『ヨーロッパのサロン 消滅した女性文化の頂点』 ハイデン・リンシュ


『知の広場』の記事でも触れたが、数年前から「編集的文化が発生する場」というのに興味をもち、サロンやクラブ、カフェなどに関する本を読み漁っている。日本語で読める本でいちばん近いものは、松岡正剛氏らが共同で執筆した『クラブとサロン なぜ人びとは集うのか』である。

この本は、サロン文化の最盛期、17,8世紀のフランスのサロンを中心に、始まりはイタリア・ルネサンス期のイザベッラ・デステやエリザベス・ゴンザーガの宮廷サロンから、プロイセンの都ベルリンで花開いたヘンリエッテ・ヘルツやラーヘル・レーヴェンのユダヤ人サロン、19世紀に入り次第に政治的な色を帯びてくるマリー・ダグやジュリエット・アダンらのサロンに至るまで、サロンの移り変わりが、その女主人の経歴と共に順を追って紹介されている。対象としているサロンの時期や内容は、菊盛秀夫著書の新書『文芸サロン』と似ているので、こちらの著書を補完的に読むと面白い。菊盛秀夫は、ドイツ文学専攻なので、ヘンリエッテ・ヘルツなどのユダヤ人女性サロンについても、より詳しく載っている。

歴代のサロンの女主人たちは、全員皆それぞれに魅力的だ。

一般的にフランスのサロン文化が最も花開いたのは18世紀と言われるが、その前哨とも言える17世紀に、まず名高いランブイエ侯爵夫人のサロンが開かれ、時の宰相リシュリューから内々にスパイ活動を依頼されるほどの影響力を誇った。このあたりは、川口靖子著『十七世紀フランスのサロン』 が参考になる。

若干6歳にしてスウェーデン国王に即位、8歳で8ヶ国語を操り、ラテン語で議論ができたというクリスティーナ女王。30歳前に退位し、パリやローマでコスモポリタンなサロンや、「アカデミア」というクラブなどを展開した。

いよいよ18世紀に入ると、ダランベールの生みの母であり、希代のペテン師ジョン・ローとの繋がりも指摘されている、かなりきな臭いタンサン夫人。(ジョン・ローの顛末についてはニーアル・ファーガソン『マネーの進化史』に詳しい)そのダランベールを見出したド・レスピナス嬢。

フランス革命前夜、オランダ出身のプロテスタントであり、現実的な政策を目指した為に罷免されて革命の口火を切ることになった大蔵大臣ネッケルの娘であるスタール夫人は、革命後スイスに亡命し、帰国後はベルリンとパリのサロン文化を繋ぐ役割をした。

そもそもサロンとは何なのか。本書の解説に、P・ヴィルヘルミーのサロン社交の定義をまとめているので少々長いが引用する。

1 サロンとは会話重要なコミュニケーションの手段となるひとつの社交形態である。

2女性が社交の中心になる。ほとんどの場合、彼女たちの生活空間である住居にゲストたちが集う。

3文学、哲学、音楽、芸術、さらには政治を議論する場となりうる。詩や小説の朗読、音楽の演奏、演劇の上演などが行われる。

4決まった接客日をもつが、招待状は出されない。常連のゲストがおり、サロン女性とまったく面識の無い者も彼らを通じて出入りすることができる。その意味で開かれた社交形態であり、サロン女性の家という私的な空間は、半ば公共的な空間となる。

5拘束力をもたないゆるい結びつきである。クラブやフリーメーソン、協会といった他の社交団体と異なり、サロンのメンバーにはリスト、会則、会費といったものがない。

6他の団体に比べて、職業、社会階層などの社会的出自に広がりがある。

7女性の会員をほとんど認めなかったクラブやフリーメーソンと異なり、男性と女性が集う両性混合の社交である。

特にサロンと類似しているクラブとの違いは、女性が社交の中心であること、会則や明確なメンバーシップが無いこと、などが挙げられる。サロンやクラブ、カフェなどが文化編集の場として画期的な役割を果たす場合には、「公権力から離れた場」であることが重要となる。権威から離れ、ということは同時に社会的階層や職業から離れて自由に議論したり表現したりできる、ということが活発な「文化の編集」を生む。サロンの場合には、その女主人が「アウトサイダーとしての女性」であることが重要であった、ということなのだろう。

そういう意味で、19世紀の後半、ダグ伯爵夫人やその継承者であるジュリエット・アダンのサロン活動がやがて、婦人参政権論に集約していき、サロン文化が衰退していくのも納得がいく。

女性におけるプロフェッショナリズムの増大ととくに女性のジャーナリズム活動が、新しい地平をひらいた。それは目的にとらわれない、言葉とかかわった前世紀の社交とは、ますますかかわりをもたなくなった。サロン女性はジャーナリストとなり、母権制的女主人は社会参加をする女権拡張論者となった。(P203-204

ここからもわかる通り、「サロン」はジャーナリズムと違い、コミュニケーションであり社交の場でもある。これも、「編集的文化が発生する場」として重要なファクターと言えるだろう。「サロン」独自で特徴的なのは、特に「会話」が重要視されたことで、著者はそのことを踏まえて「サロン」が現代のフランス語をつくったのだ、とも言っている。これはフランス人の社交・会話好きの文化から来るものなのかもしれない。このあたりも、前出の『十七世紀フランスのサロン の記事を参照されたい。

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