書評 『退屈な美術史を止めるための長い長い人類の歴史』 若林 直樹


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タイトルからして中々野心的なこの本。総括するのは中々難しいのだが…美術史を身体、物質や技術、市場など、従来とは違った社会的な側面から解釈していて、体系的な論理としてよくまとまっているとは言えないものの、各論としては興味深い視点やエピソードが多々あって面白かった。

現代美術議論の範疇は、近代美術市場の掌の上、《肉体なき鑑賞者》《収集の絶対主義》《新規参入者の誘惑》が作る三角形の中にあったに過ぎない、と語る著者は、美術の中に、インタラクティブな相互性や身体性、体験を取り戻すべきだと説く。

本文を要約すれば、

1.肉体なき鑑賞者とは、即ち観念的な理想美の追求

2.収集の絶対主義とは、欠落した感情や創造力の埋め合わせ

3.新規参入者の誘惑とは、美術市場における先物投資的な側面

と言えるだろう。

しかし、ポロックとナヴァホ族の例をあげてはいるものの、そこから具体的な方向性や新しい美術のあり方を見通すのは難しい。漠然とした方向性としては、相互性(インタラィティブ)と身体(体験、経験)といったテーマが浮かんでくる。これは、『美術、市場、地域通貨をめぐって』といった本とも共通してくるだろう。

以下、各論として面白かった点

1.明治初期の黒田清輝派と浅井忠派の美術論議について

情報の出処の正統性を競うだけで、歴史的な位置づけ、個人とは何かといった議論がない。やがて、その精神性の欠如は、皇国史観的全体主義に置き換えられる。

2.レオナルド・ダ・ヴィンチについて

レオナルド・ダ・ヴィンチは、芸術家ではなく技術者だった。マルチタレントな彼が、どんな技術を対象にし、どんな技術を対象にしなかったかで彼の仕事の性格が見えてくる。即ち、レオナルドは軍事技術や運河掘削、架橋法などの産業基盤整備などについては提言したが、都市計画、宮殿建設、農業技術開発などについては関わらなかった。

⒊レンブラントについて

レンブラントの絵画は一般市民が絵画を注文し、一種の工房で制作されていた。16世紀オランダ市民社会の絵画は、現代のブランド商品と同じである。

フェリペ2世について

《収集の絶対主義》の例としてスペインのフェリペ2世。《最初の偉大な収集家》と言われ、その冷酷で残忍な性格、身体や人間性の欠如を補うかのように、エスコリアル宮殿に篭ってティツィアーノやヒエロニムス=ホッブズの作品を大量に収集した。

⒌近代美術市場について

近代美術の経済史は誘惑産業の歴史、文化的劣等感を抱く新規参入者の歴史である。例えば、印象派を買ったのは、アメリカの富裕層であった。そこでは、美術品の「理論保証」が重要となり、美術品は一種の先物投資となる。

などなど。

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