書評 『蔦屋重三郎 江戸芸術の演出者』 松木 寛


田中優子氏の『江戸のネットワーク』を読んで、蔦屋重三郎のことをもっと知りたくなった。天明・寛政期の江戸で、山東京伝、滝川馬琴、そして喜多川歌麿に東洲斎写楽といった逸材を発掘し、見事な出版文化を花開かせた名プロデューサー。彼を題材にした歴史書や小説は数多くあるが、美術史の観点から語られたものは意外に少ない。日本美術の大家である松木寛氏による講談社学術文庫のこちらの本を読んでみた。

蔦屋重三郎は吉原生まれの吉原育ち。子供の頃から親元を離れて商家の蔦屋に養子入りし、二十歳を過ぎる頃、花街吉原のタウン誌とも言える「吉原細見」の小売書店を構える。初めは鱗形屋と言う独占版元の小売取次をしていたが、鱗形屋が訴訟に巻き込まれて細見を刊行できない隙をつきオリジナルの「吉原細見」を出し、出版業者としてのスタートを切る。

まずは既にドル箱作家の立場を築いていた朋誠堂喜三二とタッグを組んで黄表紙を、それから狂歌の流行に応じて、狂歌界の大スター四方赤良こと大田南畝と協力して狂歌本を成功させる。従来、江戸の出版元は、お堅いものを出版する「書物問屋」と「地本問屋」に分かれており、狂歌本は書物問屋のレパートリーであったが、蔦屋重三郎は狂歌本に美しい浮世絵を組み合わせた新しいアイデアで、狂歌本の出版界を席巻する。そして、黄表紙の分野では山東京伝、浮世絵の分野では歌麿の美人絵に写楽の訳者絵という新しい才能を発掘して、《天明文化の演出者》(今田洋三氏)として活躍するのである。本書は、こういった経緯を、作者や画家との関わりについて記された文献や具体的な出版作品の分析を通して分かりやすく解説している。

現代にも通ずるビジネス感覚という点から、蔦屋重三郎の半生を見た時、印象的だったのは主に二つある。一つ目は、まず何よりも、そこに「人ありき」という徹底した姿勢。若輩者にして、当時権勢を誇っていた鱗形屋の小売業者という権利を獲得したのにも、そして、そんな権利を与えられながら、本家の裁判沙汰に乗じて独占していた「吉原細見」をちゃっかり出版してしまうのに、目立った争いや反目の痕跡がないことからも、彼の「人たらし」の上手さが推測される。そして、新しい版元として商売を始めるにあたっては、黄表紙では朋誠堂喜三二、狂歌本では四方赤良という、大御所とタッグを組んで確実な実績を積み上げていくしたたかさ。

鈴木氏によれば、狂歌本の出版を成功させるために、重三郎が選んだ最良の方法は、狂歌界のスター四方赤良の信頼を得ることだという。これは黄表紙出版に置いて、重三郎が朋誠堂喜三二屋北尾重政にとった方法とよく似ている。

経営実績や資金力の点では競合相手に劣る駆け出しの版元で、売れっ子作家の朋誠堂喜三二の協力を得ることに成功したのは、《文芸界の人々と親密な交際ができていた》という《自分の利点を最大限に生かした》からであり、喜三二らベテラン作家軍は、重三郎の《将来性を高く評価していた》からこそ、《有力版元からの誘いもあったろうが、彼らは敢てこれを退け、弱小版元の重三郎の要請を入れて、彼に協力することを約束した》のではないか、と著者は推察している。

しかし、重三郎はこの《人の運》を使うだけでは終わらせない。《人の運》でチャンスを掴んだからこそ、自分がそれなりの立場や資力を得た暁には、今度はチャンスを与える側に回ろうとする。ビジネスで重要なのは、この「人たらし」を一方的なままで終わらせない、ということである。或いは、自分が損得勘定を超えて人に引き立てられた経験を持つ者ほど、自分が与えられる立場になった場合にはそれを惜しみなく与えよう、と思うのかもしれない。

重三郎は才能に惚れ込むと、その人材への投資を惜しまない。パトロン型の版元だった。(略))しかし、若い芸術家と交情を通じるために重三郎が使った最も得意の手は、例の吉原外交だったようだ。

重三郎に見込まれ、彼の思い入れのお陰で一流の芸術家になれたのは、歌麿、馬琴にとどまらない。山東京伝、唐来参和、十返舎一九等々、多くの文人達が重三郎の恩誼を蒙っているのであった。彼らにとって重三郎は、自分達を成功に導いてくれた大恩人なのである。その重三郎の依頼となれば、自然彼らの制作にも熱が入る。蔦屋の出版物に秀作が多いというのは、この辺に一因があると言えよう。

人との繋がりやネットワークを重要視した同時に、もう一つ面白いと思ったのは、色々なところで「仕掛け」をしていくその卓抜なセンスである。自ら引き立てた喜多川歌麿を押し出すために、当代随一の戯作者や浮世絵師を一堂に集めた宴を歌麿主催と銘打ってプロデュースする。有名狂歌師の歌会を主催してそれをそのまま本にする、というだけでは飽き足らず、『百千鳥』では、掲載する狂歌を広く公募するという方式を取り入れる。誰も聞いたことのない「東洲斎写楽」の名前を売り出すために、全て大判雲母刷りの大首絵という豪華仕立ての役者絵を三十種近くも同時に売り出す。そして、それで当たりをとった次は、なんと一挙に六十数種を出版するという破天荒な企画を立てる。

狂歌は何よりも、歌会という生の現場での、人や他の作品との連なり、その微妙な間合いや駆け引きを楽しむものだった。浮世絵は、そういう狂歌との抱き合わせや、花柳界や市井や歌舞伎界のアイドルへの庶民の憧れを具現化したメディアとして発展した。また、出版というのはメディアであると同時に、新しいテクノロジーの結晶であって、そういう点で知識人や庶民の大きな興味を引いた、という点も見逃してはならないだろう。江戸で花開いた芸術を後押ししたのは、こういったライブ感やイベント感なのである。静止した美術作品を鑑賞することに慣れ切った現代の「美術史」が忘れてしまうのは、こういう江戸時代の文化が持つ動的な部分だ。

本書では、後半部分で写楽の第三期作品64種について、背景やデッサンなどの具体的な比較、さらにはモレルリ式と呼ばれる鑑識方法を用いて、写楽自身の手によらない作品が多数混在している可能性を検証している。美術史的な観点からも十分に楽しめるし、そういった芸術家と蔦屋重三郎の関わりを通して、彼のビジネスや当時の江戸文化のダイナミズムや動的な魅力を窺い知ることもできる、興味深い一冊だ。

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