サロンに関する本も、松岡正剛ら編著『クラブとサロン なぜ人びとは集うのか』を皮切りに、ハイデン・リンシュ『ヨーロッパのサロン』、川田靖子『十七世紀フランスのサロン』、菊盛英夫『文芸サロン その多彩なヒロインたち』と順に読んでいき、5冊目となった。
本書は、共にフランス文学研究者である赤木夫妻の共著である。前半は、赤木昭三氏専門のフランス近代思想史をまとめ、後半は、赤木富美子氏専門のフェミニズム的観点からフランスのサロン史をまとめている。
サロン興隆の背景にあった、フランス近代の思想史について詳しく触れているので興味深い。まず名前が出てくるのは、何と言ってもデカルトである。デカルトの哲学は、形而上学的問題を超えて、同時期に高まりつつあった新科学への関心と一体になり、17世紀後半から一種のブームを巻き起こした。私がサロンの歴史を調べていくうちに、クリスティーナ女王と彼女の思想に大きな影響を与えたデカルトに自然と興味を持ち、カッシーラーの『デカルト、コルネイユ、スウェーデン女王クリスティナ』を手にとったように、デカルトが17世紀後半のフランスひいてはヨーロッパ全体の思想に与えた影響の大きさは、明白で異論の余地がない。
ただ、この思想史で面白いところは、このデカルトの論的であったピエール・ガッサンディに注目したところだ。ガッサンディは、今でこそ歴史に埋もれてしまった名前だが、当時はデカルトに並ぶ大者として評判の高かった17世紀フランスの物理学者・数学者・哲学者である。このガッサンディの思想には、デカルトの強烈な主知主義に反して、古代エピクロス派の自然論と懐疑主義が息づいている。
なかでもガッサンディは懐疑主義を哲学の核心に据えた哲学者であって、(略)彼によれば、有限な人間には事物の本性を直接的に把握することは不可能であって、ただ人間は事物の表面、現象に触れるに過ぎない。だがわれわれは、われわれに直接的にあたえられている感覚の所与を理性でもって解釈し、これについて推論を加えることによって、徐々に、世界の絶対的な真理ではなくとも、世界についての蓋然的知識は獲得することはできるとして、生まれつつあった新しい近代科学に理論的な支柱をあたえるとともに、神と霊魂の存在を推論のみによって論証しようとするデカルトの形而上学を、、スコラ学にかわる新しい独断論として批判攻撃した。というのもデカルトによれば、真理は感覚をつうじて後天的に獲得されるものではなく、生具観念(本有観念)として、人間の精神に生まれながらにして刻み込まれているのであり、したがって人間は、その理性のみによって一挙に真理に到達できるはずだからである。ガッサンディのこの生具観念批判は、世紀後半にしばしばパリに滞在したイギリス経験論の創始者ジョン・ロックに少なからぬ影響をあたえることになる。
P23〜24
デカルトの厳然たる神の存在と一体となった「真理」がいつしか一人歩きし、形而上学的な意義が薄れて換骨奪胎されていったその後の歴史を鑑みると、ガッサンディの経験論的な懐疑主義は、近代の科学や思想の発展に同じくらい大きく寄与していたのかもしれない。
ガッサンディの懐疑主義とは別に、17,18世紀のフランスを席巻したデカルトの思想に相反するものがもう一つある。それは、錬金術や占星術と結びついて、近代から吹き荒れたキリスト教的絶対真理主義や理性主義の嵐を潜り抜けて、脈々と現代にまで受け継がれてきたイタリア・ルネサンス魔術的自然観である。世界の動きのすべてをつかさどる「星辰」と宇宙の万物を形成するという宇宙霊魂という思想の影響力の大きさは、例えば吉村正和『フリーメイソン 西欧神秘主義の変容』や田中純『アビ・ヴァールブルク 記憶の迷宮』などを読んでもよく分かる。
西欧文明は周知のように、ギリシア=ローマ文明とユダヤ=キリスト教文明の二つの軸を中心として形成されている。西欧神秘主義は、その二つの焦点をひとつにつなぐような思考法であり、西欧文明のいわば地下水脈・地下茎として命脈を保ってきた。私にとって西欧神秘主義は、この西欧文明の秘密を解き明かしてくれる聖なる鍵のような存在に思われた。
西欧神秘主義の本流を形成する二つの流れがある。ひとつは、ギリシアの密儀宗教からピュタゴラス=プラトン=プロティノス=マルシリオ・フィチーノとつながる系譜であり、もううひとつはキリスト教神秘主義の系譜である。占星術・魔術・グノーシス主義・ヘルメス主義・カバラ・錬金術は、この二つの系譜の傍流として位置づけることができる。
吉村正和 『フリーメイソン 西欧神秘主義の変容』(講談社現代新書)
この思想について掘り下げて行くと、ヴァールブルクと同じく深い深い沼底に落ちて行きそうになるので詳述は避けるが、本書でも、これらの思想が近代化の中を生き延び、或いは17世紀はじめのキリスト教に批判的なリベルタン達の、或いは18世紀のラディカルな唯物論者ディドロやバルザックに、或いは19世紀のロマンはの詩人たちへと流れていった、と述べている。
その流れは現代まで絶えることがない。というのも自然全体が生きており、人間もまたその自然の一部だという思想は、われわれ人間にとって本能的といってもよいほど深く根を下ろした、きわめて自然な考えであって、洋の東西を問わず、民族、時代の相違をこえて、地球上のいつ、いかなる地点にの見出される人類共通の思想なのだ。そしてこれに反して、自然をまったく客体化し、それを征服の対象と見るデカルトや近代科学の思想のほうこそが、西欧近代に特有の、きわめて特異な考えといっていいだろう。
P22
また、貴族的なサロンの中では、「キリスト教」と「絶対王政」への批判は潜在的にタブーであったが、前者への批判を、従来の出版ルートには乗らない「地下写本」が、後者への批判を、架空の国家を想定する「ユートピア作品」が担っていた、という指摘も実に面白い。
そこで、他の手段では世に問うことが絶対にふかうと思われる過激な宗教批判、キリスト教批判の作品は、匿名の作家が書斎でひそかに書き上げたのち、写字生を使って大量い筆写させ、秘密のルートをつうじて流布させるという手段が考え出された。この手段がもっともよく活用されたのは十七世紀末から十八世紀、とくにその前半にかけての時代であて、その時代に筆者されたらしい反宗教的地下作品が、ヨーロッパ全土の図書館でニ四八篇も発見されており、その存在が確認されているものの現存しないものも含めると、総数はニ六九篇にものぼる(一九九六年現在)。そして啓蒙の宗教批判は、十八世紀の半ばまでに書かれたこれらの地下写本のなかにすべて含まれるといっても過言ではない。
一方、政治、社会体制の批判はというと、やはり同じ十七世紀の時代からユートピア旅行記が盛んに書かれ、十八世紀をつうじて流行したことが知られているが、百点を超えるこのユートピア旅行記のほうは主として政治批判、社会批判を受け持ち、まるで地下写本とユートピア旅行記と、この二つのジャンルのあいだで、禁断の二つの主題にたいるす批判の一種のすみ分けがおこなわれていたように見えなくもない。
P43〜44
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