「編集的文化が発生する場」としてのクラブ、サロン、カフェについて細々と勉強しております。。。カフェについての本は、邦訳で読めるものは限られるので、こちらの関西大学出版のマニアックな本をセレクト。ドイツ人著者により1955年に上梓されたものを、関西大学のドイツ文学研究者が訳したものらしい。原著はかなり古いものだし、同じカフェ文化について書かれたスティーブ・ブラッドショー『カフェの文化史』もそうなのだが、なんだか堅苦しくて読みづらい文章ではある。西欧でカフェ文化についての本が、なんだかやたらとディレッタントな感じになってしまうのはイギリスでもドイツでも変わらないのかもしれない。
内容としては、イタリア、イギリス、フランス、オーストリア、ドイツにおける具体的なカフェの名前を挙げて、カフェ文化の変遷を語っている。各国の歴史に残る有名店を挙げているところは、クラウス・ティーレ=ドールマンの『ヨーロッパのカフェ文化』と重なるが、こちらはもう少し網羅的・体系的にカフェ文化が語られている。
イタリアでは、ヴェネツィアの「カフェ・フロリアン」に始まり、ローマの「カフェ・デル・グレコ」など、イタリアに憧れる欧米各国の芸術家たちが訪れる国際色豊かな有名店が取り上げられているのは、前述の『ヨーロッパのカフェ文化』と同じだ。イギリスでは、オクスフォードやケンブリッジから始まり、やがてロンドンに広がり、アディソンやスティールらによる雑誌などのメディアの発達を促し、やがてイギリス独自のクラブ文化へと集束していったことは、小林章夫著『コーヒーハウス』に詳しい。フランスでは、パリの革命の温床となった有名な「プロコープ」から、やがてユゴーやデュマといった文士が集う「カフェ・トルトーニ」や印象派の画家たちが根城にした「ヌーヴェル・アテネ」などへその姿を変えていく。オーストリアのウィーンでは、帝国の厳正な監視の下で政治色を薄め、ビリヤードや音楽会などが行われる市民の娯楽と社交の場として発展した。ドイツでは、18世紀のライプツィヒから始まり、ベルリンでは19世紀になってからと、カフェ文化の浸透がかなり遅かった。19世紀末になってからベルリンで栄えた「カフェ・グレーセンヴァーン」や「ロマニシャス」などの文芸カフェは、世紀の初め頃、ヘンリエッテ・ヘルツやラーエル・レーヴィンらユダヤ人女性によるサロン文化の影響を受け継いでいる。ユダヤ人女性によるサロンについては菊盛英夫の『文芸サロン その多彩なヒロインたち』でも触れられていた。
この本を読んで一番興味を惹かれたのは、コーヒーという飲み物そのものの歴史的変遷である。今まで、カフェの人的交流とか飲食物以外のサービスに注目してきたけれど、いうまでもなく、カフェが提供するメインは「コーヒー」なのだ。今ではすっかり当たり前のものになって見落としがちだが、まずこれが人々がカフェで供すべき「非常に特殊な飲み物」だったことを忘れてはならない。
本書では冒頭でかなり詳しくコーヒーがヨーロッパに渡った歴史が書かれている。アフリカからエジプトを経由しトルコに渡ったコーヒーは、ヨーロッパ人にとっては「東方」特に「イスラム」文化を象徴するものとして再発見された。この香り高きエキゾチックな飲み物は、ただの飲料ではなく、薬と贅沢な嗜好品の間のような存在であり、その評価は時代や人によって激しく乱高下した。
フランスのオルレアン公爵夫人エリザベート・シャルロッテが手紙の中で《コーヒーより不健康なものはありません》《彼らはコーヒーを飲むことを止めねばなりません。今にたいへんな病気になるからです》とあからさまな不信感を示したかと思えば、バルザックは『現代の興奮剤』と題した論文の中で、《神経は昂揚し、その花火は脳にまで飛び込んで来》るこの飲み物は、《異常な力を持った男たちにのみ勧めることができる》と力説している。ドイツでは、ゲーテが『ヴィルヘルム・マイスターの演劇的使命』の初めの原稿で《この背信的な液体が精神に与える一時的な気分は、一度感じると、それなしでは済まされないほど魅力的で、その後に続く弛緩と落ち着きは、もう一杯飲むことで、なろうことなら以前の状態を再び思い起こさせたくないほど、人を投げやりな気持ちにさせる》と酷評した。
朝から晩まで家で外で毎日何杯も飲んでいるコーヒー狂の私にとっては、コヒーが歴史的にかくも特殊な扱いを受けてきたことは想像の域を超えている。それは、バルザックやゲーテら文豪による熱狂的な文章を読んで分かる通り、殆ど麻薬やドラッグと同列の扱いなのだ。
カフェという場所自体、その文化が花開いたのはパリやロンドンといった大都市だが、いずれも始まりは中心地を外した地方からなのも面白い。イタリアではヴェネツィア、イギリスではオクスフォードやケンブリッジから始まったのは既に書いた通りだが、フランスでも最初のカフェはパリではなくマルセイユ、ドイツでもベルリンではなくライプツィヒといった郊外だった。
『クラブとサロン なぜ人々は集うのか』や『十七世紀フランスのサロン』の記事でも書いたように、伝統的なヨーロッパのサロンやクラブやカフェ文化の近未来の姿を、現代のSNSやオンラインサロンに見出す、というのはまあ、ありふれた既定路線と言っていいだろう。しかし、そろそろこれらの候補に、「カリフォルニアのマリファナパーティー」とか「バリ島のドラッグパーティー」とかを加えることを真剣に検討すべきかもしれない。日本で一芸能人がマリファナ吸っただけで大騒ぎしている合間に、アメリカではついにニューヨークでも嗜好マリファナが解禁されそうな勢いである。たった200年前にはコーヒーが麻薬品扱いされていたのだから、マリファナだってどうなるか分かったものではない。
あ、一応断っておきますが、私は合法非合法を問わずマリファナやドラッグは未経験ですので悪しからず。コーヒーはやや中毒化していますが、決してマリファナ吸引を肯定したいわけでも擁護したいわけでもないことはご理解下さいますようお願いして、本記事の結びとさせていただきます。
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