書評・美術 『十八世紀京都画壇 蕭白、若冲、応挙たちの世界』 辻 惟雄 ①


田中優子著『江戸の想像力』『江戸はネットワーク』や澤田瞳子の小説『若冲』などを読んで、十八世紀の京都で黄檗宗僧月海いわゆる「売茶翁」のサロンを中心に形成された京都の文人ネットワークに興味を惹かれた。田中優子氏は、『江戸はネットワーク』の中で、これを「京都シノワズリ・ネットワーク」と名付けている。これは、日本における一種のサロン文化と言えるものだ。

ここでいう茶とは抹茶ではなくて煎茶である。煎茶とは、黄檗僧が江戸時代の日本にもちこんだ新しい飲物であり、文化であり、新しい理想世界のイメージだった。いや、正確にいえば、近世日本の文人たちが煎茶というモダーンのなかに、新しい理想を見たのである。(略)

売茶翁を京都の文人世界と結びつけたのは相国寺の僧、大典だった。大典は画家、伊藤若冲の支援者だった。(略)

黄檗寺、煎茶となると、これは近世シノワズリの先端である。江戸にオランダ人や蘭学者を含んだサロンが出現していたとすると、京都には新しい中国、清朝中国の文化を含んだサロンが出現し、江戸時代を通じてつづく。

で、タイトルに惹かれて辻先生のこちらの著書をセレクト。辻先生と言えば,東大美術史学科の名誉教授、20年前東大で美術史学科を専攻していた私からすれば、日本美術史の最高権威であった方。とにかくこの方の論文を読まなければ日本美術史の単位は取れないので、研究室所蔵の『国華』(朝日新聞社より毎月発行されている東洋美術研究誌)をせっせと読んだもので、名前だけでちょっと懐かしい。

しかし、タイトルから期待したような、京都画壇全体とかその交流とかについての総論的な記載は殆どなかった。第一章「十八世紀京都画壇総論」で多少は触れているものの、殆どが個別具体的な作品について書かれた過去の論文をまとめただけのものである。大学の先生の本によくありがちな構成だし、辻先生くらい偉くなるとまあ仕方ないのかもしれないが、俯瞰した視点のものを読みたい方には余りおすすめしないかも。個別の様式や画法や落款の詳細分析やそれによる制作年代測定など、現代のアカデミックな美術史学が三度の飯よりお好きな方(少ないと思うが)には面白いかもしれない。ちなみに、私はそちらの方に全く興味が持てなかったので、大学院に進むこともなく、本人ですら二度と読みたくもないようなお粗末な卒論を提出して、卒業した。

興味深かったのは、第一章で日本の「文人画」のルーツに触れているところだ。17世紀から18世紀にかけての「文人画」流行の背景には、煩わしい世俗の塵を避け、清らかな自然の中に遊ぶという中国の士大夫社会理想があった。士大夫とは、中国北宋以降に現れた、科挙官僚と文人を兼ねた地主階級のことである。

幕府の儒教奨励策が武士階級に中国文化への関心を高めたこと、伊藤仁斎や荻生徂徠らの門下における漢詩文や老荘思想の流行、私塾での教育を通じてのそれらの一般市民層への普及といった状況がその当時にあった。江戸時代も十八世紀になると幕藩体制の矛盾が表面化し、自我に目覚めた知識人の間に対社会的な不満が漠然と感じられるようになっていた。中国文人の脱俗遠塵すなわち脱体制の理論と、それの形象化である文人画、南宋画は、彼らがそれを意識するしないにかかわらず、現実世界の不如意からみずからを解き放つための一方法であったといえる。

この辺りは、『江戸の読書会』に著されていたたような、社会的硬直感と不満が、中国思想の積極的な摂取に繋がった、という背景と通じている。だから、日本における文人画の興隆は漢学それとセットであり、画家といえども、漢学の素養なしには文人画を描くことは決してできなかった。初期の日本文人画(著者はこれを「南画」と称している)として代表的な服部南郭(はっとりなんかく)は、柳沢吉保に仕官した後、荻生徂徠の元で漢学を学んでいるし、祇園南海(ぎおんなんかい)は新井白石に目をかけられて漢詩の才能を発揮し、南紀で藩校の校長を務めている。柳沢淇園(やなぎさわきえん)は、その名の通り大和郡山藩の重臣で、荻生徂徠の学風に影響を受け、明清の絵画技法を積極的に取り入れた。彼ら武士階級の画家によって漢学の流行と共に取り入れられた中国の文人画は、やがて、名古屋の薬種商出身の彭城百川(さかきひゃくせん)や、生い立ちの詳細は不明だが幼い頃に下級役人であった父を亡くし、母親と画扇を売って生計を立てたというほど苦労人の池大雅などの「職業画家」に受け継がれていく。

前述したように、中国における伝統的な文人画観は、画工の俗画に対するものであり、それは階級意識と分かちがたく結びついていた。(略)

だが、淇園や南海の大雅に対する態度には、そのような階級意識がまったく見られない。南海のごときは、文人の理想である「奇」を生来の資質として備えた無名の青年の出現を手放しで歓迎しているのである。文人画・南画の世界を、身分制度の埒外に置き、そこでは「奇」の体現を何よりも価値として優先させる、という暗黙の了解が彼らの間にはあった。(略)芸術という「虚」の世界に許されたそのような精神的解放区に身を置いて、市井の人大雅や蕪村がのびのびと呼吸し、彼ら生来の資質を発揮して、日本文人画=何がの大成を果たすのである。

この「虚」の世界で「奇」の資質を新しい価値観として据える、という行為は、『江戸の読書会』で述べられていた「遊び」の精神と通ずるものがある。江戸時代の硬直化された身分制度と価値観が、諧謔的かつ厭世的な文化や風潮を生んだことはよく知られているが、一方で、漢学の読書会や文人画といった、今では至極真面目で順体制的とすら思えるようなものまで、「遊び」の範疇として捉えられる、というのは非常に面白くかつ重要な観点だと思う。

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