠れする。

言葉に関する厳格主義は十七世紀半ばの進歩的な人びとの態度でもあった。フランス語の文法を整理し、正しい慣用を定めようとする動きは、文法家マレルブ、ヴォージュラ、メナージュらによってとられた。国語に自意識をもつことはリシュリューの目標とする王確立、国家意識の高揚に結びつく。

啓蒙主義の芽生え、神の言葉への不信と人間の言葉への(過信に近い)信頼、言葉と国家及び民族性の結びつき、などはすべて繋がっていたのだろう。

会話と言葉の重視の延長線上に、サロンの手紙文化の興隆もある。巧みなレトリックやウィットを駆使した会話ができること、それを手紙というメディアを使って表現できることが、才覚ある文化人として認められるために重要なスキルであった。セヴェニエ夫人が、文学作品を一つも残していないのに、「文学的価値の高い」手紙によって、後世に語り継がれるようになる、ということ自体が、フランス近世における手紙の価値の高さを示している。

当時の手紙を書くスキルというのは、現代において、ネットやSNSのメディアにおける表現スキルというのに近いのかもしれない。セヴェニエ夫人の手紙スキルについて、著者は以下のように述べる。

17世紀の文人たちはみな申し合わせたように「人の気に入ること」を心がけて作品をつくっている。

現代で言えば、「人の気にいること」=「いいね!の数」「フォロワーの数」である。17世紀フランスのサロンでも、「like!」が、他人の評価と共感が優先される文化が花開いた。そう考えると、自分と縁もゆかりもないフランスのサロンがぐっと身近に興味深く思えてくるのである。

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