『想像力と幻想』をお得に読む
実は、大学で美術史学というものを専攻していた。なのに、私、実は余り絵とか観るの好きではない。って言うか、あんまし興味が無い。それなのになぜ!?と聞かないで下さい(笑)
美術史を専攻した理由の1つは、この高階秀爾先生の本を、高校の頃に読んだからである。たまたま、図書館で借りてきたのだと思うが、『ルネッサンスの光と闇』や『世紀末の美神たち』を読んで、「美術史って面白そう!」と思ってしまったのだった。
その後、大学で専攻した美術史学の講義を受けていくうちに、高階秀爾先生のあの非常に文化史的・社会史的アプローチは、このマニアックな美術史学会の中では、むしろ異端な存在だったのでは、と気付かされた。高階秀爾先生は一般書を多く出版していて、その中の文章も極めて平易で、わかりやすく書かれている。おそらく大学のアカデミックな世界では、一般人に受け容れやすい・わかりやすい内容の本を書く、というのは、どこか軽んじられて扱われる危険性が高いと思う。でも、高階秀爾先生は、東京大学名誉教授、京都造形芸術大学大学院長など、アカデミーの世界でも蒼々たるタイトルをもちながら、偏狭なアカデミズムの価値観やカテゴリーにこだわらず、非常に広い視野と自由なアプローチで、一般の人々が楽しめるような本を書いている。
専門的な知識が無くても充分楽しめる高階秀爾の本としてお薦めなのは、
などであろうか。特に、『芸術のパトロンたち』は、「パトロン」という社会的側面から、美術を論じたもので、非常に興味深い。
本書は、19世紀の美術について、高階秀爾先生が文学や社会との関わりを中心に論じた小論文、エッセイをまとめている。テーマとしては、ゴヤ、ウィリアム=ターナー、ドラクロワ、ミレー、マネ、モネ、バルザックなど。各テーマごとは短い論文なので、もっと、歴史の流れとかダイナミズムとかを感じたい私には少々物足りない部分もあったが、各トピックはそれぞれ面白かった。特に、今更ながら、ドラクロワが近代以降の絵画に大きな影響を与えたことを知り、驚いた。あんまり、ドラクロワって好きじゃなかったんだけど。
最近、高階秀爾先生の本など読み返していて、特に「ロマン主義」に興味をもつようになった。言うまでも無く、「ロマン主義」は、「ロマンチック」の語源にもなっている、18世紀から19世紀にかけてヨーロッパを中心に起こった文化的な運動のことである。その影響は、美術は勿論、文学、音楽など多岐にわたっている。古代ギリシア・ローマを美の原型とする「古典主義」や、18世紀に起こった「啓蒙主義」などへの反動的側面が強く、民族や個人固有の価値観や美学に重きを置く(⇔古典主義)、人間や世界のDarkで非合理な部分を描こうとする(⇔啓蒙主義)、といった特色がある。
19世紀の文化を語るのに、「ロマン主義」を外して語ることはできない。本書でも、ゴヤ、ターナー、バルザックなどのテーマでロマン主義の影響について触れられている。ロマン主義の定義は非常に曖昧でかつ広いので、多分、人によってイメージするものが違うと思う。美術では、ドラクロワやゴヤを思い浮かべる人もいれば、もっと世紀末的なルンゲやウィリアム・ブレイクをイメージする人も多いであろう。文学では、まずゲーテが真っ先に挙げられるが、ユーゴーやバルザックやスタンダールのイメージも強い。クラシック音楽がお好きな方には、ショパンやリストなどのドイツ・ロマン派を置いては語れないと思う。
「ロマン主義」が、西欧世界にとって大きな価値観・世界観の転換をもたらしたこと自体がとても興味深いし、美術において、それが、発展していく様子も面白い。「表現」という意味で言えば、従来の遠近法や明確なデッサンに捕らわれない自由な表現方法が印象主義に発展し、その後表現主義やフォービズムやキュビズムなどに変化していく。「テーマ」という観点でも、宗教画か古典に関連したテーマから、現代の社会や風潮を描いたり、人間の心理的な部分を表現しようといった動きに変わっていくのである。勿論、この「表現」と「テーマ」は、別々のルートで発展していくのではなく、複雑にお互いに影響し、絡み合いながら変化していくのである。
こういう動きを踏まえて本書を読むと、それぞれの作品や画家について語られたエピソードが、実は時代の大きな流れに沿っていることを感じられる。もう少し、ロマン主義について体系的に勉強してみたいな、と意欲が沸いてくる本でもある。
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