書評 『フランス絵画史 ルネッサンスから世紀末まで』 高階 秀爾 ①


印象派前後の歴史的推移を知るには、同じ高階先生の「近代絵画史」という新書がとてもわかりやすかったのだが、こちらはもう少しフランス絵画に的を絞った本である。
以前、「想像力と幻想」の記事でも書いたのだが、高階先生の本は、歴史の「流れ」とか「ダイナミズム」をとても大事にしていて、素人でもとてもわかりやすく面白い内容になっていまる。今回読んだ「フランス近代絵画史」もそう。個々の作品や画家にクローズアップするのではなく、文化芸術全体の潮流が、バロックからロココへ、そして新古典主義からロマン主義へ、と変化していくその歴史の「流れ」自体がわかるように書かれている。なので、高階先生の本を読むと、自分が思っていたのとは違うところに興味を惹かれたりする。印象派を知ろうとして、ロマン主義に興味を持ったり、バロック芸術の箇所に惹かれて読み進めていくうちに、ロココやマニエリスムの奥深さに目覚めたり。
それぞれの時代・流派を代表する画家について説明する文章が、そのまま、その時代や流派の特質及び歴史的本質を暗示しているところが見事である。
例えば、フランス古典主義を代表する画家ヴーエについての記述
《おそらくヴーエは、十七世紀フランスの画家のうち、イタリアのバロック藝術の持つ意味を最も良く理解し、その様式をフランスにもたらそうと努めた人である。その意味で彼はフランスにおける代表的バロック画家と言ってよいが、しかし同時代のイタリアの仲間たちに比べると、空間構成において、より合理的な秩序を志向する傾向が強く、また色彩もいよいよ明るく洗練されたものとなって、豊麗さを保ちながらも、晴れやかな装飾性を強調するようになる。このような傾向は、フランスに戻ってから以後の作品でいっそう顕著なものとなっていく。》
或いは、フィリップ・ド・シャンパーニュの、尼僧たちを描いた作品についての記述
《奇蹟は表面的に華やかに演じられるのではなく、内面化され、精神化されているのである。造形的な完成度とともに、その奥深い静謐さのなかに、われわれはフランス精神の勝利を読み取ることができるのである。》
偉大な画家プッサンについては
《・・・バロック的な激しさは本来彼の性格の重要な一部をなしていたものであった。プッサンの古典主義は、奔放なまでのその内面の激情を強い意志と理性の力によって統御し、抑制するという厳しい努力の上に築き上げられたのである。1630年代以降のプッサンの画業は、いわばそのバロック克服の長い道程にほかならない。》
このような、具体的な画家や作品についての鋭い批評を読むことで、初めて読者は、著者が言うところの《ヨーロッパ中にバロックの嵐が吹き荒れた十七世紀において、フランスだけが静謐厳格な古典主義藝術を生み出した秘密》に思い当たり、フランスの文化そのものの特色についての見事な論評に深く頷かされるのである。
《このような背景の中に生まれ育ったフランスの文化は、安定したバランス感覚と持続性の故に、成熟した内実を具えるものとなった。それは派手な技巧の誇示よりも節度ある落ち着きを好み、華やかな外面よりも充実した内面性を大切にした。明晰な合理的精神と、洗練された繊細な感覚性とをともに兼ねそなえ、一見もの静かな外観の奥に豊かな情念を秘め、抑制された激しさにも欠けていない完成された表現のなかに、フランスの文化は人間存在の全体像を凝縮して提示している。フランス精神の中心である「ユマニスム」(人間主義)と呼ばれるものは、まさしくそのような全体的な成熟した人間理解を基礎とするものである。》
バロックに打ち勝ったフランス精神が古典主義を生み、それは一方でロココのような繊細さ、新古典主義のような合理的で抑制された美しさに発展し、やがては、ロマン主義や印象主義のような、新しく激しい表現に開花していく・・・フランス絵画史の華麗な豊潤さを、凝縮された文章で見事に言い表していると思う。

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